第6章:分岐点

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●7月20日(水) タイムスリップ111日目

終業式が終わった。明日から夏休みが始まる。と言っても、受験生の夏休みはほぼ毎日、夏季課外で埋め尽くされているのだが……。

放課後の誰もいない第二講義室。俺は窓を開っ放しにしたまま校庭側の席に座っている。

頭の中でこの5日間の出来事をもう一度、思い返していた。

一生懸命考えた。覚悟も俺なりに決めた。だから、これでこの先、結果がどうなったとしても俺は後悔しない。……と信じたい。

――ガラガラッ

ドアの開く音がした。

見なくても、誰が入ってきたのかはわかった。

5日前。

その日はクラスマッチが行われた。楽しいといえば楽しかったが、俺に関しては特に大した活躍もなく終わる結果となった。

帰りは大楠たちと4人で教室を出た。

一階に下りて自分の靴箱を開ける。

こ、これは!?

俺の靴の上には、可愛く装飾された白い封筒が置かれていた。

胸の鼓動が一気に速くなる。内からグイッと心臓が上に押し上げられるような感じで息がしにくい。

いや、待て。まずは落ち着くんだ。いたずらの可能性もあるし、何なら入れ間違えでしたなんて悲しい結末の可能性もある。そもそもこれが……あれだと決まったわけでもない。

――パタン

すぐとなりで野間が靴箱を閉じる音がした。

反射的に俺はその封筒をポケットの中に入れて隠す。情けないことに、どう振舞うべきか考えのまとまらない俺の咄嗟に出た行動がそれだった。

「若久くんー?」

帰り道、自転車をこぎながらずっと例の封筒のことを考えていると不意に大楠の呼ぶ声がして、撃たれたように現実に引き戻された。

「え、あー、ごめん。なんだっけ?」

「野間くんがたい焼き行くかってー」

「あー、今日はいいや」

「はい! といわけで3対1でたい焼きは却下!」

高宮が元気よく決定を下す。

「まじか、これで3日連続で却下されてるんやけど」

「4人で帰るようになってから、あのたい焼きめっちゃ食べたけんね。もう飽きてきちゃった!」

「その試練を乗り越えてこそ、真のおいしさを知ることができるんやぞ」

「別に知らなくていいっす!」

みんなに相談してみるか?

まあ、まずは中身をちゃんと確認してからだけど……。

「若久くん?」

またしても大楠が話しかけてくる。今度はちゃんと意識を傾けていたから聞き逃しはないはずだが。

「あれ? またなんか聞き逃してた?」

「ううん。ただ、ぼーっとしてたから大丈夫かなーって」

「あー、大丈夫。たぶん」

怪訝けげんそうな顔をする大楠をよそに、俺はありがとうとだけ言って顔を前に戻した。

帰り道で1人ずつ分かれていき、とうとう俺1人になった。

俺は近くの公園に入るとベンチに座って先の封筒を取り出す。

ピンク色のリボンの模様がついた可愛らしい封筒だ。それをできるだけ丁寧に開けると、中にはきれいな字で書かれた手紙が入っていた。

いきなりごめんなさい。どうしても伝えたいことがあります。

もしよければ、今日の放課後、第二講義室に来てください。

薬院 奈々

…………。

「ええっ!? ってことは今待ってんのかよ!?」

俺は急いで自転車に飛び乗り、ふたたび学校に向けてペダルをこいだ。

薬院奈々、誰かわからん……。

少なくとも今まで俺が彼女と直接話したことはないはずだ。いよいよ入れ間違いの可能性が出てきたか。

10分後、ようやく校門にたどり着く。合計25分かけて、俺はただ自分が元いた場所に戻ってきた。

乱暴に自転車をとめ、記載の第二講義室を目指す。

第二講義室ってどこだ?

「はあ、はあ……。ここか……」

疲れた。日頃の運動不足をこんなところで痛感させられるなんて。それに暑い。この季節だとちょっと急いだだけで汗が噴き出てくる。気持ち悪い。

息を切らしながらドアを開けて中に入ると、校庭側の席に女子が1人座って少し驚いた様子でこちらを見ていた。窓が1つだけ開けられていて、そこから流れてくるそよ風が体をすり抜けていく。

教室の中には他に誰もいない。そもそもここは補修以外では使われない。だから、俺も人にきいて初めて第二講義室がこの場所にあると知った。

俺の顔を見ると、女子は慌てて立ち上がった。

「来て、くれたんやね。もう来てくれないかもって思ってた」

ホッとしたような、そして嬉しそうな表情を見せながら、まっすぐに俺を見つめて言った。

こんなことを考えるのはつまらないけど、俺は少なくとも入れ間違いで封筒が置かれていたわけではなかったとわかって安堵あんどしていた。

俺は息を切らしながらとにかく要件を伝える。

「これ、靴箱に入ってた。中身読まんまま帰って、途中でここで待ってるって知って、一応急いで来たんやけど。はあ、遅れてごめん」

いまだに息が整わない。汗もだらだらと湧き出てくる。失敗した。これじゃあ格好悪くてしょうがない。

「ううん、わざわざ来てくれて本当にありがとう。私の方こそごめんね。急にこんなところに呼び出しちゃって」

ここで1度、深呼吸をしてようやく少し息が整ってきた。

「いや、俺も第二講義室の場所わからんくて迷ってたらこんな汗かいちゃって」

手を頭の後ろに回して襟足えりあしのあたりを触りながら「あはは……」と自嘲気味に笑う。

「初めてちゃんと話すのに見苦しくてごめん」

「そっか、若久くんは補修なんて受けないもんね。私はたまにお世話になっちゃってるから知ってたけど」

俺たちは小さく笑い合った。

彼女は大人っぽくてどこか西新さんに似た雰囲気があるけれど、顔つきはもっと幼くて可愛らしく感じられた。

「それでね、今日は伝えたいことがあるの」

彼女はえりを正すとまっすぐに俺を見つめてきた。

それまであまり意識していなかったのに、その真面目な表情を見た途端、心臓の鼓動が速くなる。

「いきなりこんなこと言うのも変だってわかってるけど」

緊張で頭の中が真っ白になる。まるで周りの空気がゆがんでぐちゃぐちゃになっていくような感覚だ。妙に遅く感じられる時間の中で、俺はそれに耐えながらじっと彼女の口から次の言葉が出てくるのを待った。

「私、若久くんのことが好きです。付き合ってください」

……これは現実だよな?

悲しいことに最初に浮かんだ言葉はそれだった。

俺はどう返事をすればいいんだ? 彼女のことをどう思う?

目の前で恥じらいながら頭を下げて告白してきた彼女の姿は素直に可愛いと思った。

「…………」

ちゃんと話したのは今回が初めてだけど、きっと彼女は良い人だと思う。こんな機会なんて金輪際こんりんざいないかもしれない。

それなら男らしく二つ返事で受け入れてしまえば良いじゃないか。

そして、そこから少しずつ相手のことを知っていけば。

だけど……。

どうして次の言葉が見つからない? 何を迷っているんだ。

無言のまま時間が流れる。

5秒くらい経ったか。早く何か言わないと彼女にも失礼だ。せっかく勇気を出して、こんな大した取り柄もない俺に好意を示してくれたのに。

「俺さ」

「返事は」

薬院さんが俺の言葉をさえぎった。

いや、本人にその気はなかったのだろう。遮ってしまったことに少し困惑したようだったけど、ふたたび口を開く。

「……今まで一度も話したことなかったし、いきなり言われても困っちゃうよね」

そう言う薬院さんはとても寂しくて、か細く見えた。

俺はそんな彼女の様子にものすごく負い目を感じて、ただひたすらどうしていいのかわからない自分が情けなかった。

「困ってないよ。むしろそう言ってくれるのは本当に嬉しい」

俺は言葉を選びながらゆっくりと続ける。

「やけど、こういうの初めてやし、格好悪いのはわかってるんやけど、少し時間をかけて考えてもいいかな」

その返事を聞いた薬院さんは下げていた視線を俺の顔まで上げて、力を取り戻したように言った。

「うん、もちろん!」

彼女は少しニコッと笑った。その笑顔になんだか救われた気がした。

「あのね、」

「うん」

「即答でフられなかったってことは少しは脈があるって思ってもいいんかな?」

その指摘は当たっていた。俺は実際に彼女と付き合うことも考えていた。だからこそ、断るのではなく黙ってしまったのだ。ただ、だからと言って、ここで脈があるなんて思わせぶりなことを言うのは無神経なんじゃないか。

彼女の方もそれはわかっていたのか。俺の返事を待たずに言葉を続けた。

「もしそれなら、返事をもらう前に一度だけ私とデートして欲しいなって」

今度は、すぐに返事をすることができた。

「なあ、これくらいは前もって教えてくれても良かったやろ」

その日の夜、バイトから帰ってきた「俺」をとっ捕まえて部屋に連れ込み、薬院さんからもらった手紙を突きつける。

「はぁ、バイト帰りで疲れてるのに。それなに?」

俺の手から手紙を取り、中身を見た瞬間、「俺」は鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな表情を浮かべる。

「は? これどういうこと? つーか薬院って誰だっけ?」

「……つまり、そっちの時代にはこれは起こらなかったってことか」

「ああ、とにかく詳しく教えてくれ」

俺が一通り説明し終わると「俺」はしばらく黙り込んだ。何かを考えているようだ。

ポケットの中で携帯が震える。取り出して確認するとメールが届いていた。――差出人は薬院奈々だ。

「お前が告白の返事を保留にした理由が2つ思い浮かぶ」

突然の言葉にドキッと心臓が締め付けられた。相手は俺自身なのだから構える必要も隠す必要もないのだと慌てて自分に言い聞かせる。

「……俺自身、まだよくわからんけど、多分その2つで合っとるよ」

「そのまだよくわからないってのも何となくわかる」

「俺はどうすればいい?」

「それはお前自身が決めることやろ。今のお前はどう思うのか。その理由はなぜか。どうしたらその理由がはっきりすると思うのか」

そう言われて、つい黙ってしまう。

「俺が6年前にできなかったことの1つは人を頼ることだ。お前はこのことを、誰に知ってもらいたい?」

俺が人に背中を押されないときっとできないこと。やっぱり「俺」はちゃんとそれを知っている。

「……わかった。とりあえず色々やってみるよ。後悔しないために」

「うん、そうしてくれると俺は嬉しい」

あいつは優しくそう言った。その声は今の俺の声とほとんど変わらないはずなのにとても落ち着いていて、不覚にも大人っぽさを感じてしまった。

「なんか、少し意外やった」

「ん? 何が?」

「俺」は眉をひそめる。

「この出来事ってもとの時代にはなかったんやろ? つまり、そっちの後悔とは無関係ってことだ。それどころか、これで俺と薬院さんが一緒にいることになったらきっとその後悔は解決されないままになる。だから、断るよう言われるんじゃないかと思ってた」

「それはないよ」

「俺」が即答する。

「お前が一生懸命やって出した結論なら、俺はそれが何であっても良いと思ってる。その結論なら、結果がどうであれ後悔しないだろうから。俺は自分の後悔を消すよりも先に、お前に後悔のないよう過ごしてもらいたい。そして、今のお前ならきっと俺なんかよりずっと後悔のない結論を出せると思う」

物事を後悔するのは、もちろん結果が自分の期待にそぐわなかったからだと思う。でも、たとえそうなったとしても後悔しないときもある。どっちになるかは、自分がどれだけ覚悟を持って、どれだけ考えたり行動を起こしたりしてそれと向き合ったかで決まるんじゃないか。精一杯やった上での結果なら、それがどんなに悲惨なものでもきっと受け入れることができる。

あいつが来てからの数ヶ月でそう考えるようになった。この考えが正しいかどうかはわからないけど、少なくとも俺はそう考えるようになれて良かったと思っている。

ここで俺は大事なことをきき忘れていたことに気づいて、ハッとした。

「そうだ、もう一つききたいことがある」

「ん?」

「……デートって何をすればいい?」

3日後の昼すぎ、俺は天神駅の大画面前で薬院さんを待っていた。

「俺」いわく、とにかく初デートは絶対に遅れるな、とのことだったから、普段の自分からは考えられないくらい余裕をもって家を出たのだ。

「ごめん、もしかして待った?」

約束の10分前、俺を見つけた薬院さんが駆けてやってくる。やっぱり早めに着いていて良かった。

「大丈夫。俺も今来たところやけん」

合流した俺たちはそのまま道を渡って、先日のステップガーデンが隣接する公園へ向かう。

公園の中に入ってステップガーデンを通り過ぎ、水路に架かる橋を渡る。国の重要文化財に指定されているという西洋の小さな城のような木造建築物を横目にさらに進むと大きな橋が見えてくる。

この橋は「福博であい橋」と言い、昔の商人のまち「博多」と武士のまち「福岡」が出会う橋ということからその名が付けられたそうだ。そんな少しロマンある橋を目の前に、俺は薬院さんに何と話しかけようか考えあぐんでいた。

「…………」

ここに来るまでにもう一通りのことを話し終えてしまったのだ。

いや、それを踏まえても、普段ならもう少し話題を提供することができるだろうが、情けないことにデートという言葉を前にして緊張してしまい、上手く立ち回れないでいた。

とりあえず辺りを見渡す。すると、橋のたもとの階段を下りたところにあるリバークルーズ乗り場が目に留まった。このリバークルーズは那珂川なかがわの一部と博多湾とをゆっくり周遊するから、夜には九州最大の歓楽街である中洲のネオンサインを楽しむことができる。

「あのリバークルーズ乗ったことある!?」

「あれのこと? ううん、乗ったことないよ。若久くんはあるん?」

「あ、いや、ない……」

バカか俺は。

うつむく俺の姿を見て薬院さんが「ふふっ」と小さく笑った。

「え?」

「いや、ごめんね。もしかして私に気をつかってくれたんかなって」

「あー、うん。一応……」

見事に指摘されてしまい、耳の先が赤くなるのを感じる。

「ありがとね。それと、ごめん。私が誘ったのに気をつかわせちゃって」

「いや、謝る必要ないよ。……俺、緊張してるんよね。誰かとデートするのなんて初めてで、何を話したらいいかとか髪型や服装おかしくないかなとか色々考えちゃって。だからさ、たぶん今日の俺、ちょっと変になってると思う」

情けない自分を正直に伝えるのは恥ずかしいが、それで相手の気が和らぐなら、そっちの方がずっと大切な気がした。

あの3人と付き合っているうちに、自分のくだらない体裁ていさいを守ろうと人と一定の距離を保って接するよりも、はっきりと自分の弱いところを伝えた方が良いのだと思い始めていた。

苦笑いをしながら薬院さんを見る。

すると「実はね、」と彼女も照れ笑いを浮かべてこちらを見つめた。

「私もすっごく緊張してる。私だってこうやって誰かとデートするの初めてやし……。誘うときホントに勇気出したんよ!」

それは俺と同じ弱味を見せるでも、もっと純粋でまっすぐな想いだと思った。

俺みたいに一生懸命考えて、人のアドバイスを受けながら何とかするんじゃなくて、もっと自然に伝えられたもの。そして、そんなふうに自然と自分の想いを表現できるのは、きっと彼女が周りから愛されているからだと思う。

「なんで、俺にそんな」

それは純粋な疑問だった。

自分を卑下するとかそういうのではなく、ただ本当に浮かんできた疑問。

薬院さんがニヤリと笑う。

「うーん、付き合ってくれたら教えるよ」

予想外の返事に思わず俺は笑ってしまった。

橋を渡ったあとは、右に曲がり、ひたすら川沿いを歩いていく。

さすがにこの時間はまだないけど、夕方になるとこの通りには続々と屋台が出始める。俺はふと、あることを思い出した。

「そういやこの前、ここで友達と初めて屋台行ったんよ」

「へー、私まだ行ったことないよ。どうやった?」

「となりにいた知らないおじさんに話しかけられて色々きかれた。帰る時に『今度は酒が飲めようになってからきんしゃい!』って」

イメージ通り、と薬院さんが笑った。

通りの先にある公園では若者たちがよくスケートボードの練習をしている。公園を抜けて道路を渡って、俺たちは目的地の大型ショッピングモールに到着した。

「まずは映画のチケットの予約からやな」

チケットを予約して、そのまま同じ階のゲームセンターでクレーンゲームをする。薬院さんの欲しがっていたぬいぐるみを取ろうとするも思うようにいかず、結局、落とすまでに2千円ほど失ってしまった。近くのエスニックなファッションを扱うお店に入って、明らかに似合わない服を試して笑い合った。疲れたら1階のデザート屋さんでアイスを食べた。映画を見終わったあとは、半地下の広場で行われるプロジェクションマッピングと噴水ショーに足を運んだ。時間はあっという間に過ぎた。

なんというか、初めてだったから相場も何もわからないが、それなりにデートっぽいことをした気がする。

6時を少し過ぎたころ、俺たちはふたたび駅の大画面前に戻ってきた。

ここから同じ電車に乗って家に帰るのだ。

俺が2階の改札へと続くエスカレーターに向かって歩き出そうとしたとき、

「待って!」

突然、薬院さんが両手で俺の腕を掴んだ。振り向いたところに彼女がぐっと顔を近づけてくる。

「電車に乗る前にこれだけ言わせて」

その瞳はまっすぐに俺を見つめていた。驚きやらなんやらでかなり動揺していたけど、ここで目をそらしたらダメだということは俺にもわかった。

彼女は俺の腕を掴んだまま、ゆっくりと確認するようにしゃべり始める。

「私ね、今日一日、一緒にいてほんとに楽しかった。今までちゃんと話したことなかったけど、やっぱり私の気持ちは間違ってなかったなって思えた。私……。私、やっぱり若久くんのことが好き」

通り過ぎる人たちのしゃべり声も、大画面から流れてくる音も、近くでやってる路上ライブの歌も、周りの出来事が全てシャットアウトされて、俺の意識がすべて目の前の薬院さんに注がれる。

「俺も、俺も本当に楽しかった。それに嬉しかった。自分で言うのもなんだけど、本当に俺のことを考えてくれてるんやなって伝わって。返事はもう少しだけ考えさせてほしい。やけど、必ず返事するから」

薬院さんはまっすぐに俺を見つめたまま「うん」と言って、笑顔を見せてくれた。

家に帰った俺はそのまま部屋のベッドに倒れ込んだ。うつ伏せになりながら顔だけ横に曲げて携帯を見る。

薬院さんに今日のお礼のメールを送ろうとしたけど、告白の返事をする前に妙に優しくするのもただずるいだけのような気がして結局やめた。

十字キーを押して、過去の受信メールをさかのぼる。2日前の夜に「俺」と話したあと、俺が3人に送ったメールのやり取りが出てくる。

【若久 拓哉】

誰にも言わないで欲しいんやけど、今日、薬院さんから告白された。

それで、今まで話したことなかったからわからんことも多くて、ちゃんと考えてから返事をしようと思ってる。

もしも何かアドバイスがあれば教えてほしい。

俺1人じゃどうすれば良いかわからんことあって、みんなの意見が聞きたい。

【野間 僚一】

まじか、お前の夢じゃないだろうな?

今日ずっと一緒にいたのに、いつの間にそんな展開なってたんだよ(笑)

薬院さんか、すまんけど俺もその人のことはよくわからん。

そもそも色恋沙汰を俺に相談するのが間違っとるけど、何も言わないのもなんだからこれだけ言うわ。

結局はお前がどうしたいかやと思うけん、俺はどんな結論になっても良いと思ってる。

【高宮 花菜】

うん、実は私、そのこと奈々から相談されてたから知ってたよ。

奈々とは同じダンス部やったから仲良しやしね!

でも、私はこれについては中立でいるって決めてる。

やけん、横から変な口出しとかせんから安心して(笑)

ただ、奈々のことを知らんみたいやけんこれだけ教えるね。

奈々は優しいから部内でも人気やったし、それにかわいいから男子から告白されることも多かったんよ!

正直、若久にはもったいないくらい良い子!

【大楠 帆乃】

薬院さんとは直接話したことはないけど、ダンス部の子よねー?

花菜なら知ってるんやないかなあ。

私はちゃんとしたアドバイスはあげれんけど、若久くんが一番良いと思う選択をしてくれたらいいな。

そうであれば、それがどんな選択でも私は応援するけん!

…………。

やり取りを一通り見終えたあと、俺は意を決してメールの作成画面を開いた。

【若久 拓哉】

いきなり変なこときくけどさ、もしも俺や、この中の誰かが他の人と付き合うことになっても、俺たちは今まで通り仲良くやっていけるよな?

――送信。

薬院さんの告白を保留にした理由、その1つがそれだった。

この4人で過ごした4ヶ月弱は本当に楽しかった。だから、俺が誰かと付き合うことで、少しでもみんなとの間に壁ができてしまうのが怖かった。

俺はこのままずっと、たとえ高校を卒業しても4人でつながっていたいと思っている。そして、この想いは6年後の俺でさえずっと持ち続けているものだ。

携帯がブルブルと震える。誰かが俺のメールに返信したようだ。

すぐに携帯を開いてボタンを押す。

【高宮 花菜】

絶対仲良くしてもらうけんね!

私だってこれからもずっと4人でつながっていたいけん、約束よ!

あいつらしい返事だな、と不意に笑みがこぼれる。すぐに「ありがとう、約束やけんな!」と返事を打った。返信すると同時に、今度は野間からメールが来る。

【野間 僚一】

まあな。

もしも女子ってことで高宮や大楠と話しづらくなっても俺が何とかする。

こうなるとは思わんかったけど、お前のこと応援するわ。

すぐに返信ボタンを押して、本文に文字を打ち込む。しかし、数文字入力したところで指が止まった。

――こうなるとは思わんかったけど

それは、どういう意味だ?

作りかけのメールを消して、俺は野間に電話をかける。

数コールののちに電話はつながった。

「なんだよ、いきなり」

「すまん、どうしても気になって。今いい?」

「うん、どうしたん?」

「今のメール、こうなるとは思わんかったって、野間はどうなると思ってたんだよ」

「ああ、それか」

そんなことか、とでも言うように落ち着いた口調で野間は話す。

「俺は、お前の中じゃもうほとんど答えは出てると思ってたんよ。それで、ただ俺たちに背中を押してもらいたかっただけなんやないかって」

俺は黙って野間の話に耳を傾ける。

「こんなこと言うのは俺の柄じゃないし、もうお前の心が決まってるなら言うべきじゃないけど、俺はお前が薬院さんからの告白を保留にしたとき、その時点で直感的に思ったことがあるんやないかと思った。それで悩んでると思ってた。まあ、当たってるか外れてるか知らんけど」

「そ、それで」

野間が「ん?」と少し間抜けな返事をする。

「俺が直感的に思ったことって何やと思ったん?」

「それは俺が言うことじゃないやろ。外れてたら恥ずかしいし」

「確かに、そうかも知れんけど……」

「それじゃあもう電話切るけん。またな」

「ああ、ありがと。おやすみ」

俺が直感的に思ったこと。

告白の返事を保留にした2つ目の理由。

すでに通話は切れていて、ツーツーと鳴っている携帯を耳から離す。

そのまま画面を見るとメールを一通受信しているのに気が付いた。どうやら通話中に届いていたようだ。

【大楠 帆乃】

私ね、どんな形でもこの4人でずっとつながっていたい。

何があっても、若久くんと壁ができちゃうのは嫌よ。

やけん、これからもよろしくお願いしますー!

――――。

数分後、俺はリビングにいた「俺」を部屋に呼びつける。

「お前な、未来の自分をもっと丁重に扱えよ」

「俺」はやや不満そうに部屋に入り、ベッドの上に腰を下ろす。

「それで、告白の返事をどうするのか決めたんか?」

「うん。そっちが前に言ってた2つの理由。最初はぼんやりしててよくわからなかったけど、3人に相談してはっきりした」

それを聞いた「俺」は嬉しそうに少しニヤけた。俺からすればそれはやや気持ち悪かったのだが。

そして安心したのか、落ち着いた様子でゆっくりと話す。

「そうか、それなら良かった。今のお前なら後悔しないと思う」

俺も同じく落ち着いた口調で返す。

「うん、俺もそう思う。まずは結論から言うよ。俺は――」

終業式が終わった放課後。

第二講義室でこの5日間の出来事を思い返していると誰かが教室のドアを開けた。その音を聞いて、俺は静かに席を立つ。

「来てくれてありがとう」

「うん、もちろん」

目の前の薬院さんはとても緊張しているように見えた。

5日前の放課後、あの時とはちょうど真逆の立ち位置に2人がいる。

俺は彼女を待たせた。だから、今度は変な世間話なんかしないで、すぐに返事の内容を伝えるべきだと思った。

「遅くなったけど返事を伝えたい」

俺は静かにしゃべる。それなのに、誰もいない教室の中だとびっくりするくらい声が通った。

「うん」

「薬院さん、ごめん。俺、他に好きな人がいる」

「…………」

「最初は自分でもよくわからなくて、返事を待たせてしまった」

薬院さんから告白された瞬間、最初に感じたのは違和感だった。

会ったのは初めてだったけど、きっと彼女は良い人だってわかったし、それに容姿だって何なら俺のタイプだ。それなのに、その場ではいと言えなかったのは、そこで彼女と付き合い始めることが本当に俺の望んでいることなのかわからなかったからだ。

つまり、俺自身の中で、こうなりたいと願う像がぼんやりと心の中にあったのだ。

「薬院さんとのデートは本当に楽しかったし、告白してくれたのも本当に嬉しかった。だけど、それと一緒に別の気持ちがあることに気付いた」

3人に相談したとき、俺は心の奥底で、俺と薬院さんが付き合うのを彼女に止めて欲しいと思ったんだ。そんなこと起こらないとわかっていても、止めてもらうことを期待してた。だから、どんな文脈でも「応援する」ってメールが返ってきたとき、心の中にもやもやを感じた。

「だから、待たせたくせに都合のいい返事なのはわかってるけど、ごめん」

薬院さんはしばらく黙ったままだった。そして、小さく「ふぅ」と息を吐くと近くの机の上に後ろ向きに両手をついて寄りかかった。

「それで、2人のどっちなん?」

「えっ?」

いたずらっぽくニッと笑ったが、その表情に寂しさとか悲しさとかが隠しきれてなかったから、少し胸が苦しくなった。

「若久くんの好きな人、花菜か大楠さんのどっちかでしょ? 私ね、ほんとはなんとなくわかってたんよ。若久くんのこと見てたから」

薬院さんは寄りかかっていた机から離れて、彼女自身の両足でしっかりと立った。

「この前、付き合ってくれたら教えるって言ったけど、特別に私が若久くんを好きになった理由を教えるよ」

窓の外からは他の学生の笑い声やセミの鳴き声が聞こえる。

落書きされた机。チョークの消し跡が残った黒板。きっちり時間の合わせられた丸時計。次の言葉をじっと待つ俺。そして、ゆっくりとしゃべりだす目の前の薬院さん。

告白の時と同じように、密度の濃い時間がふたたび流れていることに気づく。

「きっかけは、最近花菜が仲良くしてる男子がいるって聞いて、冷やかし半分で見に行ったところから始まったの。そしたら若久くんがいた。

最初は、顔や雰囲気が私の好みやったってのもあるけど、若久くんを見てたら花菜たちのことを知ろうと一生懸命頑張ってるのがわかって。その姿を見ていいなって思った。あとから知ったんやけど、若久くんってそれまであんまり自分から積極的に何かをしようってタイプじゃなかったんでしょ?

やけん、きっと若久くんにとっても簡単なことじゃなかったと思うし、実際、若久くんは緊張するとすぐに顔に出るから遠くで見てても頑張ってるのがわかったよ」

薬院さんが小さく笑いながら言う。

俺は何だか恥ずかしくなって顔を隠すように片方の手で眉毛を触った。多分、こういう仕草も彼女にはバレているんだろう。

「それで、そういうの見ているうちに好きになりました。私とデートしてくれたときも、自分も緊張してるのに私のことを色々知ろうとしてくれたよね? やっぱり私は間違ってなかったって思ったよ。

フラれちゃったのは残念やけど、私が人生で最初に告白した相手が若久くんで良かった。ほんとにありがとね!」

薬院さんが頭を下げる。

「……今まで通りの人との付き合い方をしてたら、いつか後悔するからさ」

顔を上げた薬院さんの目をまっすぐに見つめて、俺は口を開く。

「だから、俺なりに色々と頑張った。そして、その姿を見て、少しでも良いと思ってくれたんなら、やっぱり頑張ってて良かった。

お礼を言うのは俺の方だよ。本当にありがとう」

そして、今度は俺が彼女に頭を下げる。

「私、応援してるけん」

薬院さんは明るい声でそう言った。

「まあ、私じゃまだ気まずいかも知れんけど、できることがあったら何でもするよ!」

そう言える薬院さんは良い人を通り越して、すごい人だと思った。これから先、俺が何をするにしても、彼女のその思いは無駄にしたくない。

「うん、ありがと」

俺と薬院さんは2人で「ふっ」と笑った。

「なんだかすっきりした。それじゃ、私もう行くね」

薬院さんはくるっと俺に背を向けて教室のドアへ向かう。

彼女は俺に大切なことを、好きな人を、はっきりとさせてくれた。

それは、これからの人間関係を大きく変えてしまうかもしれない。

でも、いずれ向き合わないといけなかったことだろうし、きっと「俺」も6年前に立ち向かっていったことだ。

ドアを開けて、教室の外へ足を踏み出す瞬間、薬院さんは何か思い出したようにハッと振り返ってこちらを見つめる。

「そう言えば、結局2人のどっちなのか聞いてなかった。もし良かったら聞いてもいい?」

「ああ、そうやった」

薬院さんとデートした日の夜、「俺」に言ったセリフを思い出す。

(まずは結論から言うよ。俺は――)

「俺は、大楠が好きだ」


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