第3章:変化

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  3. 第3章

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○5月7日(土) タイムスリップ37日目

明日でゴールデンウィークが終わってしまう。こっちに来てからは仕事がなく、ウィークを通り過ぎてゴールデンイヤーに突入している俺にはまったく関係のないことだけど。

今日は本当は服でも買いに行きたいのだが残念なことにその金がない。3週間ほど前からコンビニのアルバイトを始めたけど、初給料まであと3日待たなくてはならなかった。

何をしようかとしばらく考えていたが、ふと思い立ち「俺」の部屋を訪ねる。あいつはドアも開けっ放しにしたままベッドの上で漫画を読んでいた。

「そういやもうあれ受け取れるよな?」

「俺」は不意を突かれて一瞬びくっとした後、めんどくさそうにゆっくりと視線を漫画に戻す。

「ああ、そのはずやけど」

「ならこれから行こう」

「え、一緒に来るつもりなん?」

「いいやん。俺、今日暇やし」

「ニートめ」

「なんとでも言うがいい」

俺は明らかに気分の乗っていない「俺」を半ば強引に引きずり出して、自転車にまたがった。向かう先はメガネ屋だ。

「いらっしゃいませ」

店内に入ると、赤いメガネをかけた可愛らしい女性店員が丁寧にお辞儀をする。

「前にここでお願いしたコンタクトレンズを受け取りに来ました」

「俺」はそう言って引換券を手渡す。

店員は「お席で少々お待ちください」と言うと、カウンターの裏に潜って商品を探す。すぐにお目当ての商品を取り出すと、俺たちに簡単な使い方の説明をしてから引き渡した。

メガネ屋をあとにした俺たちは、せっかく外に出たついでに近くのラーメン屋で昼ご飯を食べることにした。

「……これ、本当にゴールデンウィーク明けからせんといけんのか?」

「俺」は先ほど受け取ったコンタクトレンズの説明書を読みながら顔をしかめて言う。

「そのために買ったんやろ?」

「買ったっつーかほぼ買わされたんだよ。また『お前はコンタクトの方が似合う、俺が言うんだから間違いない』とか言って」

「でも、あのメガネじゃ真面目には見えても愛想はよく見えんけんな。それにかっこよく見えた方がいいやろ? そうしたらみんなともっと仲良くなれるやん、大楠や高宮とも」

「なんでその2人が出てくるんだよ!」

「俺」はわかりやすく照れながら声を荒らげる。若いっていいな。

「なりたくないのか?」

「まあ、なりたくないことはないけど……」

「知ってた。俺だしな」

「くっ……、くそ、我ながら俺っていい性格してるよな」

注文していたラーメンが届く。2人とも麺の硬さはカタだ。

お互い手を合わせてから、ラーメンを一口すする。東京だとあんまり食べる機会がなかったけど、やっぱり博多ラーメンがいちばん口に合う。

「んで、最近はみんなとどうなっとるん?」

うんざりした顔で「俺」は答える。「またかよ」

「学校での出来事はほとんど毎日そっちに伝えとるやろ。ゴールデンウィーク中も大したことは起っとらんよ。クラスの男子とカラオケ行ったとかそのくらい」

「そっか、2人とは?」

「たまにメールはするけど全然会っとらん。会う理由がないし」

「ま、さすがにそこは過去の俺と同じか。4人の仲の良さはお前の方がずっと良いみたいやけどな」

「それなら良いけど。そういや話戻るけどさ、そっちの俺はコンタクトしたことあるん?」

「うん、高校じゃないけど大学に入るときに変えた」

「じゃあ高校でメガネ外したら印象良くなるかわからんやん」

「でもコンタクトにして大学行ったらモテたぜ?」

「まじか」

ラーメンを食べ終わって席を立つ。お金は大人らしく俺がまとめて支払う。「俺」はそれを見ながらただ「これ、1人で2人分食ってる感じで損だよな」とつまらないことを言った。お前は払ってねーだろ。いいから礼を述べろ。

「あとは髪も切ったほうがいいな」

自転車の鍵を開ける「俺」に向かって出し抜けに言った。やつはこちらを振り向くと見るからに嫌そうな顔をする。

「え、髪も? めんどくさいな……」

「お前どうせまたしばらく伸ばした後にバッサリ切るつもりやったやろ。それよりずっとマシな髪型があるんだよ」

「……なんか未来の俺に言われると嫌でもしなきゃいけない気になるんだよな」

帰り道の途中にある美容院の前で自転車を止める。俺は切る髪の長さや髪型を実際に自分の髪でして見せながら変えるべき点を事細かに伝えた。

「うわ、めんどくせえ……」

「まあそう言わずに、とにかく試しにやってみ」

そうして「俺」は美容院に、俺はそのとなりに建っている本屋に入っていった。

家に帰って本屋で買った小説を読んでいると、しばらくして「俺」が家に帰ってくる。

「へー、いいやん」

リビングに入ってきた「俺」の髪型を見ながら言う。

「そりゃあどうも、おかげで俺の最近の出費は大変なことになっとるけど」

皮肉を言われるとついこちらもやり返したくなってしまう。俺はわざと偉そうな口調でしゃべった。

「金は持ってるだけじゃ意味ないやろ? 使って初めて効用を生み出すのさ」

「俺」も負けじと意地悪く言い返す。

「ふん、この出費がどれだけその効用をもたらしてくれることやら」

リビングのソファーにどっかり腰を下ろしながら、「それで、」とあいつが話題を変えてくる。

「ここまでそっちが過去にやらなかったことをそれなりにやってきたつもりやけど」

俺はずっと手に持っていた小説を目の前のミニテーブルに置いた。

「未来の俺は何か変化を感じているのか? つまり、過去が変わったんやろ?」

それは俺自身もずっと考えてきたことだった。考えて、すでに一応の結論を出していた。

「いや、俺自身は今のところ何の変化も感じてない。例えば、お前がこっちで過去の俺がやらなかったことをやっても今の俺にはその記憶はない。お前の行動が俺に与えている影響はゼロだ」

「それはつまり、俺のやっていることがまったく未来に結びついていないってことか?」

「いや、そういうわけでもないと思う」

俺が知る限り、時間軸の考え方には、直線的に一本の線でつながっているものと、途中で分岐を繰り返しながらパラレルワールドを作り出すものの2つがある。

もしも前者なら、「俺」の取る行動が本来の過去のものと違う場合には必ず元の世界に影響を与えるはずだ。さっきの例で言うと、俺が過去にしなかったことを「俺」がやれば、俺にはその記憶が何らかの形で付加されるんだと思う。

対して後者であれば、そもそも俺と「俺」とは別のパラレルワールドに存在するのだから、「俺」が取る行動はすべて俺とは違う別の未来の俺に繋がっていることになる。つまり、「俺」がこの世界でどんなに良い結末を迎えたとしても、元の世界には何の変化も引き起こさない。

この2つの考え方と今の俺には何の変化も起きていないという事実とを照らし合わせると、俺は後者が正しい考え方なんだと思っている。

そんな説明をしている間、「俺」はずっと物言いたげな表情をしていた。そして、俺の話が終わるや否や口早に突っ込みを入れた。

「でもそれってさ、結局、未来の俺には何のメリットもないってことやろ。俺がどうしようがそっちの世界は変えられないことになる」

「その通りやね」

「…………」

「俺」は2つ気になることがあるらしい。

それは、元の世界に全く影響を与えないのならどうして俺の身にタイムスリップなんて起こったのか、ということと、それならなぜ俺はいまだに「俺」の未来を変えようとするのか、ということだった。

その話しをすべて聞き終わったあと、俺は少し笑った。

「やっぱり気持ち悪いな」

何がだよ、と「俺」は眉をひそめる。

「俺も前にまったく同じことを考えた。まず、俺は別にこのタイムスリップがもともと何かの意味を持って発生したとは思ってない。

……だけど、せめて自分の助けで後悔のない『俺』の未来を作れたなら、たとえそれが元の世界には関係ないとしても、俺の後悔が和らぐかも知れない。ここでの経験が、俺が今後生きていくための希望だったり勇気だったりになると思いたい。そしたら、タイムスリップは少なくとも俺にとっては意義があることになるやろ」

「俺」は何も言わない。リビングに静寂せいじゃくが居座った。それは、どんよりとした沈黙ではないが、決して心地の良いものでもない。

十秒ほど間を置いて、ついに「俺」が口を開く。

「やっぱりに落ちないな。もしも、後悔のない俺の未来を作れたとしても、それでそっちの後悔がなくなるかどうかはわからない。それどころか、この世界で後悔のない結末を目の当たりにしたせいで、向こうの世界に戻ったとき余計にギャップを感じてしまうかも知れん」

それを聞いた俺は、少し頭に血が上るのを感じた。それは、俺がこの世界で頑張っていく意味を否定されたからだけではない。頑張ろうと思う一方で俺自身が感じていた、そして一生懸命ぬぐい去ろうとしていた、頭のすみにあるもやもやを見事に言い当てられてしまったからだ。

「お前は、俺が手助けするのをやめた方が良いと思っとるんか?」

俺のやや力のこもった高圧的な口調にも、「俺」は一切表情を変えずに淡々と言い返す。

「俺は、やっぱり未来の俺がタイムスリップしてこの時代に来たことには大きな意味があると思ってる。後悔が和らぐとかそんなレベルじゃなくて、もっと大きな変化をもたらすはずだ。そうじゃないと割に合わない。タイムスリップなんて奇跡的なことが起こった上に、そっちはリスクを取って未来を変えようと努力してるんやろ」

「俺」は決して挑発的になっていたわけじゃなかった。俺は、先ほど多少なりとも攻撃的な態度に出てしまったことを反省して、今度はちゃんと落ち着いた口調で言う。

「さっきも言ったけど、俺のタイムスリップがもともと意味を持って発生したとは限らない。単なる偶発的な出来事かもしれない。俺にできることはせいぜい、それに自分にとっての意義を見つけていくことくらいやろ」

それを聞いた「俺」はふん、と鼻で笑った。眉毛を少し上げて、今度こそ挑発的な表情でしゃべる。

「未来の俺もつまらんことを言うんやな。本当は自分でも願っているんじゃないのか? その小説だって、漫画だって、こんなこと起こるわけないと思っててもそれに憧れているんやろ」

「……何の話だ?」

「つまりさ、今回くらい運命を信じてみろよ。このタイムスリップの結末には、きっと大きな何かが待ち受けているんだって信じて、頑張ってやってみようぜ」

●5月12日(木) タイムスリップ42日目

もともと俺は学校に行くことに対するモチベーションが低い。始業式の翌週からは、やっぱり学校に早く着いてもしょうがないと思って、遅刻ギリギリの登校を律儀に続けていた。

別に学校が嫌いというわけではないが、単に登校するのがめんどくさいのだ。仲の良い友達と遊ぶ約束をした時でさえ、前日や当日になって急に出かけるのが億劫おっくうになることがある。ましてや、学校なんてわざわざ自分を奮い立たせて登校しても対価として受け取るのはひたすら無味乾燥な授業なのだから、いわんややる気が起きるはずもない。

さて、問題は今日は朝から雨が降っているということだ。

カッパを着ればいつも通り自転車で登校できるが、見た目が不格好だし何より雨や汗で中が蒸れて、ビニールがねっとりと体にまとわり付くのが不快でたまらない。とすると残る選択肢はバスである。

バスの遅延を考慮して、いつもよりわずかに早く家を出る。と言っても本当にわずかなためバスが遅延すれば結局、遅刻は免れないだろう。

ザーザーと降り注ぐ雨の中、家にあった一番大きなビニール傘を片手にせかせかとバス停に向かう。まずはそこからバスに乗り、まっすぐ道沿いに進んだ先の大きな四つ角の前で降りる。そこで別のバスに乗り換えなければならないのだ。

予想以上にスムーズに四つ角までたどり着き、気分よくバスを下りたところで、物憂ものうげな様子でバスを待っている野間の姿が見えた。

「お! おはよ」

「げっ、若久かよ。もうそんな時間?」

野間はポケットから携帯を取り出して時間を確認する。

「……俺をそういう目印に使うのはやめろ」

野間によると、高校方面へ行くバスはもうすぐ着くらしい。それに乗れば、全ての信号に引っかかるような悲劇にでも見舞われない限り、まず遅刻はしないだろう。

2分ほどして、野間の話していたバスがのっそりとバス停の前に止まった。俺は野間の方をちらりと見る。と同時に野間もこちらを見てきた。考えていることは同じようだ。

……乗客が多すぎる。これじゃあ席に座るどころか、立つにしてもぎゅうぎゅうとひしめき合いながら目的地まで過ごさなければならないだろう。そして、窓を通して見える乗客の表情から、それがどれほど不快なものであるかは容易に想像できた。

バスの出口が開いても数人が降りるだけで、中は依然として乗客でいっぱいだ。

俺は野間に話しかける。

「これは俺たちが乗るにふさわしいバスではないな」

それを聞いてニヤリとすると、野間もおどけた口調で返す。

「ああ、急いてはことを仕損じるって言うしな。ここは大人しく故事の教えに従おう」

俺たちはその後さらに2度バスを見送り、乗客がやや少なくなったところでようやく乗車することに決めた。このとき、時間はちょうど一限目が始まったところだった。

15分ほど経って、俺たちは高校から最寄りのバス停で降車する。降車したはいいが、このまま授業まっただ中の教室のドアを開け、クラス中の注目を浴びながら席までの距離を闊歩かっぽするというのはどうも気が乗らない。それに、その場で先生に対して謝罪と弁明を行わなければならない(弁明についてはそもそもできるのか疑問だが)のは、やはり決まりが悪いし面倒だ。

野間と話した結果、一限目が終わって担当の先生が教室を出た後、二限目の先生が教室に入ってくるまでの間を上手く見計らって、教室に入り込むのが最も波風を立てずに済むだろうとの結論に至った。そして、今は近くのコンビニで週刊コミック誌を立ち読みしながら、一限目が終わるのを待っている。

お気に入りの漫画を一通り読み終え、今度は普段あまり読まないものを流し読みしていると、となりからぱたんと本を閉じる音が聞こえてきた。

「そろそろやな」

と野間が落ち着いた声で言う。

「時は満ちたか」

俺たちはそのままコンビニを出て、のろのろと高校へ向かった。

結局、高校に着いたのは9時52分だった。これは、一限目が終わってから2分が経った時間だ。

校内で他の先生と出くわさないように細心の注意を払いながら、無事に教室の前にたどり着く。おそるおそる窓から中を確認すると、どうやらすでに先生は教室を去ったあとのようだった。ほっと胸をなで下ろす。

俺たちが堂々と教室の中に入ると、教室が少しざわめいた。

竹下がこちらを見て笑い、持ち前の通る声で言葉を投げてくる。

「出欠のとき先生言いよったぜ。お前ら2人は廊下に立たせるって」

「まじかよ」

今のうちに廊下に椅子でも置いておくべきだろうか。

自分の席に着くと早速後ろから高宮さんが話しかけてきた。となりには大楠さんも立っている。なぜか彼女は不機嫌そうだった。

「堂々と遅刻するとはやりますな!」

「授業中に入るより休み時間に入った方が注目浴びんで済むやろ」

「あー、言われてみれば確かに。私もそうすれば良かったなぁ。1人で入ったとき、めちゃ恥ずかしかったもんなぁ……」

彼女は机に突っ伏しながら、力なく言う。当時の場面を思い出しているようだ。

「なんだよ、高宮さんも遅刻してたんか」

今度は顔を上げてニヤリと歯を見せた。「うん、雨の日は弱い」

「はは、俺と同じやん。もう雨の日は学校休みにならんかな」

「それいいね!」

そのとき、さっきから不機嫌そうに2人の話を聞いていた大楠さんが、机に両手をついて身を乗り出しながら割り込んできた。

「いいねじゃない! 今日放課後に4人で勉強するって言ったよね? みんな適当すぎ! 最初誰もおらんけん1人かと思って寂しかったんよ!」

3年になって最初の中間考査が6日後に控えていた。試験の1週間前から部活動が休止となるため、今日はみんなで勉強することになっていたのだ。

「ごめんごめん。でも無事みんな揃ったし、これで良かったということで」

俺は大楠さんを和ませようと少しおどける。ところが、それを聞いた彼女は口をへの字に曲げてにらんできた。今の発言は逆効果だったようだ。

「もー、若久くんには1限の授業のノート見せんけん!」

なんてことだ。

その後、自分でもすっかり忘れていたが、俺と野間は5限目の数学の授業で住吉先生が教室に入ってきたときに遅刻のことを指摘され、結局、罰として立って授業を受けさせられた。幸いにも野間は教室の一番後ろの席に座っていたため、俺の後ろに位置する高宮さんを除いては、俺たちが立ちながら授業を受けることで迷惑を被る生徒はいなかった。

そして、当の彼女は俺が先生の視界をさえぎっているのをいいことに、授業のほとんどを寝て過ごしていた。ある生徒の遅刻に対する罰が別の生徒の居眠りを誘発させてしまうなんて皮肉だ。て言うかこいつも遅刻したんだよな? なぜこいつだけ寝ている。

「勉強会は教室ですると?」

放課後、野間と大楠さんが自分たちの荷物を持ってこちらにやってくるのが見えたから、俺は念のため高宮さんに確認する。

この勉強会は、高宮さんが俺に勉強を教えてくれと頼んできたことにたんを発する。よって、これを仕切るのはとりあえず彼女なのだ。

「うん、そのつもりやったんやけど……」

2人が俺たちの席まで来るのを待ってから、みんなに向かって口を開いた。

「ちょっとお腹すいちゃったし、近くのマックで勉強せん?」

その発言には「あ、これ勉強せずに終わるパターンやな」と思ったけど、俺自身も少しお腹がすいていたし別に慌てなくても試験までまだ日にちもあったから拒否はしなかった。そして、どうやら他の2人も同じ考えのようだ。

ここで4人の学力を簡単に整理しておく。

そもそも俺たちが通っているのは、中央高校と呼ばれる市立の進学校だ。ずば抜けて偏差値が高いわけではないが、決して低いわけでもない。九州で最難関の大学である九州大学には、一応、我が校からも毎年数人の合格者を輩出している。かと言って、学校全体の雰囲気として、そのような超難関大学に進学することを至上命題としているわけではなく、たいていの生徒はそれなりに勉強し、それなりに良い大学へ合格して、それなりに満足して卒業していく、というのが実情である。おそらく最も多いタイプの進学校ではなかろうか。

その上で、俺の学力は上の中といったところだ。学校で行われる定期考査では学年360人中、だいたい20~30位を取っている。勉強自体は好きではなく普段は積極的に勉強などしないが、周りと比べると試験前に要領良く勉強してそれなりの点数を取るタイプだと思う。もちろんその前提には、宿題を出されればそれなりにちゃんとやっていくし、定期考査前の1週間は苦戦しつつもちゃんと復習に取り組む程度には真面目さを備えているということがあるが。

次に野間だ。普段の成績は下の上。定期考査は250位あたりだ。あいつは頭が良いとか悪いとか以前にまったく勉強をする気がない。定期考査の1週間前から部活動が休止となるため時間はあるのだが、そのほとんどはゲームと惰眠に費やされる。考査の2日前までは「まだ明日があるから大丈夫」とゲームと惰眠をむさぼり、そして前日には「もうどうせ無理だ」と試験を諦めてやはりゲームと惰眠を貪るというのが彼のスタイルである。

さすがに今年は受験生ということもあって、このままではまずいという危機感は抱いているようだ。今回は、家にいてもどうせゲームと睡眠で一日が終わってしまうだろうから、と勉強会に参加することにしたらしい。

次は大楠さん。彼女の学力は決して悪くない。順位は100位ほどだ。と言っても、彼女のふんわりとした、ともすればおしとやかな雰囲気のためか、気の毒なことに周りからは学年トップレベルの優等生なのだろうという錯覚を抱かれる。そして、ふたを開けてみると思いの外、中途半端な成績だとがっかりされてしまうらしい。なんだか残念な話である。これからは家事よりも勉強に時間を割いて、学力が自分の雰囲気に追いつくようにするのだと意気込んでいた。

最後に俺が勉強を教えることになっている高宮さんだが、これが結構厄介なのである。学年順位はだいたい300位ほど。彼女は率直に言って物事の理解があまり早くない。早くないなら早くないでしょうがないのだが、最も問題なのが、勉強に対してアレルギーを持っていることだ。特に英語は悲惨で、以前に英文の訳がわからないと言われたから軽い気持ちで付き合ったら、そのまま文章の全文をまるっと訳させられたことがあった。さすがに全文わからないということはないだろうと問い詰めたら、最初の3行ほどを読んで、あまりのわからなさにやる気をなくしてしまったということだった。

彼女に勉強を教えるたびに俺は頭を抱えることになるのだが、勉学以外に大した取り柄のない俺の中でも妙なプライドが働いてしまって、頼まれればそれを断ることはできなかった。結果として、お願いされるがまま今や彼女専属のチューターのような役回りをさせられてしまっている……。

近くのマックで勉強を始めてから早1時間が経った。予想以上にみんなが黙々と勉強していることに面をくらう。さらに言うと、俺の方が集中力が切れてしまって、そろそろ談笑タイムに入りたいとさえ思っているくらいだ。しかし、こうもみんなが静かだとこちらからしゃべりかけるのも気が引ける。どうしたものか。

仕方がないので、すっかり氷が溶けて薄くなったオレンジジュースを一口飲み、ふぅと息を吐きながらぼんやりあたりを見回す。夕方の5時半を回ったところだったが、客は少なかった。この時間帯はいつも人が少ないのだろうか。

「……疲れたん?」

高宮さんは俺の顔色を伺っているのか、遠慮気味に尋ねる。

「うん、疲れた。ちょっと休憩」

その言葉を聞いたとたん、彼女は崩れ落ちるように机に突っ伏した。

「はぁー、やっとかぁー」

ん? 何のことだ?

「ふぅー、やっと休憩やな」

そう言いながら野間も背を伸ばす。大楠さんもペンを止めて「やったー」と力なく笑う。

「どういうこと?」

俺はみんなの急な態度の変化が理解できず、困惑していた。

「いやさ、今日は私から若久くんにお願いして一緒に勉強してもらってるわけやけん、若久くんが勉強してるのに私だけ疲れたから休憩しますってのも悪いなぁと思って」

そう言って苦笑いしながら、ほんとはとっくに集中力切れてたんやけどね、と付け足す。

それを聞いた俺は思わず乾いた笑いをこぼす。

「ははは……、それで他の2人は?」

野間が携帯をチェックしながらぶっきらぼうにしゃべる。

「俺はクラスの中で下位争いしてる高宮さんが勉強しているのに、俺だけ休憩に入るのはなんだかなあと思って」

「ん、なんかそれひどくない?」

なんだかんだ言ってもこの2人は仲が良い。

そして、大楠さんも大楠さんで「私はみんながまだ勉強してたから……」という彼女らしい理由で休憩に入れずにいた。

「なにこの無駄な心理戦……」

「それじゃあさ、ちょっと話変わるけど」

そう前置きをして高宮さんがこちらに目線を移す。

「若久くんなんでイメチェンしたと? 髪型とコンタクト。最初来たとき、誰かわからんかったよ!」

俺の耳はかっと赤くなった。覚悟はしていたものの、いざ言われるとやっぱり恥ずかしい。できればそこは触れないでいただきたかった。

「あ、それ俺も気になっとった」

「私もー」

他の2人も話題に乗っかる。

困った、俺だって最初に登校したときはめちゃくちゃ恥ずかしかったんだ。だいたい理由なんて「俺」が強要してきたからという他にはない。

幸いなことにこれまでは驚かれこそしたものの、理由まで尋ねてくる人はいなかった。強いて言えば、竹下あたりが俺を見るたびに「はじめまして」だの「転校生ですか?」だのとわずらわしい茶々を入れてきたくらいだ。このまま何事もなく浸透していけると思っていたのに……。

「いや、ほとんど強要されたんだよ。お前はこっちの方が似合うからって」

「へー、確かに今の方が似合っとるよ! 雰囲気が変わってかっこよくなったと思う!」

「ねっ、なんかさわやかになったー。昼休みにみんなでご飯食べたときも、その話題でとったよー」

メガネや髪型を変えたときはほとんど不本意だったが、こうしてめられるとやっぱり変えて良かったかもなと思う。我ながらゲンキンだ。

「強要ってもしかしてお前の母さんから?」

野間がニヤつきながら意地悪く尋ねる。高校3年生にもなる男子学生が母親に言い負かされて見た目に気を遣い始めました、なんて恥さらしもいいところだ。

「に、兄ちゃんから言われたんだよ」

とっさにそう言ってしまった。高宮さんや大楠さんはともかく、小学校からの友達である野間に対してこの嘘はまずい。こんなことなら最初から「自主的にイメチェンしました」とでも答えておいた方がマシだった。

首をかしげながら「お前に兄ちゃんなんかいたっけ?」とつぶやく野間を横目に、あとの2人が割り込んでくる。

「私はてっきり若久くんに好きな人ができたんかと思ったんやけどなあ!」

「うん、私もー」

高宮さんがにんまりとしながら目線を大楠さんに移す。

「そして、私はその好きな人ってのは帆乃のことやと思ってた!」

「えぇ!?」

俺と大楠さんが同時に驚きの声を上げる。突然、身内に裏切られた大楠さんは見事にショックを受け、あんぐりと口を開いていた。

「だってさ、あれやろ? 2人たまに一緒に帰ってるやん!」

高宮さんはもうニヤニヤが止まらないといった様子だ。

「……余計なことをしゃべりやがったな」

俺は苦笑いする大楠さんをにらむ。

「えー、だって一緒に帰ってるのかってきかれたんやもーん」

「それで、お二人は帰りながらどんな話をしてるんですか!?」

「うーん、だいたい2人の将来の話とかやねー」

「ブッ……ゴホッ」

となりでジュースを飲んでいた野間がむせる。

「なに? お前ら結婚でもすんの?」

慌てて俺が補足を入れる。

「2人の志望大学とか職業とかそういうことだよ! 大楠もまぎらわしい言い方はやめろ」

「あ、ごめーん」

「ねぇ、聞いた? いま帆乃のこと『大楠』って呼び捨てにしとったよ!」

ああ、もうっ……。

その後も無駄話に花が咲き、たっぷり一時間ほど咲き乱れたところで、ふと時間の経過に気づき、各々自責の念に駆られながら勉強に戻った。しかし、時間が遅くなっていたこともあって、結局、ふたたび教科書とにらめっこを始めてから30分が経ったところで解散することにした。

家に帰って、夜ご飯を食べる。マックで少し腹ごしらえをしていたから、食べ終わるのになかなか苦労した。

膨れる腹を押さえながら、勉強の続きをすべく自分の部屋に入る。俺がちょうど数学の教科書とノートを机の上に広げたとき、ふと「俺」が部屋のドアを開けてきた。

「……ノックくらいしろよ」

「俺なんやけん、別に良いやろ」

こうなると、どれだけ反論しても互いの主張はぐるぐる回るだけで一向に収集がつかなくなる。それがわかっているから、俺は不満はあったがそれ以上何も言わないことにした。

「それで何の用だよ」

「俺」は部屋の入口に立ったまま答える。

「今って中間試験の時期やろ? 3人と勉強会はするのかと思って」

「それならちょうど今日したよ。それに今週の土曜もみんなで集まって勉強することになっとる」

「そっか、それならよかった。昔の俺はあまり勉強会に参加しなかったから気になって。邪魔して悪かったな、それじゃ」

…………。

そう言って部屋から出ようとする「俺」を呼び止めるように俺は早口でしゃべった。

「やけど、勉強の進み具合によっては参加をやめようとも思っとる。やっぱり、みんなと一緒にするよりも、一人で勉強した方がはかどるから。それに今までの試験は土日に詰め込んで勉強しとったけんなんとかなったけど、今回もしも土曜が潰れると正直きつい。さすがに成績が下がるのは嫌なんだ」

「やっぱりそんなことだろうと思ったよ」

「俺」は部屋の中に1歩入り込んで先ほどから開けっ放しになっていたドアを閉めると、立ったままドアに寄り掛かった。これから大事な話をするということなのだろうか。

「俺が勉強会にあまり参加しなかったのは今のお前と同じ理由やった。やけどさ、」

俺は黙ったままじっと「俺」の顔を見つめる。

「人との友好関係ってのは、自分から相手を誘うよりも、相手から誘われたときにちゃんと応えてあげる方がずっと深まるもんだ。それに……、お前自身わかっとると思うけど、他に大した取り柄のない俺が活躍できるのなんて人に勉強を教えてるときくらいやろ。少しぐらい成績が下がってもみんなと付き合おうぜ」

確かに「俺」の言うことはわかる。事実、その通りなのだろう。

とは言え、他の人を手助けするあまり、本当に俺自身の成績が下がってしまっては元も子もない。今までが成績上位者だったこともあって、この時期に勉強以外のことを優先するのは気が引ける。それに来年は受験だってあるんだ。

どうにもに落ちない俺の様子を感じ取ったのか「俺」は最後に一言付け加えた。

「まあ安心しろ。勉強なら最悪俺が見てやるよ。これでも九大卒やけんな」

「……えっ!?」

予想外の出来事に理解するのが少し遅れた。俺があの九州大学に受かったのか!?

今の学力のままじゃとうてい九大に届かないことはわかっている。相当勉強したんだろうな。て言うか、もうそっちが代わりに受験してくれないか?

「そのぶんかなり勉強したけどな。なんにせよ、多少中間で点数が取れなくても、夏休み前から本気で勉強すれば受験はなんとかなる。それにあんまり勉強ばかりに時間使ってても後悔するぜ」

続けて「俺」が口を開こうとしたから俺は先に割り込んだ。

「俺が言うんだから間違いない、やろ? もう聞き飽きた、そのセリフ」

「俺」は調子が狂ったという表情で言い返す。

「それ、俺の決めゼリフみたいなもんなんやけど」

「知るか。勉強するけん部屋から出てってくれ」

無粋なやつめ、と決めゼリフの代わりに捨てゼリフだけ吐いて「俺」は部屋のドアを開ける。そして、

「まあ、勉強会のことは考えてみてくれ」

そう言って部屋を出ていった。

目線を机の上の教科書に戻し、先ほどの「俺」の発言を頭の中で反芻はんすうする。

どうしたものか。確かに夏休み前から本気で勉強すれば九大にも受かることができるのかも知れないが、逆に言うと九大に受かる素質があるとわかってしまった分、もしも来年落ちたらそのときの悔しさも倍増するだろう。

今はたかが中間試験だけどこの先のことを考えると……。

そのとき、教科書の横に置いていた携帯が着信音を発した。中を確認すると、それは高宮からのメールだった。

【高宮 花菜】

今日はありがとね!

放課後まで付き合わせちゃって申し訳ないけど、ほんとに助かったけん!

これからも色々とお願いしちゃうと思うけど、どうかよろしくお願いします(笑)

そのメールに思わず顔がほころぶ。

……もうこの際、多少中間の点数が落ちても文句は言うまい。そして先のことはそのときに考えてやる。

俺はその場でメールの返信を打った。

【若久 拓哉】

どういたしまして。

もう最後まで付き合うから絶対成績伸ばせよ!

そして、伸びたらジュースおごってもらうけんな!


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