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第4章:つながり②

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●10月28日(金) タイムスリップ211日目

あの大濠公園での出来事から1カ月と半が過ぎた。気付けば外は肌寒くなっていて、季節は完全に秋に移り変わっていた。

4人とも勉強で忙しくて、学校でもそれほどたくさん話す機会はない。それでも、高宮も野間も以前に比べたら、随分ずいぶんと自然に話せるようになっていた。

俺と野間は学校で話すだけでなく、家でも、ときおりメールのやり取りをしていた。きっと野間にも色々と考えていることがあるはずだから、俺ができるだけつながっていることで、野間を安心させたかったのだ。もちろん、高宮との一件については何も伝えていない。

本当に4人が夏のころみたいに仲良くできるのは、受験が終わってからになるのだろう。それでも、俺たちの関係は、とりあえず安定を取り戻しつつあった。

それよりも今は……。

机の上に置かれた1枚の紙をぼんやりと眺める。予想はしていたけど、いざこうして現実を突きつけられると気にせずにはいられない。

「はぁ、これ間に合うのかな」

それは2週間ほど前に受けたセンター模試の結果だった。第三志望に書いた九州大学の欄にはE判定の文字がくっきりと書き込まれている……。

そもそも、良い点数が取れないことは受ける前から分かっていたから、第一志望にはまだ身の丈に合った程よい難易度の大学を選び、あえて第三志望という微妙な位置に本命を記入しているところがすでに悲しい。

一応言わせてもらうと俺にだって言い訳はある。もうこの際、それが所詮しょせん、言い訳であることはあらかじめ認めておく。

それは、九州大学の受験科目に俺が高校で習わないものが含まれていることだ。具体的には、センター試験の地歴B科目が2科目必須なのだが、そのうちの1つを独学で勉強しなければならない。

一体全体、「俺」はどんな方法で受かったのか。カンニングではないことを祈りたい。

「センターまであと2カ月と半分やん。俺、もうダメかもしれん……」

昼休みになって、竹下がうつろな目をしながら開口一番にそう言った。

受験シーズン真っただ中ではあったが、クラスの誰も、昼休み時間にまで1人で勉強するようなことはしなかった。会話の中身は完全に受験に毒されていたが、それでも昼休みにはみんな友達と集まって、楽しそうにおしゃべりをしていた。だから今も、こうして野間と竹下と警固の3人で一緒に過ごすことができている。

「今日の模試の結果か」

警固が苦笑いしながら応える。どうやら彼の結果もかんばしくなかったらしい。

その様子を見た野間が横から口をはさむ。

「そんなことで気にすんなよ。俺はもう悪いってわかってたけん結果見ないまま机の中にしまったわ」

「お前、まじか」

3人で笑う。笑うと気分が明るくなる。安直だけど、こういうときに友達っていいなと思う。

「若久はどうなん? お前、学校のテストの成績いいもんな」

竹下がうらめしそうに言う。

「俺も全然だよ。今まではその場しのぎの勉強をちゃんとしてたから点数取れてただけで、受験に向けての勉強ってまったくしてこんかったけんな……」

「そっか。なんか、すまん」

「いや、それでもお前よりは点数いいけん心配すんな」

「うっせえ、ほっとけ!」

「そういや東京の大学も受けるんだっけ?」

警固がふと思い出したように言った。そう言えば、前に九州を離れるかどうかという話をした気がする。俺以外の3人は、少なくとも私立は福岡の大学のみを受験するつもりらしい。

「うん、そのつもり」

九州はやっぱり大学の数が少ない。それは福岡でも同じだ。難関大学を受けようとするなら、私立はどうしても関東や関西の大学を受験することになる。

「できれば九州には残りたいんやけどね。でもまあ、場合によっては東京に行くんやろうな」

ぼんやりとご飯を口に運びながらそう言った。ふと顔を上げると、近くの机で自分の弁当をしまっている大楠と目が合った。

まずい。

大楠は福岡に残るつもりだ。最悪、俺が東京に行くことも考えているのは、できれば知られたくなかった。もちろん、俺だって東京に行きたいわけじゃないんだ。

大楠は社交辞令的に一瞬ニコッとすると、すぐに目をそらして弁当をしまい、高宮たちのところへ戻ってしまった。

掃除時間が終わり、ぞうきんを洗いに手洗い場へ向かう。そこには、手洗い場の前にできた列の後ろで順番を待っている大楠がいた。俺は廊下、大楠は教室の当番なのだが、2人ともぞうきんを使うのだ。

俺は機嫌をうかがうようにおそるおそる話しかける。

「……よお、大楠」

大楠は微妙な表情をしてこちらを見てきた。それは、嫌な顔というよりは、何だか決まりが悪いといったような、申し訳ないといったような表情だ。

「……よお」

「あ、あのさ、センター模試どうやった?」

これはちょっとした賭けだった。あえてこの話をすることで昼休みのときのうやむやな感じを晴らしたい。せめて、俺は今でも福岡に残ろうと一生懸命、勉強をしていることを伝えられたら。

「前よりは点数上がっとったけど、まだまだよ」

大楠は元気がない様子だ。目も合わせてくれない。

「そ、そっか。俺もまだまだやったよ。やけど、福岡の大学に行けるよう頑張るけんさ」

「うん……。あ、あのね、掃除中に若久くんの机を動かしてたら、今日のセンター模試の結果の紙が落ちてきて、中身、見ちゃったんよ。ごめんね」

口早に(と言っても大楠は元がゆっくりしゃべるのでそれほど早いわけではなかったが)そう言うと、大楠は空いた一番奥の蛇口のところへ行ってしまった。

「…………」

次に空いたのは一番手前の蛇口で、俺は仕方なくそこでぞうきんを洗った。

このもやもやは嫌だ。

全てを聞いたあの夜に「俺」が言っていたことを思い出す。ある時から急に大楠の態度が変わってしまう、と。これがその前兆なのか。

模試の結果を見たということは、俺の志望大学も見られたわけだ。

ちなみにだが、ふざけて第五志望に女子大を記入して判定不能となったこともバレただろう。それはそれで大ダメージだが今は忘れることにする。

俺は第一志望に熊本の国立大学を、そして第二志望に東京の私立大学を記入していた。さっきの「福岡の大学に行けるように頑張る」という発言。俺の記入した志望大学のうち、福岡の大学は九州大学だけだ。そして、それを第三志望にしていた。たぶん、大楠にはあの発言が口先だけのものに聞こえてしまっただろう。

とにかく最後に少しでも、話したい。

「今日、一緒に帰らん?」

断られるの覚悟だったけど、帰りのあいさつが終わってすぐ、俺は大楠の元へ向かった。

「ごめん、今日このまま塾に行くけん」

大楠は申し訳なさそうな顔をする。でも、ここで食い下がったらもうこの話は二度とできないだろう。

「なら、途中まででいいけんさ。頼む」

大楠はしぶしぶ、俺と一緒に帰ることを承諾してくれた。

大楠の通う塾は高校から自転車で10分ほどのところにある。そのとき知ったのだが、方角は俺の家と真逆で、当然、一度俺の家に来たことがある大楠もそれを知っている。

「……こっちの方向やけどいいと?」

「あ、うん。全然大丈夫。俺の話もすぐに終わるけん」

ああ、なんか気まずい……。

結局、折衷せっちゅう案として、塾の方へ向かいながらも、俺の家から遠くならないよう、お互い歩くことにした。俺は自転車でも良いと言ったが、大楠が歩きの方が話しやすいし、と配慮してくれたのだ。

「……正直、今の成績のままじゃどこに受かるかわからん」

急に俺がしゃべり出したからか、大楠は反射的に俺の方を見た。お互いの目が合う。

「やけど、俺、まだ諦めたわけじゃないけん。もしも、もしも福岡じゃなくても、熊本とか長崎とかの大学でさ、その、大楠たちにもまたすぐ会えるように」

「……うん、ありがと」

大楠はやっぱり困ったような、申し訳ないような顔をして目をそらした。

その反応に、俺はつい、ムッとしてしまった。わかってる。これは全部、俺が勝手にやってることなんだから、大楠がどんな反応をしようがそれを責めるのは筋違いだ。

だけど、どうしてさっきからずっと、そんなに冷めた反応をするんだ。俺がどこに行こうが大楠にとってはどうでもいいのか。俺は、大学に行っても大楠と会いたいんだ。この気持ちは大楠には届かないのか。

「俺、大学に行っても大楠に会いたいと思ってる」

気付いたら口が動いていた。もういい、この際だ。思ってることを全部言ってしまえ。

「俺はさ、俺は大楠のことが――」

「やめて!」

俺の言葉をさえぎるように、大楠が声を荒らげた。大楠が声を荒らげるのなんて初めて見たから、俺は頭が真っ白になって、声を失ってしまった。

「……ごめんね。本当にごめん。私のわがままやけど、今はそういうの考えられないよ。それに、今、若久くんとそういうふうになったら、花菜は1人に感じちゃうかもしれない……。本当にごめん」

ドンと体の中で鈍い音が響いた。頭がぐらぐらする。もう何もわからない。思考も感情も、凍らされたように止まって動かなかった。

「……いや、俺の方こそごめん。困らせるようなこと言って。塾、がんばれよ」

やっと出た言葉がそれだった。

早くこの場を去らないと。今、俺の心の中にある何かが、ひび割れて崩れ落ちそうになっているのがわかっていた。そのひびから、一つでもパーツが落ちて欠けたら、その反動で全部が粉々に崩れてしまう。

俺はすぐに「それじゃあまた」と別れのあいさつを告げて、自転車にまたがり、来た道を戻っていった。

それじゃあまた、か。

大楠とは週明けにも学校で会うことになる。でも、ちゃんと目を見てしゃべったり、笑い合ったりすることは、もうないのかもしれない。

家に帰った俺は、そのままベッドに倒れ込んだ。体がどこまでも沈んでいく。

ああ、だめだ。思い出すな。思い出したくない。苦しい。

どのくらい経っただろう、気付いたら俺は眠っていて、起きたときには窓の外が真っ暗になっていた。

部屋を出てリビングへ入る。時計は8時を指していた。

「あら、やっと起きたの」

母さんが声をかける。

「うん。ご飯食べる」

ご飯を食べ終わった俺は、「俺」を呼んで一緒に部屋に戻った。正直、気分は最悪だ。本当ならこんな話なんかしたくはない。

「やっぱ今日何かあったのか?」

部屋に入るなり、「俺」がそう尋ねた。

「え?」

「今まで帰ってきたらずっと勉強してたお前が、今日はずっと寝てたからな。俺がそれをするのは何かを忘れたいときやけん」

その察しの良さが今はありがたかった。

「今日、大楠にフラれた」

口に出して言うと、それが反動になって自分に跳ね返ってきて、また胸がぐちゃぐちゃにき回される。俺は多分、自分が思っているより感情を隠すのが下手だ。今もこうして顔がゆがんでしまう。

「まあ、どうせ今日は金曜やし、話すのは明日でいいよ。今日は休み」

それだけ言って「俺」は部屋を出た。

そこからはなんかもう止まらなくなって、俺は十年ぶりくらいに本気で泣いた。大濠公園のときよりも、ずっとずっと涙が止まらなかった。

全てがこれで終わってしまったのか。俺がこれまで努力してきたことはやっぱり無駄だったのか。野間や高宮はどうする。「俺」の後悔だってそうだ。変えたかったのに。大楠との間にへだたりが生まれた。結局、「俺」のときと同じになってしまったんだ。このまま何もできずにセンター試験があって、国公立受験があって、そして高校を卒業する。そうやって「俺」の後悔が生まれた。俺も今、同じ道を歩いている。

くそ……、ちくしょう……。

その日は、もちろん勉強なんか手につかなくて、気晴らしに風呂に入ったり漫画を読んだりしてみたけどダメで、結局またベッドに沈み込んで、涙を流しながら眠りに落ちた。

〇10月29日(土) タイムスリップ212日目

翌朝、朝ごはんを食べて、歯磨き、洗顔、着替えといった一通りのことを終えると、どちらからともなく昨日の話をしようということになって、俺は「俺」と一緒に部屋に入った。

「俺」は冷静ではあるものの、まだ気分が沈んでいる様子だ。やっぱり一晩置いて正解だった。昨日のうちにきいていたら、きっとこいつは途中で耐えられなくなっていたに違いない。

「それじゃあ、話してくれるか」

「俺」は静かにうなずいた。

「昼休み、男子で受験する大学の話になって、俺は場合によっては東京に行くかもって言ったんよ。たぶん、それを大楠に聞かれた。それが気になったから、掃除時間のとき大楠に、福岡の大学に行けるよう頑張るって言ったんやけど、大楠は俺がセンター模試に書いた志望大学を知っていて、そのセリフも嘘っぽく聞こえたんやと思う」

「センター模試って?」

「俺」はドアの近くに放っぽられていた通学カバンの中から一枚の紙を取り出して、俺に手渡した。

志望大学のらんを見たとき、俺の中で全てがつながった。

……ああ、そういうことだったのか。

6年前、俺に対する大楠の態度が急に変わった理由は、きっとこれだったんだ。

たった、これだけのことで……。今ならそう思ってしまう。

「それで、放課後にも大楠と一緒に帰って、しつこいかも知れんけど、どうしても、もやもやしてさ、これが何かの前兆なんじゃないかって。だから、もう一度言った。正直、今の成績じゃわからないけど、諦めたわけじゃない。それに、もしも福岡じゃなくても、大楠たちに会えるよう長崎や熊本の大学に行くって。やけど、その反応もなんか微妙な感じで、目もそらされてさ。なんか俺の気持ちが曖昧にされた気がして、どうしても、ちょっと腹が立った。そしたら、なんか勢いで止まらなくなって、最後に俺は大楠のことが好きなんだって言おうとしたところで、大楠から止められた。ごめん、今はそういうの考えられない。それに、花菜が1人に感じちゃうからって、そう言われた」

しゃべりながら、「俺」からますます生気が抜けていくのを感じた。かすれた声で、すべてを言い切った「俺」は、ただうつむいて黙りこんだ。

たぶん、「俺」の精神的なショックは、全力でぶつかったからこその反動なのだろう。常に予防線を張りながら人と接してきた俺には、こんな苦しみを感じることはできなかった。弱り切っている「俺」を前にこんなことを思うのは不謹慎ふきんしんだけど、その苦しみは少しだけ美しかった。

「わかった、ありがと。とりあえず、一旦休もう。なんか飲み物でも飲んで気持ちを落ち着かせろ。10分後にまた話すけん」

その10分という時間は俺にも必要だった。この出来事の背景はなんとなくつかめた。あとは、これから先、何をすべきなのか、そして何より、今の「俺」にどんな言葉をかければいいのかをちゃんと考えてから話したかったのだ。

俺は部屋に残ったまま、黙々と考えを巡らせた。逆に「俺」はずっとリビングにいたが、10分が経つ少し前に部屋に戻ってきた。

「じゃあ、始めるか」

ふたたび俺は口を開き、「俺」は黙ってうなずいた。

「まず、大楠の態度の変化やけど、たぶん大楠からもらったこのお守りが関係しとる」

俺は手元に移動させておいた通学カバンを指さす。

「実は、そこに張られている猫のシールをめくると、裏に小さな紙切れが張り付けられていたんだよ。念のためさっき確認したら、もうなくなっとった」

そう言いながら何だか申し訳ない気持ちになって、つい、「俺」の顔から目をそらした。わざわざ顔を見なくても「俺」の考えてることは容易に想像がつく。なぜそれを早く教えてくれなかったのか、だ。俺だって、その紙切れと大楠の態度の変化とのつながりに気付けてさえいれば、当然教えていた。

でも、まだ大丈夫なはずだ。理由がわかったのだから。今からでも十分やり直しが利く。

「俺の時代でも、大楠からまったく同じお守りをもらっていたんだ。そこには同じように猫のシールが貼られていた」

何となく気になって、たまにお守りを手にとってはそのシールを指でなぞっていた。そして、ある日を境に手触りが変わったことに気が付いた。前はシールの真ん中に小さな出っ張りがあったのに、それが無くなったのだ。まるで、中にあった何かが抜き取られたみたいに。

それは小さな違和感程度のものだったから、「俺」が体育大会の日の夜にあのお守りのことを話してくれるまで、すっかり忘れていた。思い出したとは言っても、あの日は野間と七隈のことがあったから、それどころではなかったんだけど。

しばらくして、またふと思い出したときに、お守りを手に取って、猫のシールをめくってみた。何かがあるという確信はなかったから、どちらかというと興味本位でやっただけだった。だけど、そしたら……。

そこまでの説明を終えて、俺は未来から一緒に持ってきたスマホを「俺」に差し出す。念のため写真に撮っていたのだ。

「これが出てきた」

「俺」は表情を崩さずにそれをじっと見つめて、そして、スマホを俺に返した。

その写真には、「九州大学合格! お願い!」の文字が書かれた小さな紙が写っていた。

「最初にこれを見つけたときは、お前にこのことを言うべきか悩んで、結局言わないことにした。変にプレッシャーを与えるんじゃないかと思ったからだ。それに、あとでこの紙が抜き取られることはわかってたけど、それも単に大楠がプレッシャーを与えないようにと、あとで考え直したからかなんかだと思ってたんだ。……ごめん」

6年前のことは、もうほとんど覚えていない。途中で大楠の態度が変わったことは覚えていたが、それがどのタイミングで、どういう会話にたんを発したのかまでは、思い出すことができなかったのだ。

「大楠は、お前に九州大学に行って欲しかったんだよ。熊本でも長崎でも、ましてや東京でもなく、福岡の九大に。たぶんお前の告白を断ったのだって、紙を抜き取ったばかりで罪悪感があったからだと思う」

相変わらず「俺」は無表情のままうつむいている。

嫌な予感がした。理由がわかって、次にやるべきことも見つかった。それなのに、今の「俺」からは何もポジティブな雰囲気が感じ取れない。ただ、無のままだ。

「やけん、もう一度、大楠とちゃんと話せばやり直せるはずだ」

「……それは、嫌だ」

背筋がざわついた。今の「俺」の様子を見ていると、ああ、これはもう本当に終わりなのかもしれない、という考えがどうしても脳裏をかすめた。

「どうしたんだよ……。今まで頑張ってきたやんか」

「もう怖いんだ。正直、こんなに傷ついたのは初めてで、とにかく、苦しい。これでもう一度、大楠と話してダメだったら、俺はもう立ち直れない」

その姿に俺は過去の自分を重ね合わせていた。

「今は受験に専念して、それが終わってからもう一度、大楠と話す。そのときには高宮と野間の関係も元通りになってるかもしれない。その方がずっと安全だ。わかるやろ、あんたにも、それは」

わかるもなにも、それがまさに過去の俺がとった行動なのだ。大楠の態度が変わったときに、俺は深く関わって傷ついたり、逆に関係が悪くなったりするのを恐れて、行動を先延ばしにした。

でも、それじゃあ。

「過去の『俺』がやったことと同じだって言うのはわかる。でも、今の俺なら受験が終わったあとでもやり直せる可能性はあるやろ。それなら……」

俺の言うことはわかる。確かにそうかもしれない。今のこいつなら過去の俺と違って信頼もできる。でも、今の言葉はどこから来ているんだ。全部はそれ次第だ。

俺がここいる理由はただ1つだけ。

「その行動で、お前は後悔しないのか?」

「俺」の眉根が上がった。悔しいような悲しいような表情だ。

俺は、その言葉を元の世界の当時の自分に伝えることができたら、どれだけ良かったかと思っている。

高校を卒業してからの5年間、ずっと俺の胸の中に残っている後悔。それは「3人に対して最後まで心から向き合うことができなかった」ということだ。

「俺は極論、4人の仲が戻らなくてもしょうがないと思ってる。ただ、お前には俺と同じ後悔を作って欲しくないんだ。もしもお前が今の自分の答えに納得してるなら、俺は何も言わない。むしろ、その選択を応援するけん」

「俺」は何も言わない。長い沈黙が流れた。

「……ちょっと、外で考えてくる」

そう言うと「俺」は静かに部屋を出ていった。

すぐに玄関の重たいドアの閉まる音が聞こえてきた。

「ここにいたのか」

あれから2時間と30分、さすがに時間経ち過ぎだろ。

それにしても、高宮のときもそうだったが、あの成人式の日から俺は人を探すのが上手くなったのかもしれない。

自宅から徒歩で15分ほどのところにある丘の上の小さな公園の椅子いすに「俺」は座っていた。

「わざわざ探しに来たんか」

「あんまり遅かったけんな」

「…………」

「俺」は椅子から立ち上がり、まっすぐに俺と対面した。

「その行動でお前は後悔しないのか? って言ったよな」

俺は何も言わず、黙って次の言葉を待つ。

「たぶん後悔するよ、もしそれでうまくいかなかったら。このままでいいわけがない。大楠がどうしてよそよそしい態度をとったのか、その理由がわかったんだ。あと必要なのは、大楠と向き合う勇気と、覚悟……」

そうだ、これには何より「俺」自身の覚悟がないと始まらない。

俺はあることを思い出して、ふっと笑みをこぼした。

「なんだよ」

「俺」が不機嫌な顔をする。

「いや、ごめん。ただ、もう志望大学欄に女子大書いたりすんなよ」

「なっ、気付いてたんか……。つーか、それ今言う必要ねえやろ!」

ついにこらえ切れなくなって2人とも笑い出した。

「とにかく明日、大楠と会ってみる。覚悟は今決めた。

家に帰ったらすぐに勉強しないとな。昨日から全然できてないけん」

そう言うと、「俺」はこちらに背中を向けて、せっせと自宅に向かって歩き出した。

こいつ、強くなったな。そう思った。あと俺にできることはもう、祈るだけだ。

4人の仲が戻るかどうかという結果よりも、「俺」に後悔が残るかどうかという過程の方が大事だ。だけど、だからと言って、結果をまったく気にしないわけじゃない。俺にも願いはあるんだ。

……頼む。上手くいってくれ。

●10月30日(日) タイムスリップ213日目

胸の鼓動がすごい。足が震える。いや、足だけじゃない。震えているのは全身だ。

大楠は思いの外、すんなりと俺と会うことを了承してくれた。もしかしたら、彼女の方にも何か言いたいことがあるのかもしれない。

朝の10時25分。俺は博多駅前の広場にあるベンチに座って、大楠が来るのを待っていた。30分の約束だからもうすぐ来るはずだ。

それにしても、どうして博多駅なのだろうか。

待ち合わせの場所は大楠が指定してきた。実際のところ意味なんてないのかも知れないが、今は彼女の行動の1つ1つに何かしらポジティブな理由を見つけて、少しでも自分を安心させようとしてしまう。

――ブルル

携帯が振動する。メールを受信したようだ。

――大楠 帆乃

――着いたよ

――今、どこにおる?

このメールを見ただけで息が苦しくなる。この調子だと、本当に心臓がのどから飛び出しかねない。それに、心がぐちゃぐちゃに掻き立てられている気分だ。頭もぐらぐらする。大楠からフラれたときと同じだ。本当は、今すぐここから帰ってしまいたい。

――若久 拓哉

――博多口のベンチに座ってる

――オブジェのある小さな噴水みたいなところの前のベンチ

――それか、俺がそっち向かおうか?

送信。

はあ、15分後には、俺はどんな顔をしてここを去っているんだろう。

さんざん「俺」から助言をもらっておいてこんなことを言うのもおかしな話だが、俺は何かしら困難に立ち向かうとき、いつもあらかじめ未来がわかれば良いのにと思っていた。

でも、今は、未来がわからなくても良い気がする。

そりゃあ、あらかじめ結果がわかっていれば楽だ。こんなに緊張することも、苦しい思いをすることもない。

だけど、それと一緒に、こんなに勇気を振り絞ることも、覚悟を決めることもないのだろう。こんなに大楠に対して真剣で誠実な気持ちを持つことはなかっただろう。

「若久くん」

大楠の声がした。

顔を上げると目の前に彼女が立っていて、さらに心臓の鼓動が早くなる。

「大楠、ごめん。急に呼び出して」

俺はすぐに立ち上がった。

「いや、全然いいよ。……私の方こそ、この前はごめんね」

胸の奥がチクッと痛んだ。

「俺から言い出したことなんやけん気にせんでよ。むしろ、俺の方がごめん。今日はさ、どうしても伝えたいことがあって大楠に連絡した」

何度も頭の中で練り直したセリフは、緊張でとうにどこかへ吹き飛んでしまっていた。もうただ、めちゃくちゃになってもいいから言いたいことを言うんだ。これが最後になるのかも知れないから、後悔のないように。

「俺、九州大学を受けるよ。もちろん今の学力じゃ到底届かないことはわかってる。今までは恥ずかしかったから、わざと志望大学欄には第一希望に書かずにいた。だけど、やっぱりそこが俺の行きたい大学なんだ。やけん、もうごまかしたりせん。今までだって手を抜いていたわけやないけど、でも、九大を目指してこれから死ぬ気で勉強する。俺は、俺は大楠と一緒に福岡の大学に行きたいんだ。

だから、もし良かったら、あのとき途中で言えなかったセリフの続き、受験が終わったら聞いてくれないか」

言い切った。全部。緊張が、苦しみが、ふわっと溶けて消えていくのを感じた。

「私ね、若久くんにはずっと九大に行って欲しかったんよ」

すぐに大楠も口を開いた。まるで、せき止められていた言葉が一気に飛び出してくるみたいに、よどみなくしゃべる。

「実は、若久くんにあげたお守りに付けたシール、裏にね、九州大学合格ってメッセージを入れてたの。やけど、きっと若久くんはもう半分諦めちゃってるんだと思って、申し訳なくなって気付かれる前に抜き取っちゃった。それで、少し落ち込んだの。勝手に期待して勝手に落ち込むなんて自分勝手よね。きっと、本人が一番苦しいはずなのに。やけんね、そういうのもあって、あの時は若久くんとまっすぐに向き合えんかった。でも、若久くんの言葉、途中でさえぎって、突き放すようなこと言って、もしもそれで若久くんを傷つけてたら、それが一番嫌やなってあとになって気付いたの。だから、あの時は本当にごめんなさい」

あれ、なんだ?

うわ、俺、泣いてるじゃん。

恥ずかしい、止まれよ、涙。大楠に見られてる。

いや、ぼやけてよく見えないけど、もしかして、大楠も泣いてるのか。

……なら、まあいいか。

「自分勝手だって言ったけど、それが、俺のことを思ってそうなってくれたんなら、俺は、嬉しいよ」

大楠がゆっくりと俺に近づいて、そして抱きついてきた。俺も両手をそっと大楠の背中に回して抱きしめる。能古島のときはあんなにテンパったのに、どういうわけか今はとても自然にできた。

「あの時のセリフの続き、聞かせてね。受験終わるまで私、待っとるけん」

「……ありがとう」

そっと大楠が俺から離れる。

「……良かった。ほんとは、この話し合い次第じゃ渡すことができなくなるかもって思ってたんやけど」

大楠はカバンの中から小さな袋を取り出して、俺に差し出してきた。

「お誕生日、おめでとー」

ニッコリと優しい笑顔を向けてくれる。

ああ、俺、この笑顔が好きなんだよな。

「はは、そう言えば今日、俺の誕生日やったね。色々あって忘れてた。ありがと、ほんとに嬉しい」

瞳にたまった涙をぬぐって、できるだけ大事にそれを受け取った。

「まさか今日会うなんて思ってなかったから、さっき急いで買ってきたんやけどねー。気に入ってくれるといいな」

だから博多駅だったのか。

なんか、この歳でこんなことを言うのは馬鹿げていると思うけど、幸せってこんな感じなんだろうな。

「もうすぐここもイルミネーションがつけられるねー」

2人でバス停に向かいながら話す。大楠はこれからバスで塾に向かうらしい。残念ながら俺は自転車で来たから、一緒にいられるのはバス停で大楠を見送るところまでだ。

「そういやもうそんな時期か。夜になると綺麗なんよな」

すぐ横にドーンとそびえ立っている博多駅に、記憶の中のイルミネーションを想像でともしながら言う。

「今年は無理やろうけど、来年は一緒に見ようねー」

「うん、絶対に見よう」

しばらくして、大楠は手を振りながらバスの中に吸い込まれていった。その姿を見ながら、俺は昨日固めた決意を改めて自分に言い聞かせる。

やってやる。ただ受験するだけじゃない。九州大学に受かってみせる。

そして、もうほとんどバレちゃってるけど、しっかりと大楠に俺の気持ちを伝えるんだ。

●2月27日(月) タイムスリップ333日目

「……燃え尽きたな」

長かった受験がついに昨日で終わった。国公立大学の前期試験が終了したのだ。まあ、厳密にはまだ後期試験が残っているのだが、正直今はもうその気力がない。

「もう私、無理」

「俺も。前期落ちてたら、もう私立行くわ……」

「もう何も勉強したくないー」

俺たちは、4人で近所のカフェに来ていた。

そう、終わったのだ。そして、乗り越えた。本当にたくさんのことがあったけど、今日はこうして、4人そろって集まることができた。

野間と七隈さんは今でも付き合っている。高宮も、もしかしたら完全に吹っ切れているわけではないのかも知れない。だけど、今日みんなで集まることを提案すると、2人は二つ返事で賛成してくれた。

大学受験については、4人とも地元の私立大学に無事、合格していた。その他に、俺は東京の私立にも2つ受かっていた。学力で言えば、大楠も東京の難関私立に受かる可能性は十分にあったのだが、やはり福岡が良かったらしく、はなから受験しなかったのだ。

国公立大学の合格発表は3月に入ってからで、俺の場合は8日に開示される。それがダメだったら、12日の後期試験も受けなければならない。

「でさ、みんな手応えどうやったん?」

野間がついに話の口火を切る。

「あ、それきいちゃう?」

高宮が苦笑いをしながら言う。

「あっ、念のため言うと俺のできが良かったわけやないよ。むしろ数学とかわからなすぎて30分時間余ったし。ただ、俺の場合、ダメ元やったからダメージは少ないけど」

「私も全然わからんかったあ。期待うすやね!」

「なんつーか、上手くいかんかった割には2人とも明るいな……」

とは言え、以前の2人の成績を考えると、地元の私立大学に受かるのも難しかったのだから、それだけですでに大きな進歩だった。2人とも何だかんだ頑張っていたのだ。

「私は結構できたって思ったんやけどねー」

大楠は福岡の教育系の国立大学を受験していた。実は、学校の先生になりたいらしい。

「へぇ! 良かったやん!」

「やけど、ネットで調べたらやっぱ例年よりも簡単やったらしくて、なんとも言えんなー」

悶々もんもんとした表情を浮かべる。この時期の受験生はきっとみんな、期待と不安の入り混じった日々に耐えなければいけないのだろう。もちろん、俺もその1人だ。

「で、若久はどうなん?」

3人が一斉にこちらを見る。実は、クラスの中で九州大学を受けたのは俺だけだったのだ。特進クラスでも受けない人の方が多い中、特進クラスではない俺が九大を受験したことは周りから妙に注目された。3人も、単に友達だからということ以上に俺の手応えは気になったらしい。

「はぁ、正直だめやった。特に数学難しすぎ。得意なはずやったのに」

「まあ、さすがにそうよね」

高宮が気をつかう。

「でも、」

俺がそう言うと、3人がまた一斉にこちらを見てきた。それが少し滑稽こっけいで、笑いそうになる。

「ネットで調べてみると、今年はかなり難化してたみたいやけん、あとはそこを信じるしかないなあ」

3人の顔が少し明るくなった。

「そっか、それなら良かったやん」

「うん! まだわかんないね!」

「私も祈っとくけんねー」

「いやいや、あんま期待はせんでな。でも、ありがと」

そんなに俺のことを気にしてくれてたのか、と改めて心が温かくなる。

「まあでも、もし受かってたらかっこいいよな。下剋上みたいで」

野間が妙なことを言う。それを聞いた大楠も「下剋上って」と笑った。

「でも気持ちわかるよ! 特進クラスからも数人しか出ない九大合格者が私たちのクラスから出たら、なんかスカッとするかも! 別に特進クラスに恨みがあるわけやないけど」

笑いながら高宮も乗っかった。

実際、クラスの生徒だけでなく、担任の先生も気にしているのは感じていた。とは言え、今はもう結果を待つのみだ。ああだこうだ考えるのはできるだけ避けている。

「ま、そればっかりはお楽しみやな。落ちてたらなぐさめてくれよ」

3人が同時に「まかせて」と答えた。その返事がおかしくて俺は笑う。もし落ちても、彼らがいれば、俺はまだまだやっていける気がした。

「もうすぐ、高校も卒業しちゃうのか」

高宮が寂しそうに言う。

明日登校したらもう、明後日が卒業証書の授与式だ。そのあとは、試験の結果の報告やら何やらで学校に顔を出すことはあるだろうが、これまでみたいにクラスのみんなが一堂に会することはなくなる。

「なんか、色々あったよねー」

「こうして見るとあっという間やったな」

「もうクラスのみんなと会うことも減るんかな」

それぞれが思い思いにつぶやく。

「俺さ、実は高校生活の中でこの1年が一番楽しかった。まあ、受験はきつかったけどな」

俺は素直に自分の気持ちをさらけ出した。少なくともこの3人になら、今はもう、そうすることに抵抗はない。

「うん、私もー」

「俺も」

「私も!」

そう言って4人で顔を合わせたら、なんだかおかしくなって、みんな笑い出した。受験がひと段落ついたことによる解放感からか、それとも今日4人で集まれたことに対する嬉しさからか、みんないつも以上に明るい。

「とにかく、大学始まるまでの1ヶ月はみんなで遊ぼうよ」

「うん! また竹下くん達も連れてさ! 結衣やさくらも一緒にね!」

高宮の口からその言葉が出てきたのは、俺と、きっと大楠にとっても、安心だった。野間と七隈さんが一緒にいるところを見ることになっても、それでも、高宮はみんなと一緒にいたいと思ってくれているのだ。

気付けば3時間ほどしゃべっていて、今日はそろそろ解散することにした。明日は学校があるし、何よりこれから時間はいくらでもあるのだから、いつでもすぐに会えるのだ。

俺と大楠は自転車、野間と高宮は歩きだった。

「それじゃ」

カフェの前で別れを告げて、野間と高宮は自宅へ向かう。

俺と大楠は、その場に残っていた。

これから、俺は大楠に想いを伝えるのだ。

事前に大楠には、カフェのあと2人で話したいと伝えていた。もちろん、野間と高宮も、俺がこれから大楠に告白することを知っている。だからこそ、2人とも何も言わずに俺たちを残して家路についたのだ。

「家まで送るよ」

2人で自転車を押しながら歩く光景は、あの日、大楠に断られた時のことを思い出させる。

あれから4ヶ月も経ったのか……。

もうあれこれ言葉を探す必要も、頭の中で文章を練る必要もない。ここまで来たら、ただ一言、「大楠が好きだ」と伝えるだけだ。

長いような短いような彼女の家までの道のりを、俺たちは1歩ずつ、確かにあゆんでいった。