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最終章:終わりと始まり

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〇3月31日(金) タイムスリップ365日目

ここしばらく、奇妙な夢を見る。

神社の前に俺と「俺」がいる。そこにあのぶち猫が現れて、こっちの世界にタイムスリップしてきたときみたいに、あたりが青白い光に包まれていく。

光の中では、2人の前に扉が立っていて、どちらかがその扉を開けて先へと進んでいく。それがどちらなのかは、日によって俺だったり「俺」だったりする。そして、残った方は少しずつ光に吸収されて消えてなくなってしまうのだ。

目が覚めたときには、もうその夢をぼんやりとしか覚えていないのだが、あまりに何度も見るから、今では、はっきりと覚えてしまった。しまいには夢の中で、「ああ、またこの夢か」と冷静に考える余裕を持てるようになったくらいだ。

あの日から今日でちょうど1年が経つ。

このタイムスリップに終わりが来るというなら、それはきっと今日だ。

別に確固たる根拠があるわけでもなんでもないが、ただ、そう感じた。そして、こういうときの妙な直感は結構当たるものだ。

部屋のドアをノックする。

「入るぞ」

「俺」はベッドの上でメールを打っているようだった。相手はきっと大楠だろう。

「ちゃんと入る前にノックするようになったんやな」

「まあな。もしかしたら今日で最後になるかもしれんけん、最後くらいな」

「…………。今日でちょうど1年か。実は、ここしばらく変な夢を見てた」

「2人で神社の前に立って、光の中でどちらか片方が扉の向こうへ進むやつか?」

「やっぱり、あんたも見てたんか」

「今日の夜、2人で神社に行こう」

「うん、わかった」

話が終わると、俺は静かに部屋を出て、リビングへ戻った。

すべての物事には例外なく終わりがやってくる。だから、大事なのは終わりが来たときのためにしっかりと準備をしておくことだと思う。

俺はここでの出来事はすべてここで終わらせたかった。なんだか、未来に持ち帰るのは違う気がした。だから、ここで得たものは全部ここに置いて帰る。

バイトは1週間前に辞めていた。貯めたお金は、全部母さんに渡すつもりだ。口座から全額お金を引き出して、通帳と一緒に封筒の中にしまっておこう。

こっちの世界で買った物は、主に携帯と衣服と本だ。それらの整理もしなければいけない。携帯はもう解約してしまおう。バイトを辞めた今、たとえ今日、未来に帰ることにならなくても、どうせ使うことはないだろう。「俺」から緊急の連絡が来ることも、もうあるまい。衣服と本は、「俺」が要らないと言ったものは段ボールにまとめておくか。もしも未来に帰る場合は、後処理をあいつにお願いすることになるけど、まあ、それは許してくれ。

よくよく考えてみると、思ったよりもやるべきことは多そうだ。やっぱり昨日のうちから少しずつ準備をしておけば良かった。

いや、念のために言うと、昨日から準備を始めようとはしていたのだ。だけど、実行する気になれなかった。準備を始めると、本当に未来に帰ってしまうような気がして怖くなった。俺はこのに及んで、と言うよりむしろ、この期に及んだからこそ、未来に戻ってふたたび現実に直面するのが怖くなっていた。

このことを「俺」が知ったらきっと笑うに違いない。

「俺」は困難を乗り越えて、恐怖や緊張に打ち勝って、ここまで来たんだ。俺は陰ながらその姿をこれまでずっと見てきた。

それなのに、俺はいまだに困難に立ち向かうのを恐れている。

――自分の助けで後悔のない「俺」の未来を作れたなら、たとえそれが元の世界には関係ないとしても、俺の後悔が和らぐかも知れない。ここでの経験が、俺が今後生きていくための希望だったり勇気だったりになると思いたい。

かつて「俺」に言った言葉がよみがえる。

まったく。すべてが終わった今、俺の心の中にあるのが「未来に帰るのが怖い」だなんて、情けないにも程があるぞ。

準備に追われているうちに、あっと言う間に夜になってしまった。なんとか帰る準備だけはすべて終わらせることができた。

これから「俺」と一緒に神社へ向かう。いよいよ、これで最後だ。

母さんに最後の挨拶あいさつをして、封筒を渡した。母さんはただ「頑張りなさい」とだけ言ってくれた。

〇4月1日(土) タイムスリップ366日目

午前0時30分。俺は「俺」と2人で全ての始まりとなった神社の前に立っていた。今は1つだけ夢と違って、俺たちは神社に対してではなくお互いに向き合っている。

「こんな遅くに悪いな」

「まったくやん。なんでもうちょっと早い時間帯にタイムスリップして来なかったんだよ! てか、ほんとに時間までぴったり合わせないとだめなんか?」

「わかんねーけどさっきとその前、今日だけで2回もここ来て何も起こんなかったんやけん、あとはもう時間合わせるしかないやろ」

「それはそうやけどさ。……にしても笑ったな。母さんに『さよなら』って言って2回もまた家に戻ってきたんやけんな」

「ああ、あれはめちゃくちゃ気まずかった」

「おかげで辛気しんき臭くはならんかったけどな」

「確かにな。それだけは良かったか」

「あっ、ちなみに時間帯は仕事のせいで遅くなったんやけんな。社会人は大変なんだよ」

「悪いけど俺はこれから大学生やけんわからん」

「くそ」

「とりあえず、この1年間お疲れ様やったな」

「ほんとにたくさんのことがあったな。やけど、あんたのおかげでなんとか乗り越えられたよ。ありがとな」

「お前が自分の力だけで乗り越えたことも多かったやろ。結局、俺の過去とはかなり違う道筋をたどってきたけんな。やけん、俺の方こそありがとう」

「俺さ、ちゃんと後悔なく過ごせたよ。全部やり切った。それに結果だって」

「うん、わかってる。改めて、九州大学合格おめでとう。それに、大楠のことも。今日で付き合って1ヶ月くらいか?」

「ありがと。うん、ちゃんと上手くいってるよ。やけん、あとのことは俺に任せても大丈夫だから。あんたは未来で自分のために頑張って欲しい」

「……そうやな。なんつーか、お前強くなったよな」

「はは、どうやろうね。少しは変われたんかな」

「変わってるさ。俺が言うんだから間違いない」

「そのセリフ、久しぶりに聞いたわ」

「あんたはどうなんだ? 全部が終わって、少しは後悔とか和らいだのか?」

「ああ、俺は……」

――ニャー

突然、猫の鳴き声が聞こえた。振り向くと、神社の正面にぶち猫がいた。

お守りに張り付けられていたあのシールにそっくりの猫。

実はシールから飛び出してきて、大楠の書いたメッセージに気付かせるため俺をタイムスリップさせた……と考えるのはさすがにバカバカしいか。

「ついに来たな」

予想通り、本殿の扉の奥から強烈な青白い光が放出される。こちらへタイムスリップしてきた時とまったく同じだ。

夢の中で見た光景が再現される。

真っ白い空間の中には本殿の扉だけが残って、俺たちの目の前に立っている。

ここを俺たちの片方だけが通り抜ける。そして、残った方は……。

「これ、どう思う?」

とうとう我慢できなくなって、俺はたずねた。

「片方だけが扉を通って、残った方は……消える」

「…………」

「俺さ、あの夢を見て思ってたんだ。あんたは、パラレルワールドって言ってたけど、実はどっちの世界も同じ線の上にあるんじゃないかって。パラレルワールドだと、その中にはたくさんの世界とたくさんの俺がいて、それぞれが別の道を歩んでるんだろうけど、なんかさ、やっぱりたくさんの世界と俺がいるってのは気持ちが悪いんだ。世界はたった1つだけ存在して、俺はその唯一の世界にいる唯一の存在なんだって考える方が自然じゃないか」

「俺」の言うことはわかる。でも、それなら俺がこの世界に存在することは矛盾になる。俺はこっちの世界で「俺」に助言をして、結果的に元の過去とはずいぶん違う未来が作られた。

いや、それなら……。

「ここで修正される……ってことなのか?」

「今、あんたがタイムスリップしてきたことで2つの世界が生まれてしまった。だから、ここで片方が消えないといけないんじゃないか」

「お前、いつから気付いてた?」

「確信的にそう思ったのは今だよ。やけど、夢を見始めたときからずっと違和感は感じてた。俺は最初からあんたのタイムスリップには何かしら大きな影響力があると思ってたんだ。きっと、これが最後に課された選択なんやろ」

「…………」

「こうして考えてみると、残るべきはお前の方なのかもな」

「……それは、ダメやろ」

「でも、お前は俺なんかよりもたくさんの困難を乗り越えてきたし、人のために動くことができる。俺は今までさんざん偉そうに助言はしてきたけど、お前みたいに実際に何かを積み上げてくることはできなかった。今はもうお前の方が適格なんじゃないかって思えてくるんだ」

「ダメだ。この世界は、あんたが作ったものだ。本来の未来を変えたおかげで、俺は後悔することなく過ごせたけど、その代わり、俺の知らないところで犠牲があったのかも知れない。やっぱり、元の世界が残るべきなんだ」

「……それは、俺も思ってたよ、ずっと。俺の都合で未来を変えてもいいのかって。お前と大楠が付き合うことになったのだって、もしかしたらそのせいで、本来、大楠と付き合うことになっていた別の誰かを間接的に犠牲にしたのかもしれない。だけど、そういうのに全部目をつぶって、この世界では俺だけのことを考えてきた。それは、汚いことだと思ってたよ」

「それなら、」

「それでも、怖いんだ。元の世界に戻って現実に直面するのが。ましてや、今までのお前の苦労とか想いとか、それだけじゃない、この世界にいるみんなのことを丸々消してしまって、俺にはそれに応える自信がない。結局、俺はお前に助言するだけ助言しといて、自分じゃ何もできないんだ。

これまで俺は自分のことだけを考えてきたんだ。それならいっそ、最後まで自分勝手にやって、そしてきれいさっぱり消えてしまう方が……」

「……まあ、そっちの方が楽だよな」

「…………」

「あんたは俺が強くなったっていうけど、そんなことはない。今だって怖いことはたくさんある。自信もないし勇気を振りしぼるのに時間もかかる。本当はさ、あんたと俺に大した違いなんてないんだよ。俺は、未来の俺に助けてもらって行動に移すことができただけだ。あんただって、実行しさえすれば同じ結果が出るはずなんだ」

「…………」

「大丈夫、あんたにならできる。俺が言うんだから間違いない」

「お前……」

「だから、ここから進むのは未来の俺だ。これから元の世界に戻って、あんたが自分の後悔とどう向き合っていきたいか、自分が納得する答えを見つけてくれ。そうしてくれたら、俺は嬉しい」

気付けば、俺たちの頬には涙が伝っていた。

…………。

「そうだよな。いい加減、逃げるのも終わりにしないといけないな。……俺、頑張るよ。お前みたいにできるかわからんけど、これから精一杯この後悔と向き合ってみる。過去にできなかったこと、試してみる」

「ああ、期待しとるぜ」

「この世界に来れて本当に良かった。本当に、ありがとう」

俺は扉の方へ向き直って、ついに1歩を踏み出した。

2歩、3歩と進んで扉に手をかける。

ああ、これで本当に終わりなんだ。そして、ここからが始まりでもある。

勢いよく扉を開く。とたんに体が中へ吸い込まれていく。

体がふわっと浮いて、意識が薄れていく感覚。この世界に来たときと同じだ。

そしてやっぱり、最後にはあの猫のいたずらっぽくて甘い鳴き声が聞こえてきた。

そう言えばこの甘い声、ちょっとだけあいつの声に似てる気がする……。

やり直そう。今度こそ。

4月1日(土) タイムスリップ後1日目

寒さでふと目が覚める。

俺は東京の元いた神社の本殿の前で倒れていた。あたりはうっすらと明るくなっている。

すぐに立ち上がった。体が痛い。だけど、なんとか風邪は引いてないみたいだ。俺はどのくらいここで気を失っていたのだろう。

ポケットの中に手を入れてスマホを取り出す。

4月1日土曜日、午前6時2分。画面にはそう表示されている。

戻ってきたのか。それとも、これまでのことが全部夢だったのか。わからない。……こんなことなら1つくらい過去から何か持ち帰ってくれば良かった。

しばらくその場にたたずむ。佇んでいると、頭の中にかかっていたもやが次第に消えて、目覚める直前に「俺」と話した内容がよみがえってきた。

そうだ、あれが夢だったのかどうかはどうでもいい。俺には、やらなきゃいけないことがあるんだ。

俺は急いで家に帰った。

14時15分、博多駅に到着した。

我ながら無鉄砲なことをしていると思う。寝不足のせいで変にテンションが上がっているのかもしれない。それでも、すぐに彼女と連絡を取る方法が、他には何も思い浮かばなかったのだ。

バスに乗って実家へ向かう。新幹線の中でもそうだったが、体は疲れているのに緊張のせいで一睡もできなかった。

実家に帰ると、俺はそのまま自分の部屋に飛び込んだ。自分の部屋を自分の好きなように使えるのがとても久しぶりに感じる。

窓際に置かれた机の引き出しを開ける。高校のころ使っていた携帯がそこにしまってあるのだ。捨てることができないまま、ずっと引き出しの中に眠らせていた。

携帯と充電器を引っ張り出して、コンセントに差し込む。

頼む、上手くいってくれ……。

日が傾いてきた。

俺はマンションのすぐ横に造られた小さな公園のベンチに座っている。マンションというのは俺のマンションではない。大楠のマンションだ。

「これ、一歩間違ったらストーカー認定だよなあ……」

つい、ぼそっと独り言がこぼれる。

数年ぶりにあの携帯電話に電源を入れて中身を確認した。データはしっかりと残っていた。そこには、俺が高校3年生のときに大楠たちと交換した電話帳のデータがあって、大楠のページにはしっかりと住所が載っていたのだ。

かつて、向こうの世界で大楠と高宮が「俺」を訪ねに家までやってきた時と、まったく同じやり方だ。

6年の時を越えてまだ、唯一残っていた俺と大楠のつながり。

もちろん、彼女が今も実家で暮らしているのかどうかはわからない。それどころか、実家ごと引っ越してしまっているかもしれない。

でも、いまだに大楠が住んでいる可能性だってあるんだ。

あとは、マンションの入り口に行って、インターホンを鳴らすだけだ。

その「鳴らすだけ」をするために、俺はもう、かれこれ1時間近くこのベンチに座って、覚悟と大楠に伝えるべきことを決めようとしていた。

「俺」は、やればできることを証明してくれた。だから、俺にだって。

そう考えると、決まって誰かが頭の中でささやくのだ。「あれはただの夢かもしれない」、「夢は都合よくできているものだ」と。

あれは、本当にただの夢だったのか?

夢なのかどうかはどうでもいいことだ。そんなことはわかってる。でも、こうしていざ自分の後悔に直面しようとすると、恐怖やら不安やらで心が折れてしまいそうになるのだ。

左手には、誰かから連絡が来る見込みもないくせに、つい癖で握りしめているスマホがあった。

そう言えば、今、身に着けているものの中で、このスマホだけは向こうの世界にも持って行ってたんだよな。

そこでふと、思い出した。

……もしかしたら、あれが残っているかもしれない。

俺は画面を解除して、写真のアイコンをタップする。

あった。

フォルダの一番上には、俺が向こうの世界で撮った、ただ1枚の写真が保存されていた。

――九州大学合格! お願い!

大楠からもらったお守りに貼りつけられていたメッセージ。

「やっぱり、夢じゃなかったんだ」

そうだ。あれは全部、本当だったんだ。「俺」は見事にすべてをやり遂げたのだ。

――大丈夫、あんたにならできる。俺が言うんだから間違いない。

「そうだよ、俺だってやってやる……。覚悟は、今決めた」

俺は勢いよく立ち上がり、マンションの中へ入って、インターホンの前に立つ。

震える手で部屋番号を入力する。よし、あとは「呼出」ボタンを押すだけだ。

深呼吸をする。

頼む。この想い、どうか届いてくれ。

ボタンの前に手をかける――

「若久くん……?」

ボタンを押す直前、後ろから声をかけられて慌てて振り返る。

そこには、水色のスプリングコートを羽織った女性がマンションの入り口の前に立っていた。あの頃に比べてずいぶん大人っぽくなっていたが、彼女は間違いなく……。

「……大楠か?」

「久しぶりやねー、突然いたからびっくりしちゃった」

そう言って、こちらの様子をうかがうように控え目にニコッと笑う。

その様子を見て、急に冷静になった。緊張も恐怖も、さっと潮が引くように消えていった。

「うん、久しぶりやね。今日は、大楠に伝えたいことがあって来たんだ」

夕暮れの空の下、奇妙なことに俺は先ほどまでずっと座っていたベンチにふたたび座っていた。だけど、今度はとなりに大楠がいる。

「受験やら何やらあってさ、俺たち4人、途中からあんまり話さなくなったやろ」

「うん」

「俺、ずっと後悔してた。あのとき、4人をつなぎ止めることができたのは俺だけやったのに、何もできなくて。ごめんな」

大楠はただ、真剣な表情で俺の話を聞いていた。

「だから、いまさらやけどもう一度、4人で仲良くやりたいんだ。あれから長い時間が経って、きっとみんなもそれぞれ新しい人間関係とかできてるんやろうけど、それでも、このまま俺たちのことをなしにしたくない」

「……私ね、」

間を置いて、大楠もしゃべり始める。

「あのとき、若久くんにそっけない態度取っちゃったこと、ずっと後悔してた。そこから、私たちの距離が少しずつ離れていっちゃったんやもんね。受験が終わったらちゃんと話すんだって思ってたけど、いざ終わったときには、もうなんて話しかけたらいいのかわかんなくなってて、結局何もできなくなってた。

今でもたまに夢を見ることがあるんよ。夢の中では、4人はまだ高校生で、教室の中で笑ってて、とっても楽しそうなの。それで、目が覚めて、ものすごく悔しい気持ちになる。……私、ずっと謝りたかった。ごめんなさい」

大楠は泣きそうな顔で俺を見つめた。

この世界の過去の俺は、向こうの世界の「俺」みたいにわざわざ大楠に志望大学のことで誤解を解こうと動いたり、ましてや告白をしたりなんてことはしなかった。ただ、大楠の態度がそっけなくなったのを感じて、怖くて、開いていく距離をそのまま放置していた。目の前の受験を言い訳にして、時が解決してくれるだろうという甘い期待にすがって。

もう、そういうのは丸ごと全部、終わりにしたい。

「これからさ、やり直してみないか」

先延ばしにし続けて、5年が経ってしまった。

5年も経ってようやく、時計の針がまた動き出した。それとともに、胸の中の後悔が少しずつ溶けていく。

「野間も、高宮も、今は福岡にいるのかどうかさえわからんけど、絶対に連絡取るから。それで、また4人で集まりたいんだ」

大楠はバッグの中からハンカチを取り出して目をおおう。

「やけん、大楠も来てくれないか?」

「うん、もちろん。私にできることがあったら、何でも協力するけん」

ハンカチで目を抑えながら、ゆっくりとそう言ってくれた。

「ありがとう」

心の底からその言葉が出てきた。今までの人生ではほとんどなかったのに、ここしばらくはこんなに真剣な「ありがとう」を何度も口にしている。

大楠はハンカチを下ろして、今度こそ控え目ではなく、満面の笑みでそれに応えてくれた。

なあ、「俺」。俺にもできたぞ。お前の想いは無駄にならなかったんだ。

ようやく肩の荷が下りた。肩の荷が下りてホッとすると、今までの出来事がふつふつと浮かび上がってきて……。

ああ、ここまで来たら、もう大丈夫だと思ったのに。

そう思いながら、ついに涙をこぼした。

5月12日(金) タイムスリップ後42日目

「よ、久しぶりやな」

幹事の俺が声をかける。この俺が自発的に幹事役に回ることなんて、きっともう金輪際こんりんざいないだろう。

「おお、久しぶりやん」

4人の中で最後に到着したのは野間だった。と言っても、別に遅刻してきたわけじゃない。俺が友達との約束にこうして余裕を持って来ることだって、金輪際とは言わないまでも、めったには起こらないだろう。

「今日は、久しぶりに4人が集まれたことを祝してー」

飲み物が各自に配られると、俺がこういう役をやりたがらないと知ってか知らずでか、すぐに高宮が音頭をとってくれた。

「かんぱーい!」

「かんぱーい」

俺たちは、仕事終わりに駅近くのダイニングバーで集まっていた。ついに集まることができたのだ。

まさか、みんな福岡で働いているなんて思わなかった。3人のスーツ姿を見るのはかなり新鮮だ。

「こうして4人で集まるのって何年ぶりやろ!?」

高宮が面白そうに俺たちの顔を見回す。

「長い時間、経っちゃったよな」

俺がつい寂しそうに口走ってしまった。

「うん。やけど今日、みんなで集まれてほんとに良かったー」

大楠が本当に嬉しそうにニコニコしている。

「ほんと、若久のおかげやな」

野間の言葉に、つい照れ笑いする。

乾杯をしてから早30分。みんなにお酒が回ってきた。

「にしても、若久やるよねー! いきなり帆乃の家に押し掛けたんやろ!?」

「あ、俺もそれ思った。お前がそんなことするなんて何があったんだよ」

アルコールで紅潮こうちょうしたほほがさらに赤くなるのを感じた。

「俺にだって色々あったんだよ、つーか恥ずかしいからもう言うな!」

面白がっている2人に少しムッとして、「それより」と今度はこちらから反撃に転じる。

「お前らスーツ似合わねぇよな」

それを聞いて大楠がふっと噴き出す。

「黙れニート!」

2人の同時攻撃が見事に俺に決まる。

「おま、それ言うかっ……」

そう、俺は4月一杯で仕事を辞めていた。まさに先週、東京の家を引き払い、福岡の実家へ戻ってきたばかりなのだ。ここ最近は、転職サイトから申し込んで面接をしたり、ハローワークへ行って研修を受けたりと、思いの外、頻繁ひんぱんにスーツを着ていた。

そんな俺に反して、高宮は銀行で、野間は鉄道会社でしっかりと働いていた。どちらも地元の超有名企業である。最初に聞いたときは、大したもんだなあと素直に感心したものだ。

それなのにこいつらは……。

「私で良かったら面接とかアドバイスしてあげるけんね?」

高宮がニヤつきながらこちらを見る。まったくカンにさわる表情だ。

「あ、俺もしちゃあよ、面接指導」

やはり野間もニヤついていた。シャクに障る表情である。

「うるせー、そういうの良いけん手っ取り早くコネで俺を入社させてくれ」

「……入社2年目にそんな権限あるわけないやろ」

くだらないことで笑い合える。この感覚がなんか、ものすごく懐かしい。

ふと、となりを見ると、大楠が手で目を抑えていた。

「お、おい、どうしたん?」

俺はうろたえた。野間と高宮も心配そうに大楠を見つめる。

「いやね、なんか、ちょっと感動しちゃって……」

その言葉に胸が熱くなる。

「もう5年くらいずっと会えてなくて、それが今こうしてみんなが笑ってるの見たら、昔を思い出しちゃって。懐かしいなーとか楽しかったなーとか色々込み上げてきたんよ……ごめんね」

そう言ってハンカチで涙を拭きながら笑顔を見せる。俺は、大楠の表情に少し安心すると同時に、ここまで解決を先延ばしにしてしまったことに罪悪感を感じた。

もっと早くこうしていれば、4人でたくさんの思い出を作れていたのかもしれないのに……。

「俺も、ずっと気にしてたんだ」

野間が真面目な口調で話す。

「俺たちの仲が離れていったきっかけって、俺にあったんだよな。色々あって身を引いちゃったんだ。今考えると、それが良くなかった。良くなかったけど、俺のせいでみんなが離れていったから、俺からまたみんなに声をかける勇気がずっと出なかったんだ。ごめん」

「ううん、それは私も同じだよ」

高宮も口を開く。

「私もあの時、みんなに対してそわそわした態度取っちゃったけんさ。もちろん、みんなは何もしてないんよ。完全に私一人の問題やったのに。やけん、ごめんなさい」

今度は大楠が顔を上げてみんなを見る。ひざの上でハンカチをぎゅっと握っていた。

「私もね、若久くんに対してそっけない態度取っちゃったことがあったの。それが私たちが離れていく原因にもなったと思う。ごめんなさい」

俺だけじゃない。大楠も、高宮も、野間も、それぞれにあの頃のことを思って、気にしてくれていたのだ。

「それを言うなら、俺だって謝らないといけないことがある」

3人が俺の方を見る。

「俺、みんなが離れていくのを感じながら、何もできなかった。ずっと違和感を感じていたのに、それを何とかしようっていう勇気が出なかったんだ。もしも何かして、逆に変な感じになっちゃったらって怖くて、みんなの内面に踏み込んでいけなかった。友達やったのに。ほんとごめん」

俺の心の中にあった後悔がきれいに消えてなくなるのがわかった。そして、きれいになくなったあと、何もない空間から小さな新芽がパッと顔を出す。

「やけん、遅くなったけどさ、これからまたみんなで仲良くやってけないかな。高校の時みたいに楽しく、みんなで出かけたりご飯食べたり、ただ集まってだらだらしゃべるだけでもいい。たまにでもいいけん。……どう思う?」

さすがに少し緊張した。どんなに大丈夫だと思っても、最後に会ってから5年も経っていたら何が起こるかわからない。大体、一度壊れてしまったのだから、いまさらそれを元に戻そうとしても、どうしてもみんな、ぎこちなさを感じてしまうだろう。ここにはみんな集まってくれた。でも、これからそれを続けていけるかどうかは……。

「もちろんやん! 私もまたみんなで元に戻りたいけん!」

「ああ、俺も戻りたい」

「うん、みんなで戻ろうよ」

俺の心配をよそに、3人は笑顔でその質問に答えてくれた。その様子をみて、つい安堵あんどの言葉がこぼれ落ちた。

「……良かった」

そして、俺も笑顔になった。

良かった、本当に……。

これでようやく「俺」にむくいることができた。

お前はどこかで見ているのだろうか。

もしもいつか奇跡が起こって、またあの世界に行くことができたら、ちゃんと面と向かって伝えたい。

もう大丈夫、これからはみんなでしっかりやっていけるから、と。

最後は、近く4人でどこかへ遊びに行くことを約束して解散した。

野間と高宮は家の方角が同じだったため一緒に帰り、俺は大楠を家まで送っていくことにした。2人は察してくれたのか、その訳をきいてくることはなかった。

「今日はほんとありがとねー」

大楠が嬉しそうに話す。

「俺のおかげだけじゃないぜ。高宮の連絡先はお前が教えてくれたんやしな。こっちこそありがと」

えへへ、と嬉しそうに照れる。酔っているのだろう。こんなに上機嫌な大楠を見るのは初めてだ。

今になって、大楠の新しい側面を見ることができるなんて。

止まったままだった4人の関係が、また新たに進みだしたことを実感して、目頭が熱くなってしまう。俺もちょっとお酒を飲み過ぎたみたいだ。

「しばらくしたら俺たち4人だけやなくて、竹下とか七隈とかも呼んでさ、みんなで飲みに行きたいな」

あの成人式から3年以上が経ってしまったが、七隈にはちゃんと報告しなければならない。まずは遅くなったことを謝って、そして、ちゃんとお礼を伝えなければ。彼女は今でも気にしてくれているのかもしれないから。

「うん! それも私、手伝うけん。絶対にやろうねー!」

そう言って楽しそうにひじで俺をつついてきた。その反応はどちらかと言えば高宮がするやつだろ、と心の中でツッコミを入れる。

こうして改めて大楠を見ると、スーツを着てしっかりと化粧もしていて、すっかり大人になったんだなと感じる。

彼女は高校の教師になっていた。今日は研修があったため、たまたまスーツを着ているらしい。

「そう言えば、いつの間にコンタクトになったんやねー」

大楠がふと気付いてたずねてくる。俺は福岡に戻ってきてから、メガネをやめてコンタクトを付けるようになったのだ。

「うん。なんか、コンタクト付けてると勇気が出るんよね。なんつーか、おまじないみたいな?」

「うーん、全然わからんー」

大楠も俺も「あはは」と声に出して笑う。

そう、これはおまじないみたいなものだ。コンタクトを付けると、少しだけお前みたいになれる気がするんだよ。それに、ほら、俺ってコンタクトの方が似合うやろ?

ふと足を止める。大楠もそれに気付いて、不思議そうな顔をして俺の方を振り返る。

「大楠、」

俺が真剣な表情でそう言うと、大楠も改まってじっと俺の目を見つめた。

「高校のとき、ずっと言いたくて言えなかったことがあるんだ。今、言ってもいいか?」

「うん、聞きたい」

「俺、大楠のことが好きだ」

それを聞いた大楠は、高校のころよく見せてくれていたみたいに、優しくにこっと笑った。

【終わり】

「なあ、高宮」

「うん? どうしたん?」

となりを歩く高宮がこちらを見上げる。

「今度、一緒にご飯でも食べ行かないか?」

「えっ、それって……」

「ああ、2人で食べに行きたい」

横断歩道の青信号が点滅していた。急げば間に合ったのかもしれないが、俺たちは交差点の前で立ち止まる。

「……わかっとる? こういうときって大体男が出さんといけんとよ?」

高宮がニヤっと笑いかける。そのしぐさに、思わず俺もふっと笑みがこぼれた。

「わかっとるよ。いいとこ連れてってやるけん」

「あはは、それじゃあ楽しみにしとるね!」

信号が青に変わって、俺たちはふたたび並んで歩き出した。


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