第7章:最後の夏休み

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●8月1日(月) タイムスリップ123日目

夏休みが始まって早12日が経った。と言っても、夏季課外で毎日学校に通っているからあまり実感はない。

この時期になると、今まで塾に行ってなかった生徒も急に通い始めたり、放課後に教室に残って自習する生徒が増えたりと一気に受験モードに入る。

現に大楠も野間も高宮もいつの間にか塾に通うようになった。俺だけは相変わらず1人で勉強する方が好きだったから、塾には行かず自宅でせっせと独学していたが。

「今日は何の日でしょう!?」

すでに席替えがあって高宮とも席は離れていたが、休み時間にはちょくちょく4人で誰かの机に集まっていた。

「……大濠おおほり花火大会やろ?」

「せいかーい! というわけで行くよね?」

「2週間前から今日は空けておくようにってうるさく言ってたくせに何をいまさら」

野間が呆れながら言う。

「まあ、ほら、私たちの浴衣姿も見れるわけやし!」

「見れるわけやしー」

高宮も大楠も何だか嬉しそうだ。浴衣を着るのが楽しみなのだろう。

「それでね、」

高宮が少し間を置いて話を続ける。

「実は結衣たちにきいてみたら、花火大会行けるみたいでさ! せっかくやけんみんなで行かん? 竹下くんたちも誘って」

ちらりと野間を見ると、彼の方も少し肩をすくめながら俺を見返して「お好きに」といった具合だった。

「いいよ、俺からきいとく」

「ありがと!」

俺は早速、昼休みに竹下たちとご飯を食べながらその話を持ち出してみた。

「なあ、今日の花火大会、高宮たちが行くんやけどお前らも一緒に来ん?」

「え、うーん」

竹下も警固も困った顔をする。その反応は意外だった。高宮たちと何かあったのか?

「あれっ、どうしたん?」

「いやー、だってお前ら4人やろ? そこに俺らが行っても輪に入れないって」

警固の発言にうなずきながら竹下も一言付け加える。

「今やお前ら、おそろいの筆箱使う仲にまでなっとるけんな」

俺は野間の誕生日プレゼントにみんなで買ったペンケースのことを思い出す。

「ああ、やっぱりそれバレてるんか……」

俺が恥ずかしさから目をそらすと、ちょうど野間も同じようにうつむくのが見えた。

「いや、やけど今回はそうやなくて、愛宕さんや七隈さんたちも来ることになったんよ。やけんまたみんなで行かんかなって高宮が」

「あー、そういうことか! それなら1つ確かめさせてくれ」

竹下が急に真剣な表情になって言う。

「なんだよ」

「……女子は浴衣で来るのか?」

「お前やっぱ来なくていいよ」

その日、俺たちは夜の6時半に天神駅に集合して、地下鉄で大濠公園へ向かうことにした。

それにしても塾とか色々あるのに案外みんな来てくれることに驚いた。来てくれてよかった。これが高校最後の花火大会になるのだから。

約束の時間を5分ほど過ぎて大画面前に着く。

「ごめん、遅れた!」

俺の声にみんなが振り返る。大楠がわざとらしく「もー」と不満を漏らす。

「しょうがないなー」

女子はそれぞれ色の違う浴衣を着ていてとても綺麗だった。そして、こんなことを言うのは気持ち悪いとわかっているけど、大楠の浴衣姿を見ると自然と胸が高鳴ってしまう。

「あれ、西新さんはまだ来とらんと?」

西新さんだけがまだこの場にいなかった。意外だ。ああ見えて実は遅刻癖があるのだろうか。

そんなことを思う俺を見て竹下たちはニヤニヤする。なんだ?

「これ言うの2回目やけんね!」

高宮が眉を下げて、まったく、という顔をする。なるほど、きっと俺が着く前に竹下たちも同じ質問をしたのだ。

「恭子は彼氏と花火見に行くので一緒には来ません!」

「あー、そうなんやね」

「あれっ、反応うすいな! 恭子が付き合ってること知ってたん? 竹下くんとかめっちゃきいてきたのに」

いや、完全に初耳だ。何なら本当は俺だって誰と付き合ってるのかすごく気になる。だけど、どうせこのやり取りも俺が来る前に一通り終わってるのだろうから同じ手間をかけさせるのが申し訳ないと思ったのだ。あとで野間にでも詳しくきけばいい。

「まっ、とりあえずそろそろ行こーぜ!」

竹下が明るく言った。

まだ花火が打ち上がるまで1時間以上あったが、天神はすでにあちらこちらで浴衣姿の女性が歩いていた。今年もかなり混みそうだ。

地下に下りて電車に乗る。2つ目の駅で降りて出口を抜けると、もう目と鼻の先に公園の入り口が見えた。

この公園は市のほぼ中央に位置する巨大な都市公園で、大きさは東京ドーム8個半ほどもあるらしい。その面積の半分以上を占める大きな池の周りを遊歩道がぐるりと囲んでいて、普段は観光だけでなくジョギングをしに訪れる人も多い。

敷地内は屋台と人で埋め尽くされていて予想通りの混雑だった。

「とりあえず屋台回ろうぜ!」

竹下が楽しそうに言う。携帯で時間を確認すると、花火の打ち上げ開始までまだかなり余裕があった。

「竹下くん、元気だね」

そんな竹下の様子を見た愛宕さんが笑顔で返す。

「あはは、えーっと、今のはいい意味なのか?」

「知らんわ! 俺にきくな!」

警固は竹下から離れようとするが、竹下は彼の腕をがっしり掴んでそれを阻止する。

「く、離せ!」

そのやり取りを見ながら愛宕さんが楽しそうに言う。

「ふふ、いい意味だから安心してよ」

「まじ!? なんなら俺、屋台2周してくるけど?」

警固はようやく竹下を振りほどき、お返しにおそらく彼に出来得る限りの軽蔑けいべつ眼差まなざしを注いでいた。

「俺あそこの屋台ではしまき買ってくるわ。他に誰かいる?」

「あ、私も行くよ!」

「私はたこ焼きかなー」

「俺はあっちの焼きそば行ってくる」

集まった時間が中途半端なこともあって、みんなまだ夜ご飯を食べていなかったようだ。不思議なことに、みんなが食事に走る姿を見ると途端に俺もおなかが空いてくる。

全員が食べ物を買ってきたところで、俺たちは人の流れを避けて、近くの花壇かだんの縁に腰を下ろした。

「そういやさ、若久が薬院さんをフッたってほんと?」

各自がそれぞれの食べ物を2、3口食べたところで、竹下がいきなり爆弾を投下してきた。おかげで俺は危うく持っていたはしまきを地面に落としかけ、警固は持っていた焼きそばを見事に落とした。

「えぇー!?」

周りも相当に驚いたようだ。

「誰がそれを……?」

慌てて反応する。もちろん俺は彼女をフッたことなど誰にも話していない。例外的に野間、大楠、高宮にだけは相談に乗ってもらったこともあるため結果だけは伝えていたが、3人が俺との約束を破ってそのことを他の誰かに吹聴ふいちょうしたとも思えない。

「結構ウワサになっとるよ。特に薬院さんのいる5組ではかなり衝撃やったらしいぜ。男女どっちからも人気やったけんな。つーか、最近よく他クラスのやつらが俺らのクラス見に来てんの気付かんかったん?」

確かに他クラスの人がちょくちょく来ていたのは知ってたが、だからってまさか俺を見に来てるとは思わないだろう。

「それで、どうなんよ?」

竹下に警固、そして愛宕さん、七隈さんからの熱い視線を一身に受ける。野間たち3人は俺のことを気づかってか、目を合わせずにただ黙々と屋台で買ったものを食べていた。

「……そうだよ。もう手遅れかもしれんけど他の人には言うなよ」

「うわー、すごい」

「うん、驚いちゃった」

愛宕さんと七隈さんが思わず口を開く。

「あの薬院さんがお前を好きになるのも驚くけど、お前がそれを断るのはさらに驚きだぜ。一生分の運を使い果たしたな」

竹下がニヤニヤして言う。

「うっせーよ。俺だって同じこと思ってるわ」

「ま、気持ちはわかるかも」

愛宕さんがいたずらっぽい笑顔をこちらに向ける。すごく嫌な予感がした。

「他に好きな人がいたんでしょ?」

「えっ、まじで!? それ誰だよ!?」

「お前ちょっと黙れ、それは何となくわかるやろ」

警固が竹下の脇腹をグーで殴る。

「竹下くんニブいなー」

愛宕さんが笑いながらそう言って、言われた竹下は警固の方を見る。

「……言っとくけど、今のは確実に悪い意味やぞ」

「まじかぁ、あとで解説頼む」

とにかく俺はこの話題を早く終わらせたかった。今なら本当に顔から火を出せそうだ。

「とにかく、さっさと食べて屋台の続き見ようぜ。まだ半分も見てないやろ」

「ま、今はそういうことにしてあげようね」

「はは、うん。そうやね」

愛宕さんがわざと俺にも聞こえるように七隈さんに言い、七隈さんは俺の方を気にしつつ控え目に応えた。

「……愛宕さんって実は小悪魔的なところあるよな」

「ふふ、東京の女子は怖いのよ」

みんなが食べ終わると、俺たちは屋台を回りながら色々なことをした。

金魚すくいでは、野間、高宮、竹下、警固の4人が勝負をして最後は野間と高宮のデッドヒートとなった。高宮はお祭りに来るたびにやってると言っていたからまだしも、野間はあまり経験がないくせに上手に金魚をすくう。あいつは妙に器用なところがあって、テレビゲームに限らずこういうゲーム全般を得意とするのだ。結局、1匹差で高宮に軍配が上がり、野間は悔しそうにしていた。

竹下は屋台のくじ引きを見つけると「ちょっとゲーム機当ててくるわ」と陽気に言い放ってくじを買い、見事にガラクタを掴まされていた。万が一、最新のゲーム機が当たったとして、もう受験期だって言うのにどうするつもりだったのだろうか。

大楠と愛宕さん、七隈さんはそれぞれきれいな色の水あめだったり、わた菓子だったりを食べながら、楽しそうに話していた。その様子はまさに可愛らしい女子高生といった感じで、それを眺めながら竹下と警固は「来てよかったな」と改めてお互いに確認し合っていた。今回ばかりは俺も心の中で同意した。

子供用のキャラクターや戦隊物のお面屋さんを見つけると、男子4人でじゃんけんをして、負けた野間が女子の知らぬ間にこっそりとお面を被って歩くことになった。ほどなくして女子たちはそれに気付いたが、見事に苦笑されてしまい、野間は割とヘコんでいた。あいつはなぜかよくこういったハズレ役を引かされる。

「私、ちょっとごみ捨ててくるねー」

大楠が手に持っていた水あめ用の割りばしを上にあげて言った。

「わかった! でもごみ捨て場だいぶ通り過ぎちゃったね」と高宮が困っているところで愛宕さんと七隈さんが素早く俺のそばに寄ってくる。

「ほらっ、チャンスだよ」

「私、応援してるけん」

やっぱりこの2人にはバレているようだ。恥ずかしくはあったが、ここで変に否定しても何にもならない。

「ああ、わ、わかったよ」

手に持っていたジュース缶を飲み干し、それを捨てる口実で大楠と一緒にごみ捨て場まで行くことにした。

人混みをき分けながら、2人で来た道を戻っていく。

「迷わないようにって言ってたけど、若久くんと一緒やと結局迷っちゃうかもねー」

「な、なんだよ。もし迷っても1人より2人の方がいいやろ」

「ふふ、そうやねー」

まったく、人の気も知らないで……。

その時、突然、銃声にも似た轟音が体を突き刺す。反射的に顔を上げると、夜空に花火が咲いていた。ここの花火は発射台がすぐ近くにあるから、見た目だけでなく音の迫力もすごいのだ。

「うわっ、びっくりしたー」

「うん、銃で撃たれたかと思った」

「はは、私もー。……きれいやね」

ところが、じっくりと花火を見る間もなく、周りの人たちが急いで移動し始めたため、俺たちは人の波に飲み込まれてしまった。

「大楠!」

波にさらわれて大楠の姿が見えなくなる。俺は慌てて波を抜けて道の端っこへ飛び出した。

「……良かった、ここにいたんか」

大楠も同じように道の端っこで心配そうにこちらを見ていた。

「うん、離れ離れになっちゃうかと思ったよ」

「ごめん」

せっかく大楠をエスコートしに来たのに、これじゃあ役立たずもいいところじゃないか。俺は恐る恐る右手を大楠の前に差し出す。

「……もし良かったらさ、手、つながんかな?」

これで断られたらしばらく学校を休もう。

「…………」

大楠は俺のことをじっと見つめていたが、すぐに笑顔を返してくれた。

「いいよー」

大楠の手と俺の手がゆっくりと重なる。温かくて柔らかい。やばい、ニヤけそう。

「今ちょっとニヤけんかったー?」

大楠がからかうように言う。

「え、まじ!?」

我慢したはずが立派にニヤけてたのか。

「こわーい」

「そ、そういうのじゃないって」

夜空を彩るきれいな花火。すぐとなりで俺の手を握る浴衣姿の大楠。周りの喧騒けんそうから取り残されてゆっくりと進む2人の時間。あとはこんなかっこ悪い追及を受けてさえいなければ良かったんだけど。

手をつなぎながら再び人波を掻き分けていく。今度はさっきよりもゆっくりと慎重に。

順調に進みながらも、心の中では、いっそこのままゴミ捨て場が見つからなくても良いと思っていた。

俺も大楠も何も言わない。大楠の体温が俺の手を伝って感じられる。そう考えれば考えるほど胸が高鳴る。……この心臓の鼓動ってバレてないよな?

ちらりと大楠の方を見た。大楠は俺とは反対側の夜空に上がる花火を見上げていて、こちらからは彼女の顔が見えない。大楠は今、何を考えているんだろう。俺と手をつなぐのは良かったのか? つないでくれてるんだから迷惑なわけじゃないと信じたいけど。ああ、どんな表情をしているんだろう。こっちを向いてくれたらいいのに。

じっと大楠を見ていた。もう夜空のきれいな花火はほとんど俺の意識の中に入ってこない。

妙なタイミングで俺の願いは届き、ふと大楠がこちらを振り向いてきた。ばっちりと目が合う。「あ、やばっ」と心の中で叫んだが、大楠は特に気にしなかったようでただ笑顔で話しかけてきた。

「花火、きれいやねー。今日見に来て本当によかった」

そんな大楠の様子を見ていたら、緊張して変に身構えるのがバカバカしくなってきて、俺もありのままに振る舞おうと思った。

「うん、俺も。今日のこと、きっと高校卒業して大人になっても、ずっと忘れないと思う」

それを聞いた大楠は少し驚いたような表情をしたけれど、すぐに元の笑顔になって優しく「私もー」と言ってくれた。

結局、それからほどなくして、ゴミ捨て場にたどり着いてしまった。

手に持っていた空き缶を捨てる。これで片方の手が空いた。こんなふうにして、みんなのところに着く前には、つないでいるもう片方の手も空けないといけないのだろう。

「あれ、若久やん」

いきなり自分の名前を呼ぶ声がした。驚いた拍子ひょうしに、俺はつい、つないでいた手を放してしまう。ああ、くそ。やってしまった……。こういうところあるよな、俺……。

「おお、赤坂……と西新さん!?」

そこに立っていたのは赤坂と西新さんだった。2人とも浴衣姿だ。

「えっ、まさか、西新さんの彼氏って赤坂!?」

「うん、そうだよ」

西新さんが平然と答える。

「うわー、びっくり」

今まで見たことのない赤坂のちょっと照れた様子を目の当たりにしながら、俺は人のつながりって面白いなと妙なことを思った。

「そういう若久こそ、彼女がいるなんて知らんかったぜ」

赤坂が大楠を見ながら言い返す。

俺はドキッとした。なんて返せばいいのかわからなかった。もちろん否定すべきなのはわかっているけど、否定したくないのだ。

「あれ、2人は花菜たちと一緒に来たんやないと?」

まごつく間もなく西新さんが質問を被せる。

「うん、そうよー。今は2人でごみ捨てにきたところー」

「ほらぁ」

「なんだ、そういうことか」

結局、俺が何もしゃべることなく会話は終わってしまった。

胸の中にもやもやした気持ちが留まる。大楠はただ本当のことを言っただけだ。だけど、なんか俺だけが勝手に舞い上がって、そして俺だけが取り残されたような感じがして寂しかった。大楠にとっては手をつないだことも、ただ一緒にごみを捨てに行った、で済まされてしまうのか。なによりもそんなことに一喜一憂している自分が小さく思えてくる。

俺は夜の暗がりで自分の表情ができるだけ隠れるのを願った。夜空から聞こえる花火の音はなんだかずっと遠くで響いているように感じた。

「じゃあまたな!」

赤坂と西新さんは俺たちが来た道とは逆の方向に歩いていった。俺はその姿を、表面上は笑顔で手を振りながら、でも実は沈んだ気持ちでぼんやりと眺めていた。

「じゃあ俺たちも戻ろっか」

大楠も静かに頷く。

思えば、俺はいつも肝心なところで引いてしまっていた。さっきだって、自分の名前を呼ばれて慌てて大楠の手を放してしまったし、赤坂や西新さんの質問にはただ黙ることしかできなかった。「俺」はこのまま頑張れば後悔することはないだろうって言ってたけど、本当なのだろうか。結局、俺の本質的なところは何も変わっていないのに。

いまさらこんな思いをするくらいなら、今日は家で大人しく勉強でもしてた方が良かったのかな。

「…………」

俺が歩き出しても、大楠はその場に立ち止まったままだった。

どうしたんだ?

俺はすぐに足を止めて後ろを振り返る。

大楠はゆっくりと右手を俺に差し出してきた。

「帰りは、手つないでくれんとー?」

俺は言葉を失った。大楠はいつものように、にこっと笑いながら首をかしげている。

……ああ、そうか。たぶん俺の本当の欠点は肝心なところで引いてしまうことじゃない。そうじゃなくて、何でも自己完結させてしまうことなんだ。1人で勝手に舞い上がって、取り残されたように感じて、落ち込んでからに閉じこもる。頭の中だけで勝手に相手の気持ちを推しはかって、どうせそんなもんなんだろうって決めつけて、自分がそれ以上、傷つかないように振る舞おうとする。

俺は何も言わずに、ただしっかりと大楠の手をにぎった。

「あっ、またニヤニヤしとるよ? こわいなー」

「すまんけどもう隠せないみたいやけん、慣れてくれ」

「あはっ、なによそれー」

大楠たちと仲良くなりたくてこれまで頑張ってきた。そして、今はただの友達じゃなくてそれ以上になりたいと思っている。

望み過ぎなのかも知れない。いまだに俺が人から好意を持たれるような人間だなんて言える自信はない。だけど、俺は俺なりに一生懸命頑張ってきた。だから、今くらいは少しだけうぬぼれて、大楠から誘ってくれたことを素直に喜びたい。

「ありがとな」

ずっと夜空の花火を眺めている大楠に向かって静かに言った。

「ん? ごめん、何か言ったー?」

「いや、大丈夫。何でもない」

「あ、『ありがとな』って言ったのね! 私の方こそありがとー」

「……そこあとから気付くなよ、恥ずかしいから」

「ふふ、ところどころで聞こえてたのが今つながったのよー」

元いた場所に戻ると野間と高宮が待っていた。あれから花火の良く見える場所を見つけて、他のみんなはそこに移動したらしい。

実際に行ってみると、その場所は人も少なくて本当に良かった。木がまばらに植えられているから、一見視界がさえぎられてしまいそうに見えるけど、はしの方へ行けばちゃんと花火が見えるのだ。

「きれいやねー」

「やっぱ大濠の花火はすげーな」

大楠と警固が感心している横で、高宮と愛宕さんが声を揃えて夜空に叫ぶ。

「たーまやー!」

特大の花火が打ち上げられて、白い光が夜空を優しくおおった。

携帯は「21時34分」の文字を液晶に表示している。すでに花火は終わって、公園の遊歩道は帰路につく人で波ができていた。家に帰るには地下鉄を使わなければならなかったが、今すぐに動いても混雑に巻き込まれることがわかっていたから、俺たちは人混みが落ち着くまでしばらくその場で待つことにしていた。

「はぁ~、終わっちゃった」

高宮が残念そうに夜空を見上げて言うと、七隈さんが静かに頷く。

「花火って終わるとちょっとむなしくなっちゃうね」

「高校最後の花火大会、やったしな」と野間も同意した。そのとなりでは警固が両手を上げて背伸びをする。

「まあでも、ある意味これで少し吹っ切れた」

「うん、また明日から勉強頑張ろー」

「あぁ、勉強かぁ」

花火が終わったことよりも明日からまた受験勉強をしなければいけないことに頭を抱える竹下を、愛宕さんがニヤリと笑いながらからかう。

「竹下くんはまだまだ頑張る余地ありそうだもんね」

みんなが声に出して笑う。それから俺は心が何かで満たされたような気持ちになって、頭に浮かんできたことをそのまま口にした。

「なあ、受験終わったらさ、卒業までにまたみんなで遊ぼうな」

それぞれの「うん!」や「ああ!」と言う声が、すでに静かになっていた夜空に力強く響いた。

●8月11日(木) タイムスリップ133日目

少し重たいリュックを背負いながらバスを降りる。乗客たちが全員降りると、すぐにバスはまたどこかへ行ってしまった。

「やっと着いたぁ!」

「やっと着いた、ってこれから船乗るんやろ」

「つーか、あと5分で出るぜ、船」

「まじかよ、急げっ!」

すぐに渡船場のチケット売り場へ行き、乗船券を購入する。行き先は能古島。

いつか少し話題にのぼった能古島にある野間の祖父母の別荘へ行く計画。それが、まさかの勉強合宿という名目で実現することになったのだ。

祖父母は今は本宅に住んでいるとのことだったから、野間が鍵だけ借りてきてくれていた。そして、一応合宿だから俺たち4人で別荘に1泊することになっているのだが、大楠と高宮は両親にどう説明しているのだろうか……。

フェリーに乗り込むと、俺たちは席には座らず、2階のデッキから外の風景を眺めることにした。移動時間はたったの10分程度だから、せっかくなら外の景色を見る方が楽しいだろう。

船がゆっくりと動き出す。海の風が気持ちいい。

「なんかこの感じ、夏っぽいよねー」

大楠が楽しそうに言う。

「な、爽やかでいいよな」

そんなふうにはしゃいでいたのもつかの間、フェリーはぐんぐん速度を上げ、風はどんどん強くなってきた。久しぶり過ぎて完全に忘れてたけど、船の上ってこんなに風が強く当たるのか。

「ちょっと風が強くなってきたけん中に入っとくね!」

「じゃあ私もー」

俺も風は嫌だったが、もう少し外の風景を眺めたくもあった。フェリーの先に見える能古島はその大部分が山の緑に覆われていて、まるで内に何かを隠しているような幻想的な美しさがある。

「りょーかい、俺はもう少し外に――ぎゃああ!」

突然、海の水がデッキの中にまで飛びかかってきた。船の先は波とぶつかって水が飛んでくることがある。それを避けたいなら船の後方にいるのが良いのだ。……と学んだ。

不幸中の幸いか、水の被害を受けたのはほとんど俺だけだった。

「中、入ったら?」

高宮が笑いを堪えながらも一応、気にかけてくれる。

「……いや、俺は後ろのデッキに行く。……外の方が渇くの早いし」

「頑固やねー」

大楠はただ呆れていた。

「言っとくけど俺も中に入るぞ。誰かさんみたいになるのはごめんだからな」

「く……」

高宮からもらったハンカチでぬれた顔を拭きながら、俺はすごすごと1人、船の後方に移動した。

その後、程なくしてフェリーは港に到着した。ようやく能古島の地を踏む。

「なあ、とりあえず別荘着いたらシャワー借してくれん? 海水のせいで全身べたべたしとる……」

野間が笑いながら「おっけ」と了承してくれた。もれなく大楠と高宮も笑っていた。

少し歩くと道路の右側に砂浜が見えてきた。左を向くと、緑におおわれた小山がずっしりと立っている。自然豊かでまさに夏にピッタリの島だと思う。目的が勉強合宿でなければ、の話だが。

「へー、ここって密漁とかあるんー?」

大楠が砂浜の前に立てられた看板を見ながらつぶやく。その看板には「密漁」の二文字の上にほとんど消えかかった赤のバッテン印がつけられていた。

密漁(文字の上に大きな×)

――の魚介類を――すると――――

アサリ――6カ月以下の――若しくは――以下の罰金が科せ――ます。

「ってこの看板、大事なところ全部消えとるやん! 逆にどうなるのか気になるわ!」

と思わずツッコミを入れたくなる看板……についツッコんでしまう。

「あはは、少なくともアサリはダメっぽいね!」

「私、アサリ好きじゃないから良かったー」

「そこなのか?」

「……盛り上がってるところ悪いけど、道こっちやけん」

野間の指さす先にはかなり傾斜のある坂道が蛇のように大きくうねりながら小山の上へと続いていた。

「げっ、これをのぼるのかよ。ここに来てラスボスの登場か……」

「でも楽しそうやん! こういうの冒険みたいで少しワクワクせん?」

「……私は平地で良いかなー」

「……俺も」

「はぁ、わがままなやつらやな。距離はそんなにないから黙って上るぞ」

残念ながらその他に選択肢はあるまい。

台風一過を祈る思いでなんとか坂を上りきった俺たちは、ひざに手をつきながら眼前に建つ野間の別荘を見上げた。

「うお、思ったより豪華やん」

「すごーい!」

それは古風な和式の家で一見小さな料亭のようにも見える。玄関先にはしっかりと木製の門までしつらえられていた。

「……よし、鍵が開いた」

「おじゃましまーす」

俺たち3人は玄関に入りながら口を揃えて言う。

「おじゃまされます」

「野間のおじいちゃんとおばあちゃんにだけ言いますね、おじゃましまーす!」

「わざわざ言い直さなくてもいいやろ」

俺たちはひとまずリビングの入り口近くにまとめて荷物を置いた。中は4人が過ごすのに十分過ぎる広さだった。リビングはほとんどがフローリングだけど中央部分の床だけは畳になっていて、そこに掘りごたつが埋められている。ベランダへ続くガラス戸からはさきほどの砂浜がキラキラと陽の光を反射しているのが見える。まるでリゾート地の宿泊施設みたいな作りに俺はすっかり感心させられた。

「すごーい。ほんとに別荘って感じでびっくりしちゃったー」

「やろ? ここは自分でも気に入ってるんよ」

「俺もびっくりした、すごい」

得意顔になっている野間の後ろで、高宮は何やらカバンの中をあさっていた。

「よし、それじゃあ早速始めるわよ!」

「始めるって?」

「勉強に決まっとるやん! こんな別荘でみんなで勉強できるなんて、なんか贅沢ぜいたくでわくわくせん!?」

一体どこから湧き出てくるのか、高宮の謎のやる気の高さに俺は圧倒される。

「ま、まあほら、今着いたばかりやしさ、飲み物とか買わんと。それに俺、シャワーも浴びたいし……」

「それならちゃっちゃとやって始めちゃおうよ!」

「な、なんだ? 高宮どうしたんだ?」

「あーあ、なんか変なスイッチ入ったな。こうなったらもう何を言っても無駄やん」

「おい、野間まで。……って大楠、そんな悲しそうな顔して教科書取るなよ! まだ諦めんな!」

結局、じゃんけんで負けた野間は飲み物と夕食の買い出しに行き、俺はさっさとシャワーだけ浴びて残りの2人と一緒にみっちり勉強することになった。まあ、これが受験生の健全な姿ではあるんだけど。

俺は仕方なく世界史のノートを開いて勉強を始めた。

ローマ帝国。紀元前27年、オクタヴィアヌスが元老院よりアウグストゥスの称号を授かる。覚え方は船(ふな=27)出する帝政ローマ。ここから帝政が始まった。

その後、暴君ネロ帝になって、五賢帝時代にはネルヴァ帝、トラヤヌス帝、ハドリアヌス帝、アントニヌス=ピウス帝、マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝……って、前から思ってたけど登場人物の名前が長すぎんだよ!

センター試験の対策だけで言うなら、最悪人物の名前を完璧に覚えていなくても回答することはできる。問題は全て選択式なのだ。

それよりも歴史を勉強する上で大切なのは流れを覚えることだ。歴史上の出来事にはすべて背景がある。その背景を大まかにでも捉えることができれば、時代の大きな動きがわかるし、細かな出来事もつながりを持って見えてくるようになる。何より、単体の物事を覚えようとする点の記憶よりも流れに沿って覚える線の記憶の方が、ずっと頭に定着する。

途中で野間も加わり、どっぷり2時間ほど勉強してから最初の休憩に入った。

「はあ。やっぱり私、勉強向いてないんやと思う……」

高宮は両手で英単語帳を開いたままテーブルに突っ伏して弱音を吐く。すかさず野間がツッコミを入れた。

「さっきのやる気スイッチはどこ行ったんだよ」

「途中で壊れちゃったみたい」

「お前な」

「なによ、そういう野間はちゃんと勉強してるん!?」

高宮が意地悪な笑みを浮かべる。

「帆乃! ちょっとこっから問題出して!」

そう言って、彼女は持っていた英単語帳を大楠に差し出した。

「いいだろう。その勝負、受けて立つ」

野間もやる気のようだ。

「じゃあいくよー。eloquent」

「…………」

おい、2人ともわからねーのかよ。

「……雄弁な」

「若久くんせいかーい。えーと、approximate」

「…………」

「……おおよその」

「またせいかーい。次はー」

「ちょっと待て! もうちょっと簡単なやつないのか? つーかそのページに載ってるの難単語ばっかやん! もっと重要単語とか基礎的なのでいいけん!」

その後は基礎的な重要単語を中心に問題が出され、勝負自体は野間も高宮も五分に終わった。しかし、2人とももっと勉強しなきゃいけないと少し落ち込んだらしい。

なんかごめん。

休憩を終え、勉強が第2ラウンドに入った。……きつい。

それが終わると夕食の準備をする。と言っても、実際に作るのは全て、受験勉強に入るほんの少し前まで親の家事を手伝っていた大楠だ。

「お待たせー」

「おお!」

目の前に美味しそうなカレーとちょっとしたサラダが差し出される。

「いただきます!」

頭を使うとお腹が空く。全員のご飯が揃うとすぐに俺たちはカレーを食べ始めた。

「おいしい!」

「うまい」

「うん、おいしい……ん?」

ちょうど最後に俺が感想を述べたところで、3人が一斉に声を上げる。

「からっ!!!!」

それはとてつもなく辛かった。味は間違いなくおいしいのだが、そのあとに追って攻め立ててくる辛さが尋常じゃない。野間や高宮ももだえているところを見ると、これは単に俺が辛いものが苦手なだけだからではないようだ。

「あれー、辛い? これでも控え目にしたんやけどー」

大楠はニコニコしながらカレーを口に運んでいく。まじかよ。

「そう言えば帆乃はかなりの辛い物好きだったわ……」

「……これ、完食できるかな?」

「えっ、若久くん残すと? ショック……」

大楠ががっかりした表情でこちらを見てくる。

わかった。食うよ、食うから。

「俺はもうダメだ……あとは任せた……」

「お前な……」

床に横たわる俺のとなりから、野間が完食したばかりの俺のカレーの皿を奪い取って台所へ持っていく。台所では高宮が皿を洗っている。2人は辛い辛いと言いつつも、それほど苦戦することなく完食していた。結局、単に俺が辛さに弱いだけだったのだろうか。

「やっぱさ、こういうのいいよね! 私たちだけで暮らしてるみたいで!」

皿を洗いながら高宮が楽しそうに言う。それを聞いた野間も笑いながら応える。

「まあ楽しいけど、実際に俺たちだけで暮らすことになったらほとんどの家事を大楠に頼むことになりそうやな」

「あはは、それ私が途中で逃げ出しちゃうなー」

このあとは本日最後となる3ラウンド目の勉強があり、ちょっとした自由時間を経て就寝となる。明日は午前中の船で帰るため、遊ぶ時間はほとんどない。何だかんだ言っても、みんなそれなりにちゃんとした勉強合宿のつもりで来ているのだ。

ただ、本音を言えば少しくらい遊びたかった。この島にはちゃんとした海水浴場や自然公園があるのだ。というより、そもそも能古島を勉強合宿に使う人なんて聞いたことがない。

だから、来年はもう一度みんなで、今度は遊びとしてここに来れるといいな。

「やっと終わったあああ」

高宮が天井に向かって両手をうんと伸ばす。10時を回ったところでようやく第3ラウンドが終わった。その前の2ラウンドで疲労が蓄積されていたせいか、体感的には最も長く、最もきついラウンドだった。

「はあ、俺も疲れた。そういや風呂入る順番決めんとな……」

野間が時計を見ながら弱々しい声で言う。

「っとその前に!」

高宮が部屋のすみに置いていた自分のバッグから市販の花火セットを取り出す。

「今日はずっと真面目に勉強したんやけん、これくらいしてもいいやろ?」

「おっ! 高宮ナイス!」

4本の手持ち花火が音と煙を立てながら、砂浜できれいな光を放つ。それを何も考えずにぼーっと見つめているのがなんとも心地よい。

「なんか、こんな感じの武器ありそうだよな」

ふと頭に浮かんだことが口からこぼれ出た。俺はこの発言をすぐに後悔することになる。

「んー? なんか言ったー?」

大楠がニヤニヤしながら言う。これは間違いなくしっかりと聞こえてるやつだ。

「……いや、なんでもない」

「若久って今でも傘でチャンバラとかしちゃうタイプやろ?」

「そう言えばこいつ、たまに中二病みたいな想像してるときあるからな」

不幸なことに高宮と野間にもしっかり聞こえていたらしい。

「くっ、何でもないって言っとるやろ!」

「ふうー」

俺は砂浜の上に腰を下ろして夜空を見上げる。他の3人はやや離れたところで残り少なくなった花火に火をともしていた。

静かな波の音。少し暑くて湿っぽい風。もともと夏の夜はあんまり好きじゃないけど、今はとても気持ちがいい。

「今度は星って燃える弾丸みたいでいいよな、とか思っとるんか?」

気付けば野間が俺のとなりに立っていた。彼もゆっくりと腰を下ろす。

「うるせーよ」

野間がふっと小さく笑う。

「にしても、俺らがこんなことしとるってなんかおかしいよな」

海の向こうに見える街の光でも見ているのか。遠くを見つめながら野間がしみじみと言う。今のこいつなら、俺に負けず劣らずの恥ずかしいセリフを吐いてくれそうな予感がした。

「確かに、前の俺らやったら絶対にこんなことしとらんもんな」

「俺さ、今までは自分と同じタイプの人としか仲良くなろうとせんかったし、それが一番良いと思ってた。その方がラクやし楽しいと思ってた」

「うん、わかる」

「やけど、あの入学式の日から今までの時間はほんとうに楽しかった。毎日何かしら変化があって、あっと言う間に過ぎていった」

「…………」

間違いなく今の野間は照れくさいことを言っている。だけど、俺はそれを茶化す気になれなかった。当然だ。俺もまったく同じ気持ちなんだから。

「今こうしてるのは、高宮と大楠と、それと若久のおかげやな」

「えっ、俺っ!?」

俺は最後に自分の名前が入り込んだことに驚いた。野間はただ海の向こうを見続けている。きっと恥ずかしくてこっちを向けないのだ。

「お前が色々やってくれたおかげやん。ここに来ることなったのも、もとはお前が俺の誕生日プレゼントを買おうとしてくれたことからやろ? そっからあの屋上に行くことなって――」

「いや、待て! なんで俺からプレゼント買おうって言ったの知ってんだ!?」

思わず声を上げた。男子が男子へのプレゼントを提案するってなんか……。

野間がチラリとこちらを見て答える。

「高宮が言ってた。まあぶっちゃけ少しキモいけど嬉しかったよ」

「くっ、うわ、まじか……。いや、嬉しいのは良かったけど……」

高宮なりに気をつかってくれたのだろうが、それは言わなくていいだろ!

「とにかく、これまでありがとな」

その声は静かで優しくて真剣なものだった。それが周りの風景と妙に合っていて印象的だ。

「……お前、死ぬんじゃないよな?」

「は?」

ようやく野間が俺の方に顔を向ける。

「いや、急にフラグを立てだしたから」

「そんなんじゃねえよ」

野間はまたそっぽを向いて、遠く海の向こうに視線を戻してしまった。

せっかくだし、俺も自分の想いを少しだけ野間に伝えることにしてみる。

「そもそも、入学式の日に大楠や高宮と仲良くなれたのはお前のおかげだ。それに、能古島だって、お前が本屋でばったり俺らと出会ったから行けたんやろ。

……全部、俺たちはそれぞれ4分の1ずつのおかげなんだよ」

野間は下を向いて顔を隠す。そして嬉しそうに言った。

「ああ、そうだな」

「ねぇ、線香花火でお風呂入る順番決めようよ!」

高宮と大楠が線香花火を片手に俺たちのところへやって来た。どうやら他の花火は全部やり終えてしまったらしい。

「私と帆乃は一緒に入るから順番が先やった方ね! 野間と若久も二人で入る?」

「入るわけねーだろ!」

俺たちが口を揃えて答える。

「へー、男子はそういうものなんかな!? ま、とにかくやろっ! ……準備はいい? それじゃ、せーのっ!」

4つの線香花火に一斉に火がつけられた。もちろん最後まで火玉が落ちずに残っていた者が勝者だ。火をつけてから数秒で気付いたが、この勝負、かなり地味である。

それぞれの線香花火が、音も立てずふつふつとくすぶっている。

「……なあ、この勝負って妨害アリ?」

俺は退屈なのに耐えかねてルールの追加を試みた。

「それは君のモラルにかっとるよ!」

高宮がニヤっとしながら言う。

「モラルと言えば、2人のどっちか良い方の順位で風呂に入れるってのはあまりフェアじゃないよな?」

俺はわざとすごく神妙な面持ちをしながら、花火を持っていない方の手をとなりにいた大楠に向けてゆっくりと伸ばした。

「妨害したら許さんよー」

目標まであと数センチというところで、大楠がニッコリと笑いながら優しく言う。

「こわっ、あっ……」

ひるんだ反動で火玉がポトリと落ちる。

「あはははは、ああっ!?」

こうして高宮のも落ちた。

「あぁ、これから火花が散るところやったのにいぃ」

がっくりと肩を落として、彼女は火の玉が落ちた場所を見つめていた。

さて、その後の野間と大楠の勝負であるが、予想通りただの持久戦となった。線香花火の持久戦を横で観戦しなければいけないなんてこれほど手持ち無沙汰なことはない。

結局、お互いに火薬がすべて燃え切ったのち、僅差きんさで野間の火玉が先に落ちた。

「のぞいたら学校で言いふらすけん!」

「はいはい、わかったからさっさと風呂入れ」

そう言う野間のとなりで俺は、「実際、高宮自身は野間に負けてたよな?」と心の中でツッコんでいた。

しかし、大楠と高宮が部屋を出て行ったあとで、野間はそんな俺に対してやいばを向けてきたのだ。

「のぞくと言えばお前、高宮の荷物が開けっ放しになってたとき、上から中身をチラ見しとったよな」

「…………」

こういうときは黙る他ない。

「それじゃあ、あっちの2つが高宮と大楠のベッドでこっちが俺らのやけん」

普段は学生服姿しか見ないのに、こうして4人がパジャマで一緒にいるのはなんだか奇妙だ。

「ほんとはまくら投げとかしたかったんやけど、今日は疲れちゃったから大人しく寝るかなぁ」

高宮が眠たそうにあくびをして、その様子を見た野間がホッと胸をなでおろした。

「ま、一応、勉強合宿の名目で来とるし、最後に寝坊するのも締まらんけんな」

「そうやねー」

4人でおやすみの挨拶をして電気を消した。

――――ん?

ふと夜中に目が覚める。トイレ行きたい。

仕方なくベッドから起き上がり寝室を抜ける。真っ暗な廊下を1人で歩くのはちょっと不気味だ。今にもフローリングの床がギィギィときしむ音を立ててくるような気がした。

トイレに入ってドアに鍵をかける。

トン、トン、トン、トン

用を足していると、遠くから足音が聞こえてきた。

とたんに恐怖で胸が鋭く締められる。なんだ、誰か来てるのか?

その足音は次第に大きくなって、ピタリと止まった。

……このトイレのドアの前で。

3人の誰かか? いや、そうに決まってる。決まってるだろ。決まってるけど……。

トイレの水を流すと、ああ、あとはこのドアを開けるだけになってしまった。

「なんだよ、不気味やな……。ああ、もうっ……」

トイレでこんな胸の高鳴りを感じることってあるのか。そして、金輪際こんりんざいなくて良い。

――ええい

勢いよく開けたドアの先には眠たそうに目をこする大楠が立っていた。

「はぁ……」

「ちょっとー、人の顔を見てはぁってなによー」

寝起きの大楠は、いつもに増してふわっとした甘ったるいしゃべり方になっている。

「夜中に誰かがドアの先に立ってるって知ったら誰だって怖いやろ。じゃあ、おやすみ」

ホッとしたところでトイレから廊下へ出る。

「待ってー」

大楠が半分通り過ぎていた俺の腕を掴んできた。

うおっ、……さっきもこんなふうに胸が高鳴るんだったら良かったのに。

「私が出るまで待っとってー」

「……怖いんやろ?」

「いや、ぜんぜん」

そう言うと、俺に反論の隙を与えないままトイレに入って鍵を閉めてしまった。

まあ、どっちにしろ待つけどさ。

ふたたびドアが開いて大楠が現れる。

「待っててくれたんやねー」

「……お前がそう言ったんやろ」

2人で廊下を歩く。来るときはあんなに不気味だったのに、こうして2人で歩くと怖さはどこかへ霧散する。

「ねぇ、若久くん」

大楠が足を止める。俺も「ん?」と返事をしながら彼女に合わせて足を止めた。

「若久くんって東京の大学行っちゃうと?」

暗がりの中でその顔は不安そうにも見えた。もしもそれが、行って欲しくないってことなら嬉しいな。

「そういや俺たち、志望大学についてちゃんと話したことなかったな」

大楠は静かに俺を見つめたままだ。

「まだわからんけど、もしもさ、もしも成績が上がれば九州大学を受けたいと思っとる。やけど、たぶん東京の大学も受ける。……大楠は?」

同じ質問を返す。だけど、何となく返ってくる答えは予想がついた。

「私は福岡の大学にする」

やっぱりだ。つまり、大楠と離れたくなければ俺の選択肢は1つしかない。「俺」が進んだ大学。福岡にある旧帝国大学の1つ、九州大学だ。

ここで、俺は九大を受けるのだ、とはっきり言うことができたらどんなに良かっただろう。でも、それを言う自信がなかった。俺にはまだそこに合格しる学力も、その学力をつけるために生活のほとんど全ての時間を勉強に費やす覚悟も持っていなかったのだ。

「とにかく今はお互い頑張って勉強しよう。どの大学に行きたいか以前に、進む大学の選択肢がありませんでしたってのは避けたいけんな」

俺が冗談っぽくそう言うと、大楠は少し笑ってくれた。

「ねぇ、若久くん」

今度は何だ? と思ったら、次の瞬間、大楠は俺の胸に飛び込んでいた。両手をぐるりと俺の背中の後ろまで回している。

「うおっ、えっ?」

まじか、これまじだよな。

胸の鼓動が一気に速くなる。全身の血液が沸騰する。これ、大楠にも絶対バレてる。

なんだ、もしかして大楠も俺のことが。と、とにかくこれはどうすればいい? 抱きしめ返すのか? 何か言うべきか? くそ、こんな時に「俺」がいてくれれば。いや、ここは俺だけで大楠の気持ちに応えるべきなんだよな。よし、行くぞ。

そっと、両手を上げようとしたところで、大楠がパッと俺の身体から離れた。

「いきなりごめんね。それじゃ、おやすみー」

笑顔でそう言うと、大楠は俺を横切ってさっさと寝室へ帰ってしまった。

緊張が一気にゆるんだことで俺はその場にぺたんと尻もちをつく。

「……なんなんだよおお!」

翌朝、俺たちは早めに別荘を出て、船が来るまで港の近くをぶらつくことにした。ふ頭にはたくさんの小型船が一列に並んで停留している。

港を抜けて少し歩くとまた別の砂浜が見えてくる。そこにはコンクリートで造られた突堤とっていがあって、海に向かってニョキっと突出していた。走ってあそこから海に飛び込んだら気持ち良さそうだ。

「ねえ、あそこ行ってみようよ!」

高宮がまさにその突堤を指さして言う。俺と同じことを思ったのか。

「まさかあそこから飛び込む気じゃないやろうな」

「はは、いくら私でもそれはできん! けど気持ち良さそうよね!」

「実は俺もそう思った」

高宮と俺が笑って、大楠と野間もそれにつられて少しにやける。

4人で突堤の先端に並んで立つ。光に照らされてキラキラと輝く海の向こうには本土の様々な形の建物たちが小さく並んでいる。まだまだ外は暑いけど、海風が優しく吹いているから気持ちいい。

短くて長い勉強合宿が終わった。それなりに一生懸命で、楽しくて、少しだけ刺激もあった24時間。

「俺」は未来からやって来て、俺にきっかけと勇気を与えてくれた。それらが実を結んで……、これが青春だ、なんて言うのは気持ち悪いけど、何だかここしばらく、ずっと心が浮かれている。

俺たちの手にはここに来る途中で買ったサイダーが握られていて、それらがビンの中で小さくシュワシュワと音を立てて弾けていた。


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