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第2章:俺の後悔

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〇8月16日(木) タイムスリップ138日目

お盆の最終日。暦の上ではもう秋になるらしい。それでも福岡にはいまだにどっかりと夏の暑さが居座っている。

……することがない。いつもならバイトのない日も小説や漫画を読んで過ごしているが、今日はその気も起きない。

仕方ないし、散歩にでも出掛けるか。

何となく気の向くままに外を歩いて、そう言えばこの道は中学時代の通学路だったなと気付く。

中学に入りたてのころ、俺は今よりもずっと明るかった。どちらかと言えば目立つのが好きで、授業中によくふざけては先生に怒られていた。良くも悪くも周りから注目は受けていたと思う。

そんな俺の性格が変わったのは部活に所属してからだ。調子に乗った後輩として、先輩たちに目を付けられてしまった。今思えば自分にも非はあった。練習中にふざけたこともあったし、冗談とは言え、先輩に対して失礼なことを言ったこともあった。いずれにせよ、その結果として、他の1年部員と比べて俺に対する態度が冷たくなったり、試合で失敗したときに悪口を言われたりすることが増えた。

もちろん俺は、先輩たちから目を付けられたところで、それに対抗するような度胸など持ち合わせていなかった。最終的に俺は2年の途中で部活をやめ、それと引き換えに、目立たないようにすることと相手の心情をできるだけ推しはかるようにすることを覚えた。

相手の心情を推し量るというと聞こえはいいが、要するに常にビビっているということだ。相手の気に障ることは言わないよう細心の注意を払うし、人から嫌われそうな行動や発言は控えるようにした。

友達との付き合い方も変わった。表面上は引き続き明るくふるまっていたけれど、人と深く関わるのをためらうようになった。深く関わったがために自分の嫌なところが出て、相手に嫌われてしまうのが怖かったし、仲良くなれば仲良くなるほど嫌われたときの反動が大きいことも直感的にわかっていた。そして、何よりあのショックや疎外感を感じるのはもうごめんだった。

とにかく俺は、たとえそれが薄っぺらいものであっても、人との関係を円満に保つことを最優先するようになっていた。

坂をのぼりきると真野中学校が見えてくる。懐かしくはあったが、さすがに校内に入る気はなかったので、その周りをぐるっと歩くことにした。

道をはさんで向かい側には県内トップクラスの高校が位置しており、それを横目に見ながら通り過ぎる。本当は、立地的にも偏差値的にもこの高校へ進学できれば良かったのだが、当時の俺の学力では受かるかどうか微妙なラインだったし、真面目に受験勉強をしてまで行きたいとも思わなかったため、大人しく中央高校を受けることにしたのだ。

――もしも、この高校を受けていたら俺の人生は変わっていたのだろうか。

のちの成績開示でわかったのだが、実は県内統一の入学試験の結果だけなら合格ラインを越えていたのだ。他方で、中学の内申点はそれほど良くなかったため、結局のところ、落ちていた可能性もあるのだが。

もちろん俺は中央高校に通ったこと自体を後悔しているわけではない。中央高校での学生生活には楽しいことだってそれなりにあった。それに、今の後悔は全部俺の不甲斐ふがいなさのせいで生まれたものだ。それを高校のせいにするつもりは毛頭ない。

毛頭ないが、それでも少しくらい「別の高校に通っていれば、今ごろはもっと楽しく過ごせていたのだろうか」と妄想したくなるときもある。

途中で道を曲がって、中学校の裏口の前を通る。そのまままっすぐ行くと、小さな駄菓子屋が目に入った。部活動で学校の外周を走らされていたとき、のどが渇くとこっそりここで飲み物を買って飲んでいたのを思い出す。

「まだあったのか……」

つい懐かしくなってふらりと立ち寄る。内装はあまり変わっていなかったが、壁に貼られている絵の数が記憶よりもずっと増えていた。それらはここの店主であるおばあちゃんが趣味で描く、風景画や子供たちの似顔絵だ。

高校に入学した俺は、あまり積極的に人と関わろうとしなかった。とは言え、表面上は中学同様、明るくふるまっていたし、冗談だってそれなりに言う。もちろん部活には入らなかったから、他クラスの友達はあまりできなかったけど、同じクラスにならそれなりに友達を作ることはできた。1年生のときも、2年生も3年生も。

ただ、そんな付き合いしかしていなかったから、大学に入るととたんに誰とも連絡を取ることがなくなった。こちらから連絡を取ることはないし、向こうから連絡が来ることもない。

店内にずらっと並ぶ駄菓子の中から、昔、俺が食べていたものを取っていく。

「あら、いらっしゃい」

顔を上げると店主のおばあちゃんがレジの奥の部屋からゆっくりと出てきた。

「ここしばらくは暑くて全然人が来んけんねぇ。特にお兄さんくらいの人が来るのは珍しかばい」

「はは、そうなんですか」

そりゃあこの歳で駄菓子屋に行く人はそれほど多くはいるまい。指摘されて少し恥ずかしくなった。

こうなったらさっさと駄菓子を買って近くの公園ででも食べよう、と残りの駄菓子を選んでいると、おばあちゃんがコップに冷たい水を入れてこちらに手渡してきた。

「はい、これ。暑かろうけん飲みんしゃい」

「あ、ありがとうございます」

なんてこった。これでこの水を飲み終わるまで店を出づらくなってしまった……。

おばあちゃんのご厚意を半分感謝の気持ちで、半分決まりの悪い思いで受け取りつつ、俺はお返しに自分の選んだ駄菓子をおばあちゃんに手渡した。

「これ、お願いします」

「はい、全部で160円ね」

これだけ買ってもたったの160円か。これが駄菓子のすごいところだ。

店内に置かれているテーブルの上にコップと駄菓子を置き、俺はすぐ横の椅子に座る。

――ビリッ

……はずれか。

そのまま開けたばかりの駄菓子を口の中に放り込む。懐かしい。ここでこんなふうに食べるのも中学以来だ。

浅い付き合いしかしてこなかった俺の高校生活の中で、唯一の例外になり得たのが大楠、高宮との出会いだった。そして、小学校からの付き合い、つまり俺の性格が変わる前にできた本当の意味で素直に接することのできる友達の野間が同じクラスに来てくれたのも、今思えばすごい偶然だった。

あの3人と過ごした時間は本当に楽しかった。くだらない会話がずっと続いて、それなのにまったく飽きない。何と言うか、お互いに相手のことを信頼してるからこそ言える冗談みたいなのがあって、そこには確かに相手も自分のことを大事な友達だと思ってくれているんだと思える関係があった。そして、何よりも俺の好きな人がそこにいた。彼女が俺に笑いかけたり冗談を言ったり、ただ目が合うだけでも俺は気持ち悪いくらいに嬉しくなった。

俺たち4人の関係が壊れるなんて想像すらしていなかった。ずっと仲良くやっていけると思っていた。いや、ずっと仲良くできていたのかもしれない。俺がみんなを引き留めることができてさえいれば。

口の中で溶け出す駄菓子の甘みが、胸の苦しみを少しだけ和らげてくれる。その味は俺が中学のときに食べていたものとまったく変わっていなかった。

……中学のころの明るい俺のままだったら、もっと上手くやれていたのだろうか。

「お兄さんは学生さんかい?」

店主の声に俺はグイッと現実に引き戻された。

「あぁ、いえ、社会人です」

「そうね、こっちで働きんしゃあと?」

「いえ、東京です。今はしばらく休んじゃってるんですけどね」

苦笑いしながら言う。言ったあとで、どうせ今はお盆なのだから福岡に帰ってきてるとだけ言えばごまかせただろうにと後悔した。

「まあそうね、やけど若いとまだまだこれから何でも出来るけん羨ましかねぇ」

「はは、そうですかね。今でも結構、年取った気になっちゃってますけど」

「なに言っとんね。もしも私がね、お兄さんくらいのころに戻れたら、まだまだやりたいこといっぱいあるとよ」

「そういうもんなんですかねぇ」

今の俺は高校生の頃に戻れたらどれだけいいかと思う。そして、目の前のおばあちゃんは俺の歳に戻れたらいいのにと言う。結局、人生ってこういうものなのかも知れない。きっと10年後の俺はやり残したことを悔やんで、今の俺に戻れたらいいのにと思っているのだろう。

それでも、だからっていつまでもこんなふうに昔のことに囚われていていいわけじゃない。このままじゃ駄目なんだ。きっといつかは元の世界に戻ることになる。そのときは、俺も新たなスタートを切らなくてはならない。「俺」だって変わろうと一生懸命頑張っているんだ。俺も見習わなければ。

「おばあちゃんは、駄菓子屋さんをする前は何をしてたんですか?」

こちらから話しかけると店主は嬉しそうな顔をした。店主はおしゃべり好きのようだ。

「最初はずっと会社で働いとったんよ。OLさんばい。やけど、途中で結婚やらなんやらあって、お仕事辞めてねぇ。それで、10年くらい前やったかな、お姉ちゃんと一緒に実家のこのお店を手伝うことになって。それからは店番しながらおじいちゃんが持っとったアパートのお部屋を他の人に貸したりして、なんとか暮らしとるんよ」

昔を思い出すように、小首をかしげながら話してくれた。

「お兄さんはお仕事楽しくないとね?」

その質問は俺にとって何だかおかしかった。毎月の残業が当たり前のように100時間を越える職場だ。4ヶ月前までの俺はその日その日の仕事をやりくりするのに必死で、仕事が楽しいかどうかなんて考えたこともなかった。

なんだかやり切れない気持ちが込み上げてきたが、俺は精一杯それを抑え付けて努めて”普通”の回答をする。

「まあ楽しくはないですね。でも、それはきっとみんな同じですよ」

「今の若い人たちも色々大変みたいやねぇ。ほら、過労死なんて言葉も聞くようになったやないね。やけどね、何もせんといつの間にかこんなおばあちゃんになってしまうけん、若いうちに好きなことばしときんしゃい」

好きなことか、そうだよな。

「はい、そうします」

俺はにこっと笑うと、ちょうど食べ終わった駄菓子のゴミを近くのゴミ箱に捨てて、コップをおばあちゃんに返す。

「お水、ありがとうございました。また来ます」

「ええ、いつでもきんしゃい」

少し遠回りになってしまうけど、帰りはできるだけ来た道と違う道を通って帰ることにした。

「ただいま」

玄関のドアを開けて家の中に入る。中の様子から察するに「俺」は部屋で勉強をしていて、母さんはリビングにいるようだ。出かける前と大して状況は変わっていない。

玄関を上がってリビングに入るなり、母さんが俺を見つけて言った。

「あら、おかえりなさい」

どうやら先ほどの「ただいま」は聞こえていなかったようだ。

「……ただいま」

考えてみると、あれから何だかんだで4ヶ月以上経ってるが、母さんは俺のことをどう思っているんだろう。と言うよりも……。

「そう言えばさ、どうして何にも聞かんと? 未来のこととか、俺が向こうで何をしているのかとか」

母さんは俺がこっちに来てから一度も俺の状況についてきいてこないのだ。興味がないのか? いや、普通は気になるだろう。

「だってあんた、そういうこときかれるの嫌いでしょ?」

確かに俺は自分のことをきかれるのが嫌いだ。大して話すような内容なんてないし、変なことを言って期待されたり失望されたりするのはまっぴらごめんだ。

「まあ、そうやけど」

母さんは手元のカップを持ち上げて一口飲み、そっとテーブルの上に戻す。きっといつも飲んでいるコーヒーだ。

「今だって自分で勝手にバイト見つけて、たまに家事手伝ったりしてるじゃない。そりゃあ未来で拓哉がどんなことしてるのか気になるけど、そういうの見てたらもう自分一人でちゃんと出来てるんだと思ったからね。それならもうきかなくてもいいかと思って」

「自分一人でちゃんと出来てる……」

……わけではない。確かに高校を卒業してからの俺は、1人で物事を決めたり何かをしたりすることが多くなった。大学では、勉強も就職も人には頼らず全部自分でやった。大学卒業後は、東京での一人暮らしや仕事のすべなど、さらに多くのことを自主的に学んでいった。でもそれは、単純に1人でいる時間が多かったからだ。情報を共有できる相手がいなかったのだ。

本格的に仕事が始まってからは、終電帰りが続いた。タクシーで帰ることも多かったし、休日出勤もほとんど毎週発生していた。そうなると、仕事のない日もまった洗濯と部屋の掃除、買い物に追われていつの間にか終わってしまう。自由な時間はほとんどなくなって、今度は世の中から取り残されたような気分になった。

俺はますます1人になっていくのか。ふと、そう思うこともあったが、幸か不幸か日々の激務がそんな考えにふける時間も与えてはくれなかった。

「……ちゃんと、出来てるわけやないよ」

苦い想いが胸から込み上げてくる。その重さに押し潰されそうになるけど、かみしめて、声を絞り出してしゃべる。

「高校を卒業した後の俺は、形だけ見れば大学も就職も上手くいったと思う。やけど、全然嬉しくなかった。大学にいる時も仕事が始まってからも、なんか、中身は何も変わってないのに日付だけが過ぎていってる感じで」

人に弱みを見せるのは嫌いだった。たとえそれが母親相手であっても。

自分がしょうもない人間だということは自分でよくわかっている。それをわざわざ人にさらけ出して客観的にお墨付きをもらう必要はないだろう。

じゃあ、今はどうして。

これまでの「俺」の頑張りを見せつけられているからか、それとも、何を言ってもどうせいずれは去る世界なのだと思っているからか。

自分でもわからないが、今は少しだけ自分の弱みを見せたい、自分の気持ちを伝えたいと思えた。

「今は、一度全部やり直したいと思ってる。できるだけ早く」

そこまで言って俺は大事なことに気付いた。それに気付いて慌てて、だけどおそるおそる付け加える。

「……たぶんそのことで、また母さんの世話になっちゃうと思うけど」

母さんは再びカップの中身を一口飲むと、いつもの口調で言った。

「あんたの好きにしなさい。どんな仕事をしていようが、拓哉の人生なんだからあんたが一番良いと思う選択をすればいいわ。それに、いまさら少しお世話する期間が増えるくらいどうってことないわよ。6年後の母さんも同じことを言うはずよ」

俺と母さんの関係は、ことさら良好というわけではない。だけど、俺が何かしら自分の思いを伝えるとき、母さんがそれを否定することはこれまでの人生で一度たりともなかった。

「ごめん、……ありがとう」

元の世界に戻ったら、今度はちゃんと前を向いて日々を過ごしていきたい。

できることなら10年後の俺が、今の俺に戻りたいなんて思わないように。

●9月10日(土) タイムスリップ163日目

「はい、これー」

福岡県立中央高等学校、第66回体育大会当日。みんなが体操服姿で登校しているのが何だか奇妙で面白い。

教室で朝のホームルームを終えて、これから校庭に向かおうと席を立ったところで大楠から声をかけられた。

彼女はこぶしを握ったまま手を差し出す。俺の方も黙ってその下に自分の手のひらを差し出した。開かれた大楠の手から何かがポトンと落ちてくる。

「これは、お守り?」

「うん、受験合格のお守り! お盆休みの間に太宰府行ってきたんよー。休み明けたらもう行く時間ないかも知れんけんねー」

やばい、すごく嬉しい。

胸が一気に高鳴った。

「あーね、ありがと!」

だからこそ、あまりにそれを出し過ぎて引かれるのが嫌で、丁度いい具合に喜んで見せるよう頑張る。自分で言うのもなんだが、こういうあたりが俺らしいところだ。

そして、ふと疑問が湧き上がる。

「あれ、でもどうしてお盆休みに買ったものを今渡すん?」

「いやね、せっかくお土産買ったのにその袋をどこかに置いて帰っちゃって。ようやく昨日、見つかって返ってきたんよ。中身も無事やった。やっぱりお守りのおかげかなー?」

うふふ、と嬉しそうに笑う大楠を見ながら、俺はすっかり呆れていた。やっぱり大楠には、天然というか、どこかこう、抜けているところがある。

「それじゃ、またね!」

大楠は上機嫌にそう言うと、サッと俺の前を通り過ぎていった。その姿を見て、俺は能古島でのあの夜の出来事を思い出してしまう。

自分でもわかっている。ほうけているというのはきっとこういう状態を指すのだ。

手のひらに乗っているお守りに再度、目を移す。ベージュ色の生地に、花の絵が織り込まれていて、中央には「学業御守」の文字が整列している。普通のお守りだ。しかし、それを裏返しにしてみると、お守りの3分の1ほどの面積にぶち模様の猫のシールがでーんと貼られていた。

クスッと笑いが込み上げてくる。「なんだよこれ」

俺はそのままもらったお守りをカバンのショルダーストラップの付け根に巻き付けた。お守り付きのカバンを1、2秒ほど眺めたところで、すでにほとんどの生徒が教室を出てしまっていることに気づき、慌てて教室をあとにした。

開所式と準備運動。体育大会の中で最も面白くない2つの種目がようやく終わり、やっとベンチに座ることができた。それはこの日のために校庭に特別に設置された、全校生徒が座れるほどの巨大な階段型のベンチだ。

中央高校の体育大会は赤、青、白の3ブロック対抗となっていて、ベンチもブロックごとに造られている。そして、ベンチの最上部にはそれぞれのバックボード係の生徒たちが作成した大きな絵が掲げられている。絵には毎年、虎だの龍だのをモチーフにしたものが描かれていて、素人の作品ながらかなりの迫力があった。ちなみに、3-7が所属する今年の白ブロックのバックボードには白虎が描かれている。

聖火リレーが終わり、ついに最初の競技となる短距離走が始まる。

ふと、俺を呼ぶ声がしたのはそれが始まってすぐのことだった。

「おーい、野間が呼んどるよ」

となりからの声に反応して、ベンチのはしを見ると、野間が決まりの悪そうな顔をして手すりにもたれながらこちらを見ていた。

俺は不思議に思いながら席を立って、野間のところへと向かう。

「このあとの集団演技終わったら、ベンチの裏側で待っとってくれんか? ちょっと話したいことがあるんよ」

いきなりどうしたのか。状況がよくわからず俺はただただ気の抜けた返事をする。

「うん、いいけど」

集団演技が終わったあと、そのままベンチへは戻らず、裏側に残っているとすぐに野間が現れた。

「今から教室に行くけん」

「えっ、教室?」

異論は認めんとばかりに、それだけ言うと野間はさっさと歩いて行ってしまった。仕方なく、俺はそれ以上なにも言わず、ただそのあとをついていく。

「俺、七隈と付き合うことになった」

2人でこっそりと戻った教室の真ん中で、何の前触れもなく野間はそう告げた。

1つ閉め忘れられた窓からは競技の様子を実況する放送の声や生徒たちの声援が聞こえてくる。外では男女混合のリレーが行われていた。

男女混合リレーは数ある競技の中でも、獲得できるポイント数が高いから注目される。競技に出場しない生徒たちも、きっとみんな、ベンチに座って応援したり、レースの行くすえを見守ったりしているのだろう。

「…………え?」

「やけん、七隈さくらから告白されてОKしたんよ」

「はあ……?」

野間の言葉が頭に入ってこない。

「ええぇーー!?」

2、3秒経って、ようやく、そう反応することができた。

「ちょっと待て、お前が七隈さんと? 何が起こったんだよ!?」

野間は恥ずかしそうに困った顔をしながら、ことの顛末てんまつを説明する。

「俺と七隈って同じ塾に通ってるやろ? やけん塾帰りとかにしょっちゅう話してたんよ。そしたら昨日、急に告白されてさ。驚いたけど嬉しかった。その場で返事して付き合うことになったんよ」

野間は嬉しそうだった。それなら、俺が横から口出しすることは何もない。そのくらい、わかってる。

「そうか。このこと、他に誰か知っとるん?」

「いや、俺から言うのはお前が初めてだ。七隈がもう誰かに言っとるかもしれんけど」

……高宮は、もう知っているのだろうか。

「なあ」

野間が改まって俺の目を見る。どうやら野間が本当に伝えたいことはここからのようだ。

「これは俺の問題だってのはわかってる。だから若久にこんなこと言うのも筋違いなんやけど、これから高宮たちといるとき、俺は少し気まずそうに振る舞うかもしれない。でも、俺はこれまで通りみんなで仲良くやっていきたいんだ。やけんさ、もし俺がそういうふうに見えてもそれは本心じゃないけん。そのせいで4人の仲がこじれそうになるときは、そうならないように、できればお前に協力して欲しい。急にこんなこと言われても困るやろうけど、若久には俺がそう思っとるって伝えたかった」

まったくだ。そんなことを急に言われても困る。困るけど、「俺」はきっとこんな瞬間のためにこの世界にやってきた。俺だって、これから4人の中で何かが起こることくらい予想はしてたし、ずっとそれを覚悟してきたんだ。

「わかった。俺にできることはなんでもするけん」

その返事を聞いて、野間は嬉しそうに微笑ほほえんだ。

「やけど、野間は何が気まずいん?」

そりゃあ彼女ができたのだから、他の女子といつまでも仲良くするのは申し訳ないと思うかも知れない。だけど、高宮や大楠だって七隈さんの友達だ。それとも、野間と高宮たちの間で何かあったのだろうか。

「別に高宮たちと何かがあったわけじゃないけど、まあ、俺の勘違いみたいなやつかな。曖昧あいまいですまんけど、とにかく俺の中でちょっとあるんよ」

たぶん野間にも俺の知らない何かがあるんだろう。4月からずっと、出来る限りみんなのことを知ろうと頑張ってきたつもりだったけど、七隈さんとのことも含めて、まだまだ俺の知らないことは存在する。

それは少し悲しいけど、今はできることをするしかない。

「そうか。とにかく、俺は大丈夫やけん。何かあればいつでも協力する」

野間はホッとした表情を浮かべた。

「ありがとな」

俺は俺たちの他には誰もいない教室をぐるっと見渡した。そして、これまでのことを思い返してみた。4人でたくさんのことを話した。たくさん笑って、たくさんお互いのことを知った。

ここからが正念場だ。絶対に俺たち4人の関係を終わらせてたまるか。

「それじゃあ、戻ろう」

2人で教室を出て、再び校庭へと向かった。

時間はあっという間に過ぎた。

気付けばもう昼食の時間になっていて、みんなで教室に戻ってご飯を食べる。

今のところ、俺たち白ブロックの順位は2位だ。1位との差はわずかで、まだまだ優勝を狙える。そのためか、周りの雰囲気も心持ち明るい。

俺は、一緒にその雰囲気の中に溶け込めたらいいのに、と思いながら目の前のご飯をただひたすら口へと運んでいった。

野間との会話がずっと頭の中で繰り返し再生されていく。

なんだか腑に落ちない。

「いててて」

カバンを肩に掛けると、思わず口からこぼれ出た。すでに帰りのホームルームは終わっていて、クラスの生徒たちが笑いながら教室を出ていく。

「派手にやったよな」

竹下がニヤニヤしながら言う。

中央高校体育大会の目玉競技の1つである「天下取り」。これは、第3学年の男子生徒全員が参加する、いわゆる旗取り合戦だ。2ブロックずつ戦い、計3回行われる。校庭を2分割して、それぞれの陣に旗をくくりつけた丸太を立て、より早く相手の陣へ攻め込み旗を奪い取ったブロックの勝ちとなる。

「天下取り」は全競技の中で最も激しく、けが人も出やすい。服を引っ張られると危ないので、全員が上半身を脱いだ状態で参加するのだが、俺の場合はそれが裏目に出て、相手ブロックの生徒とぶつかったときに派手に転んで背中を擦りむいてしまったのだ。

「まじでお前には天罰が下るけんな」

俺は敵意を込めて、うなるように言い返す。

「でもさ、お前の犠牲が白ブロックに優勝をもたらしたのかも知れんぜ?」

俺が派手に倒れたおかげで、相手ブロックの攻めが一瞬ひるんだのは事実だ。その一戦は白ブロックが勝ち、最終的に体育大会で優勝したのも事実である。だが、全校生徒、いや、その保護者までもが見ている中で、先生に付き添われながら保健室へ向かわなくてはならなくなったことを考えると、これ以上不名誉なことはない。

加えて、けがをしたのは俺の方だったが、あの場面でぼんやりしていたのも俺の方だったため文句は言えず、やり場のない思いはつのる一方である。

「もういい、とにかく帰る」

その場の流れで竹下、警固、野間の3人で帰ろうとなったが、野間は用事があって学校に残るらしい。こんなときに限ってメンツが揃わないのもなんだか歯がゆい。誰のおかげでぼーっとしてたと思ってるんだ。

「あ、水筒忘れた」

そう気付いたのは、3人で校門を抜けて5分ほど自転車をこいだときだった。今日はさっぱり歯車が噛み合わない。

「はは、まじで?」

竹下と警固が笑う。

「はぁ、最悪やん。取り戻るけん先に帰っとって」

「おっけ、それじゃあまたな」

2人と別れて再び学校に向かう。いい加減、胸の中にあるもやもやが怒りに変わってきそうだ。とはいえ、怒ったところでその矛先を向ける相手は自分自身しかいないのだから、それが不毛であることは間違いない。

道を曲がると学校が見えてきた。ここをまっすぐ行けば左手に校門が出てくる。

そのとき、2人組が校門からこちらの道へ出てきて、俺とすれ違った。

――野間と七隈さんだ。

俺は反射的に自転車を止め、後ろを振り返る。野間は自転車を手で押しながら歩いていて、そのすぐとなりで七隈さんが何やら笑っている。2人とも俺には気付かなかったようだ。

2人の姿がどんどん離れていく。まるで体内の水分がすべて氷になってしまったみたいに、俺はそこから動くことも、その光景から目を離すこともできなくなっていた。

……そりゃあ、腑に落ちないさ。

だって、俺はずっと思っていたんだ。

お前は、高宮のことが好きなんだって。

そして、高宮もお前のことを……。

●9月13日(火) タイムスリップ166日目

体育大会明けの最初の週。月曜日は代休だったから、あれからみんなと顔を合わせるのは今日が初めてだ。

教室のドアを開けて中に入る。

今まで通りってわけにはいかないだろうけど、少なくとも俺が何をすべきなのかはわかってるつもりだ。

「おはよう」

入り口から俺の席までの途中に高宮の席がある。

「おはよう、今日もギリギリやね!」

高宮はニヤッとしながら笑顔で俺に返事をする。

その明るさが逆に俺を不安にさせる。無理に作られたものじゃなければいいけど……。いや、そもそも、いつもなら大楠や野間と、そうじゃなければそれこそ七隈さんたちとしゃべっているはずだ。どうして今日は1人で自分の椅子に座っているんだ。それともただ、俺が気にしすぎなだけなのか。

朝課外、朝のホームルーム、1限目、2限目、3限目、4限目。結局、高宮たちと話すことなく昼休みが来てしまった。俺は何だか虚しい気持ちになりながら、いつものように男子4人で集まって昼ご飯を食べる。みんなのバカ話が全然耳に入ってこない。

チラリと高宮の方を見ると、彼女もいつもの女子5人でご飯を食べていた。普段と変わらずに明るく振る舞っているように見える。

……正直よくはわからないし、俺の勝手な先入観なのかもしれない。だけど、やっぱりどこか変な気がする。

もしも本当に何かが変わってしまっていたとして、俺はそうなるかも知れないという覚悟はちゃんとしてきた。同じてつを踏んじゃダメだ。だから、ただ待つんじゃなくて、昼休みが終わる前に俺から高宮に話しかけにいく。

何の話をしよう。今まではどんな話をしていた? 昨日見たドラマとか最近の流行りの話か、あとは授業のことだ。でも、受験勉強でテレビなんかほとんど見てないからドラマや流行りのことはさっぱりわからない。授業の話だってこの時期だと新しく学ぶ内容はほとんど残ってないんだから、わざわざ話すほどのことは思い付かない。

そう考えると、受験シーズンってほんとに味気がない。勉強が前面に押し出されて、代わりにそれまで前に出ていたものが後ろに追いやられていく。何だか、人との関係が少しずつ薄くされていく気がする。これがあと5ヶ月も続くのか……。

昼休みが終わる直前、すでに席に着いていた高宮の元へ向かう。話す内容なんて、この際何でもいい。大事なことは、どんな形であれ俺たち4人が離れないようにすることだ。

「なあ、今日4人で一緒に帰らん? 最近、みんな塾で帰るタイミングばらばらやし」

俺の言葉に高宮は明るい声で、ただ、困った顔は隠し切れないまま返事をする。

「あー、ごめん。今日はちょっと用事あるんよ! それに、野間は一緒に帰るんやないと?」

誰と、というのをあえてぼかしたその言い方が妙に胸に刺さった。

「……なんだよその言い方。せっかくなんやしさ、野間も一緒に帰ってくれるやろ」

「うーん、あのさ、そもそも野間は私たちと一緒に帰るって言っとるん? 帆乃だって今日は塾の日やし」

なんだか煮え切らない返事だ。避けられている、のだろうか。

「あのさ、高宮。……大丈夫だよな?」

熱を帯びた想いがふつふつと込み上げてくる。こんなふうにして、今まであんなに仲の良かった野間と高宮が離れてしまうのは絶対に嫌だ。俺がつなぎとめるんだ。2人を。いや、俺たち4人を。

「はは、大丈夫って何がよ。まあ最近はみんなそれぞれ忙しいみたいやし、前みたいに一緒にいれなくても仕方ないよ」

仕方ないってなんだよ。嫌だぞ、俺は。絶対に嫌だ。

「……大丈夫だよな、俺たちは!」

最後は力がこもって少し声が大きくなってしまった。周りにも聞こえてしまったかもしれない。でも、今はそんなことはどうでもいい。

「……なんか、ごめんね」

しばらくの沈黙のあと、高宮は申し訳なさそうにしゃべった。

「でも、とにかく今日は用事があるけん、一緒には帰れんっちゃん。また今度一緒に帰ろうよ、ねっ!」

なんだかそれは、俺をなだめているようにも聞こえた。どうして俺がなだめられているのか……。

次に言うべき言葉が見つからずに、俺はそのまま黙ってしまった。

結局その日は、みんなばらばらに学校から帰った。

「やっぱり、そうなったか」

その日の夜、全てを話すと「俺」は残念そうに言った。そして、「はぁ」とため息をついたあと、まっすぐに俺の目を見て再び口を開いた。

「お前にはずっと待ってもらっとったけど、ついに全部話さんといかんみたいやな。かなり情けない話になるけど、とにかく過去に起こったことを順番に話していくけん、聞いてくれ」

「俺」の後悔は何なのか、そして、それはどのようにして起こったのか。ついにそれらが明らかになっていった。


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