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第6章:分岐点

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●7月20日(水) タイムスリップ111日目

今日は終業式の日だった。明日から夏休みが始まる。と言っても、受験生の夏休みはほぼ毎日、夏季課外で埋め尽くされているのだが……。

放課後の誰もいない第二講義室。俺は窓を開けて、教室の校庭側の席に座っている。

頭の中でこの5日間の出来事をもう一度、思い返していた。

一生懸命考えた。覚悟も俺なりに決めた。だから、これでこの先、結果がどうなったとしても俺は後悔しない。……と信じたい。

――ガラガラッ

教室のドアが開く音がした。

見なくても、誰が入ってきたのかはわかった。

5日前。

その日はクラスマッチの最終日だった。楽しいといえば楽しかったが、特に大した活躍はできなかったので詳細は割愛かつあいすることにする。

帰りは大楠たちと4人で一緒に教室を出た。

一階に下りて自分の靴箱を開ける。

「ん……?」

俺の靴の上には、可愛く装飾された白い封筒が置かれていた。

こ、これは!?

胸の鼓動が一気に速くなる。心臓が上に押し上げられているようで息がしにくい。

いや、待て。まずは落ち着け。いたずらの可能性もあるし、何なら入れ間違えでしたなんて悲しい結末の可能性もある。そもそもこれが……あれだと決まったわけでもない。

――パタン

すぐとなりで野間が自分の靴箱のドアを閉める音がした。

反射的に俺はその封筒をポケットの中に入れて隠した。情けないが、どうすべきかわからなかったからとりあえず隠すことにしたのだ。

「若久くんー?」

帰り道、自転車をこぎながらずっとあの封筒のことを考えていると、不意に大楠の呼ぶ声が聞こえて現実に引き戻された。

「え、あー、ごめん。なんだっけ?」

「野間くんがたい焼き行くかってー」

「あー、今日はいいや」

「はい! といわけで3対1でたい焼きは却下!」

「まじか、これで3日連続で却下されてるんやけど」

「4人で帰るようになってから、あのたい焼きめっちゃ食べたけんね。もう飽きてきちゃった」

「その試練を乗り越えてこそ、真のおいしさを知ることができるんやぞ」

「いや、別に知らなくていいっす!」

みんなに相談してみるか?

まあ、まずは中身をちゃんと確認してからだけど……。

「若久くん?」

またしても大楠が話しかけてくる。今度はちゃんと意識を傾けていたから聞き逃しはないはずだが。

「あれ? もしかして、またなんか聞き逃してた?」

「ううん。ただ、ぼーっとしてたから大丈夫かなーって」

「あー、大丈夫。たぶん」

怪訝けげんそうな顔をする大楠をよそに、俺は「ありがと」とだけ言って顔を前に戻した。

帰り道で1人ずつ分かれていき、とうとう俺1人になった。

俺は近くの公園へ行き、ベンチに座って先の封筒を取り出す。

ピンクのリボン模様がついた可愛らしい封筒だ。それをできるだけ丁寧に開けると、中にはきれいな字で書かれた手紙が入っていた。

――いきなりごめんなさい。どうしても伝えたいことがあります。

――もしよければ、今日の放課後、第二講義室に来てください。

――薬院 奈々

…………。

「ええっ!? ってことは今待ってんのかよ!?」

俺は急いで自転車に飛び乗り、ふたたび学校に向けてペダルをこいだ。

薬院奈々……。誰かわからん……。

少なくとも今まで彼女と直接話したことはないはずだ。はぁ、いよいよ入れ間違いの可能性が出てきたな。

10分後、ようやく校門にたどり着く。合計25分かけて、俺はただ自分が元いた場所に戻ってきたのだ。ほんと何をやっているのか。

乱暴に自転車をとめ、第二講義室を目指す。

……第二講義室ってどこだ?

「はあ、はあ……」

疲れた。日頃の運動不足をこんなところで痛感させられるなんて。それに暑い。夏だと少し急いだだけで汗をかいてしまう。気持ち悪い。

――ガラッ

息を切らしながらドアを開けて中に入ると、教室の校庭側の席に女子が1人座って、少し驚いた様子でこちらを見ていた。窓が1つだけ開けられていて、そこから流れてくるそよ風が俺をすり抜けていく。

教室の中には他に誰もいない。というのも、この教室は補修以外では使われないのだ。だから、俺も人にきいて初めて第二講義室がこの場所にあると知った。

俺の顔を見ると、女子は慌てて立ち上がった。

「来て、くれたんやね。もう来てくれないかもって思ってた」

ホッとしたような、そして嬉しそうな表情を見せながら、まっすぐに俺を見つめて言った。

こんなときに自分のことを考えるのはつまらないが、俺は少なくとも入れ間違いで封筒が置かれていたわけではなかったのだとわかって安堵あんどした。

俺は息を切らしながらとにかく要件を伝える。

「これ……靴箱に入ってた。……中身読まんまま帰って、途中でここで待ってるって知って……一応急いで来たんやけど。はあ……遅れてごめん」

いまだに息が整わない。汗もだらだらと出てくる。失敗した。これじゃあ、めちゃくちゃ格好悪いじゃないか。

「ううん、わざわざ来てくれて本当にありがとう。私の方こそごめんね。急にこんなところに呼び出しちゃって……」

ここで1度、深呼吸をしてようやく少し息が整ってきた。

「いや、俺も第二講義室の場所わからんくて迷ってたらこんな汗かいちゃって」

恥ずかしさをごまかすために、「はは……」と笑いながら手を頭の後ろに回して襟足えりあしのあたりを触る。

「初めてちゃんと話すのに見苦しくてごめんな」

「そっか、若久くんは頭いいから補修なんて受けないもんね。私はたまにお世話になっちゃってるから知ってたんやけど」

俺たちは小さく笑い合った。

彼女は大人っぽくてどこか西新さんに似た雰囲気があるけれど、顔つきはもっと幼くて可愛らしかった。きっと男子にも人気なはずだ。同じクラスになっていたら、愛宕さんのように嫌でもうわさが耳に入っていただろう。

「それでね、今日は伝えたいことがあるんだ」

彼女は急に真面目な表情になって、改めてまっすぐに俺を見つめてきた。

それまであまり意識していなかったのに、その表情を見たとたん、心臓の鼓動が速くなる。

「いきなりこんなこと言うのも変だってわかってるんやけど」

緊張で頭の中が真っ白になる。まるで周りの空気がゆがんでぐちゃぐちゃになっていくような感覚だ。俺はただ必至に彼女の口から次の言葉が出てくるのを待っていた。

「私、若久くんのことが好きです。付き合ってください」

……これは現実か?

自分でも情けないが、その瞬間、最初に脳裏に浮かんだことはそれだった。

俺はなんて返事をすればいいんだ? 彼女のことをどう思ってるんだ?

目の前で、少し恥じらいながら頭を下げて告白してきた彼女の姿は純粋に可愛いかった。

「…………」

じゃあなんで俺は何も言えないんだ。何を迷っている? どうして次の言葉が見つからない?

ちゃんと話したのは今回が初めてだけど、きっとこの子は良い子だ。彼女のような人が俺に好意を持ってくれることなんて金輪際こんりんざいないかもしれない。

それなら男らしく二つ返事で受け入れてしまえば良いじゃないか。

そして、そこから少しずつ相手のことを知っていけば。

だけど……。

無言のまま時間が経つ。

5秒くらい経ったか。早く何か言わないと彼女にも失礼だ。せっかく勇気を出して、こんな大した取り柄もない俺に好意を示してくれたのに。

「俺さ」

「――返事は」

薬院さんが俺の言葉をさえぎった。

いや、本人にその気はなかったのだろう。遮ってしまったことに少し困惑していたが、ふたたび口を開く。

「……たぶん、今まで一度も話したことなかったし、いきなり言われても困っちゃうよね」

そう言う薬院さんはとても寂しくて、か細く見えた。

俺はそんな彼女の様子にものすごく負い目を感じて、ただひたすらどうしていいのかわからない自分が情けなかった。

「困るとかじゃないんよ。むしろそう言ってくれるのは本当に嬉しい」

俺は慎重に言葉を選びながらゆっくりと続ける。

「やけど、俺こういうの初めてやし、格好悪いのはわかってるんやけど、少し時間をかけて考えてもいいかな」

その返事を聞いた薬院さんは、下げていた視線を俺の顔まで上げて、力を取り戻したように言った。

「うん、もちろん!」

彼女は少しニコッと笑った。俺はその笑顔になんだか救われた気がした。

「あのね、」

「うん」

「即答でフられなかったってことは少しは脈があるって思ってもいいんかな?」

それは、そうだ。俺は彼女と付き合うことを実際に考えていた。だからこそ、断るのではなく黙ってしまったのだ。ただ、だからと言って、ここで脈があるなんて思わせぶりなことを言うのは無神経だろう。

彼女の方もそれはわかっていたのか。俺の返事を待たずに言葉を続けた。

「それならさ、返事をもらう前に、一度だけ私とデートしてくれん?」

今度は、すぐに返事をすることができた。

「なあ、これくらいは前もって教えてくれても良かったやろ」

その日の夜、バイトから帰ってきた「俺」をとっ捕まえて部屋に連れ込み、薬院さんからもらった手紙を突きつける。

「俺、バイト帰りで疲れてるんやけど。それなに?」

俺の手から手紙を取り、中身を見た瞬間、「俺」が驚愕きょうがくの表情を浮かべる。

「は? これどういうこと? つーか薬院って誰だっけ?」

「……つまり、あんたの時代にはこれは起こらなかったってことか?」

「まあ、そうやな。とにかく詳しく教えてくれ」

俺が一通り説明し終わっても、「俺」はしばらく黙ったままだった。何かを考えているようだ。

ポケットの中で携帯が震える。取り出して確認すると、メールが届いていた。――差出人は薬院奈々だ。

「お前が告白の返事を保留にした理由が2つ思い浮かぶ」

突然の言葉にドキッと心臓が締め付けられた。相手は俺自身なのだから構える必要も隠す必要もないのだと慌てて自分に言い聞かせる。

「……俺自身、まだよくわからないんやけど、多分その2つで合っとるよ」

「その『まだよくわからない』ってのも何となくわかるよ」

「俺はどうすればいい?」

「それはお前自身が決めることやろ。今のお前はどう思うのか。その理由はなぜか。どうしたらその理由がはっきりすると思う?」

そう言われて、つい黙ってしまう。

「俺が6年前にできなかったことの1つは人を頼ることだ。お前はこのことを、誰に知ってもらいたい?」

俺が人に背中を押されないときっとできないこと。やっぱり「俺」は、それをちゃんと知っている。

「……わかった。とりあえず色々やってみるよ。後悔しないために」

「うん、そうしてくれると俺は嬉しい」

あいつは優しくそう言った。その声は今の俺の声とほとんど変わらないはずなのに、とても落ち着いていて、不覚にも大人っぽさを感じてしまった。

「なんか、少し意外やった」

「ん? 何が?」

「俺」は眉をひそめる。

「この出来事って、元の時代にはなかったんやろ? つまり、あんたの後悔とは無関係ってことだ。それどころか、これで俺と薬院さんが一緒にいることになったら、あんたの後悔はきっと解決されないままになる。だから、俺はもしかしたら断る方をすすめられるんじゃないかと思ってたんよ」

「それはないよ」

「俺」が即答する。

「お前が一生懸命やって出した結論なら、俺はそれが何であっても良いと思ってる。その結論なら、結果がどうであれ後悔しないやろうからな。俺は自分の後悔を消すよりも先に、お前に後悔のないように過ごしてもらいたいんだ。そして、今のお前ならきっと俺なんかよりずっと後悔しない結論を出せると思う」

物事を後悔するのは、もちろん結果が自分の期待にそぐわなかったからだと思う。でも、たとえそうなったとしても後悔しないときがある。どっちになるかは、自分がどれだけ覚悟を持って、どれだけ考えたり行動を起こしたりしてそれと向き合ったかで決まるのではないか。精一杯やった上での結果なら、それがどんなに悲惨なものでも、きっと受け入れることができる。

あいつが来てからの数ヶ月でそう考えるようになった。この考えが正しいかどうかはわからないけど、少なくとも俺はそう考えるようになれて良かったと思っている。

ここで俺は大事なことをきき忘れていたことに気づいて、ハッとした。

「そうだ、もう一つききたいことがある」

「ん?」

「……デートって何をすればいい?」

3日後、俺は天神の大画面前で薬院さんを待っていた。

「俺」いわく、とにかく初デートは絶対に遅れるな、とのことだったから、普段の自分からは考えられないくらい余裕をもって家を出たのだ。

「ごめん、もしかして待った?」

約束の10分前。俺を見つけた薬院さんが駆けてやってくる。やはり早めに着いておいて良かった。

「大丈夫。俺も今来たところやけん」

大画面前で合流した俺たちは、そのまま道を渡って、天神中央公園へ向かう。

高宮たちとのぼったステップガーデンを通り過ぎ、橋を渡る。国の重要文化財に指定されている旧貴賓館を横目にさらに進むと「福博であい橋」という大きな橋が見えてくる。

この橋は、昔の商人のまち「博多」と武士のまち「福岡」が出会う橋ということからその名が付けられたそうだ。そんな少しロマンある橋を目の前に、俺は薬院さんに何を話しかけようかと考えあぐんでいた。

「…………」

ここに来るまでにもう一通りのことは話し終えてしまったのだ。

いや、それを踏まえても、普段ならもう少し色々と話すことができるだろうが、情けないことにデートという言葉を前にして緊張してしまい、上手く立ち振る舞えないでいた。

とりあえず辺りを見渡す。すると、橋のたもとの階段を下りたところにあるリバークルーズ乗り場が目に入った。このリバークルーズは那珂川なかがわの一部と博多湾とをゆっくりと周遊するから、夜には九州最大の歓楽街である中洲のネオンサインを楽しむことができる。

「あ! あのリバークルーズ乗ったことある?」

「あれのこと? ううん、乗ったことないよ。若久くんはあるん?」

「いや、ない……」

バカか俺は。

うつむく俺の姿を見て薬院さんが小さく笑った。

「ふふっ」

「え?」

「いや、ごめんね。もしかして私に気をつかってくれたんかなって」

「あー、うん。まあ一応……」

指摘されてしまい、耳の先が赤くなるのを感じる。

「ありがとね。それと、ごめん。私が誘ったのに気をつかわせちゃって」

「いや、違うんよ」

情けない自分を正直に伝えるのは恥ずかしいが、それで相手の気が和らぐなら、そっちの方がずっと大切な気がした。

あの3人と付き合っているうちに、自分のくだらない体裁ていさいを守ろうと人と一定の距離を保って接するよりも、はっきりと自分の弱いところも伝えた方が良いのだと思い始めていた。

「俺、緊張してるんよね。誰かとデートするのなんて初めてやし、まして薬院さんみたいな人が俺に……その、好意を示してくれるなんて。だからさ、たぶん今日の俺、ちょっと変になってると思う」

苦笑いをしながら薬院さんを見る。

「実はね、」と彼女も照れ笑いを浮かべて言葉をつむぎだす。

「私もすっごく緊張してる。私だってこうやって誰かとデートするの初めてやし……。誘うときホントに勇気出したんやけんね!」

それは純粋でまっすぐな想いだと思った。

俺みたいに一生懸命考えて、人のアドバイスを受けながら何とかするんじゃなくて、もっと自然に伝えられたものだ。そして、そんなふうに自然と自分の想いを表現できるのは、きっと彼女が周りから愛されているからだと思う。

「なんで、俺なんかにそんな」

それは純粋な疑問だった。

自分を卑下するとかそういうのではなく、ただ本当に浮かんできた疑問だ。

薬院さんがニヤリと笑う。

「じゃあ、付き合ってくれたら教えるけん」

予想外の返事に思わず俺は笑ってしまった。

橋を渡ったあとは、右に曲がり、ひたすら川沿いを歩いていく。

さすがにこの時間はまだないが、夕方になるとこの通りには続々と屋台が出始める。そんなことを考えていると、ふとあることを思い出した。

「そういやこの前、ここで友達と初めて屋台行ったんよ」

「へー、私まだ行ったことないよ。どうやった?」

「となりにいた知らないおじさんに話しかけられて色んなこときかれた。んで帰る時には『今度は酒が飲めようになってからきんしゃい!』って」

イメージ通り、と薬院さんが笑った。

通りの先には清流公園という公園があり、夜には若者たちがよくスケートボードの練習をしている。公園を抜けて、道路を渡ると目的地の大型ショッピングモールに到着だ。

「じゃ、まずは映画のチケットの予約からやな」

そこからはあっという間に時間が過ぎた。

チケットを予約し、そのまま同じ階のゲームセンターでクレーンゲームをする。薬院さんの欲しがっていたぬいぐるみを取ろうとするもなかなか取れず、結局、取るまでに2千円ほど失ってしまった。他にも、エスニックなファッションを扱う店に入って、明らかに似合わない服を試して笑い合ったり、疲れたらデザート屋さんでアイスを食べたりした。映画を見終わったあとは、半地下の広場で行われるプロジェクションマッピングと噴水のショーを見た。

なんというか、初めてだったから相場も何もわからないが、それなりにデートっぽいことをした気がする。

6時を少し過ぎたころに、俺たちはふたたび大画面の前に戻ってきた。

ここから同じ電車に乗って家に帰るのだ。

俺が改札へと続くエスカレーターに向かって歩き出そうとしたとき、

「待って!」

突然、薬院さんが両手で俺の腕を掴んだ。振り向いたところに彼女がぐっと顔を近づけてくる。

「電車に乗る前にこれだけ伝えさせて」

その瞳はまっすぐに俺を見つめていた。驚きやらなんやらでかなりドキッとさせられたが、ここで目をそらしたらだめだということくらいは俺にもわかった。

薬院さんは俺の腕を掴んだまま、ゆっくりと確認するようにしゃべり始める。

「私ね、今日一日、一緒にいてほんとに楽しかった。

今までちゃんと話したことなかったけど、やっぱり私の気持ちは間違ってなかったんやなって思えた。

私……。

私、やっぱり若久くんのことが好きやけん」

通り過ぎる人たちのしゃべり声も、大画面から流れてくる音も、そして近くでやってる路上ライブの歌も、周りの出来事が全てシャットアウトされて、俺の意識がすべて目の前の薬院さんに注がれる。

「俺も、

俺も本当に楽しかった。

それに嬉しかった。自分で言うのもなんだけど、本当に俺のことを考えてくれているんやなって伝わって。

返事はもう少しだけ考えさせてほしい。やけど、必ず返事をするから」

薬院さんはまっすぐに俺を見つめたまま「うん」と言って、笑顔を見せてくれた。

家に帰って携帯を開く。

薬院さんに今日のお礼のメールを送ろうとしたのだが、告白の返事をする前に妙に優しくするのも、ただずるいだけのような気がして結局やめた。

十字キーを押して、過去の受信メールをさかのぼる。2日前の夜に「俺」と話したあと、俺が3人に送ったメールのやり取りが出てくる。

――若久 拓哉

――誰にも言わないで欲しいんやけど、今日、薬院奈々さんから告白された

――突然過ぎて今でもびっくりしてる……

――良い人みたいなんやけど、今まで話したことなかったからわからんことも多いし、ちゃんと考えてから返事をしようと思う

――それでさ、もしも何かアドバイスがあれば教えてほしい

――情けないけど俺1人じゃどうすれば良いかわからんけん、相談させてくれ

――野間 僚一

――まじか、お前の夢じゃないだろうな?

――今日一日一緒にいたのに、いつの間にそんな展開になってたんだよ(笑)

――薬院さんか、すまんが俺もその人のことはよくわからん

――そもそも色恋沙汰を俺に相談するのが間違っとるけど、何も言わないのもなんだからこれだけ言うわ

――結局はお前がどう思うかやけん、そういう意味では俺はどんな結果になっても良いと思ってる

――高宮 花菜

――うん、実は私、そのこと奈々から相談されてたから知ってたよ

――奈々とは同じダンス部やったから仲良しやしね!

――でも、私はこれについては中立でいるって決めてる

――やけん、横から変な口出しとかせんから安心して(笑)

――ただ、奈々のことを知らんみたいやけんこれだけ教えるね

――奈々は優しいから部内でも人気やったし、それにかわいいから男子から告白されることも多かったんよ!

――正直、若久にはもったいないくらい良い子やね!

――大楠 帆乃

――薬院さんとは直接話したことはないけど、ダンス部の子よねー?

――花菜なら知ってるんやないかなあ

――私はちゃんとしたアドバイスはあげれんけど、若久くんが一番良いと思う選択をしてくれたらいいな

――そうであれば、それがどんな選択でも私はちゃんと応援するけん!

…………。

やり取りを一通り見終えたあと、俺は意を決してメールの作成画面を開く。

――若久 拓哉

――いきなり変なこときくけどさ、もしも俺や、この中の誰かが他の人と付き合うことになっても、俺たちは今まで通り仲良くやっていけるよな?

――送信

薬院さんの告白を保留にした理由。その1つがそれだった。

この4人で過ごした4ヶ月弱は本当に楽しかった。だから、俺が誰かと付き合うことで、少しでもみんなとの間に壁ができてしまうのが怖かった。

俺は、このままずっと、たとえ高校を卒業しても4人でつながっていたいと思っている。そして、この想いは6年後の俺でさえずっと持ち続けているものだ。

携帯がブルブルと震える。誰かが俺のメールに返信したようだ。

すぐに携帯を開いてボタンを押す。

――高宮 花菜

――絶対仲良くしてもらうけんね!

――私だってこれからもずっと4人でつながっていたいけん!

――約束よ

あいつらしい返事だな、と不意に笑みがこぼれる。

すぐに「ありがとう、本当に約束やけんな!」と返事を打った。

返信すると同時に、今度は野間からメールが来る。

――野間 僚一

――まあな

――もしも女子ってことで高宮や大楠と話しづらくなっても俺が何とかするけん

――こうなるとは思わんかったけど、お前のことは応援するわ

すぐに返信ボタンを押して、本文に文字を打ち込む。

しかし、数文字入力したところで指が止まった。

――こうなるとは思わんかったけど

それは、どういう意味だ?

作りかけのメールを消して、俺は野間に電話をかけた。

数コールののちに、電話がつながる。

「なんだよ、いきなり」

「すまん、どうしても気になって。今、大丈夫か?」

「うん。どうしたん?」

「今のメール、こうなるとは思わんかったって、野間はどうなると思ってたんだよ」

「ああ、それか」

そんなことか、とでも言うように落ち着いた声で野間は話す。

「俺は、お前の中じゃもうほとんど答えは出てるんかと思ってたんよ。それで、ただ俺たちに背中を押してもらいたかっただけなんやないかって」

俺は黙って野間の話に耳を傾ける。

「こんなこと言うのは俺の柄じゃないし、もうお前の心が決まってるならこんなこと言うべきじゃないけど、俺はお前が薬院さんからの告白を保留にしたとき、その時点で直感的に思ったことがあるんやないかと思った。それで悩んでるんかと思ってた。

まあ、当たってるか外れてるか知らんけど、それが俺の『こうなると思った』の内容やね。なんにせよ、俺はお前の判断を応援するけどな」

「ま、待てよ」

野間が「ん?」と少し間抜けな返事をする。

「それで結局、俺が直感的に思ったことって何やと思ったん?」

「それは俺が言うことやないやろ。それに外れてたら恥ずかしいし」

「……確かに、そうかも知れんけど」

「それじゃあもう電話切るけん。またな」

「ああ、ありがと。おやすみ」

俺が直感的に思ったこと。

告白の返事を保留にした2つ目の理由。

すでに通話は切れていて、ツーツーと鳴っている携帯を耳から離す。

そのまま画面を見るとメールを一通受信していた。どうやら通話中に届いていたようだ。

――大楠 帆乃

――私ね、どんな形でもこの4人でずっとつながっていたい

――何があっても、若久くんと壁ができちゃうのは私も嫌よ

――やけん、これからもよろしくお願いしますー!

数分後。俺はリビングにいた「俺」を部屋に呼びつける。

「お前な、未来の自分をもっと丁重に扱えよ」

「俺」はやや不満そうに部屋に入り、ベッドの上に腰を下ろす。

「それで、告白の返事をどうするのか決めたんか?」

「うん。あんたが前に言ってた2つの理由。最初はぼんやりしててよくわからんかったけど、3人に相談してはっきりした」

それを聞いた「俺」は嬉しそうに少しニヤけた。俺からすればそれはやや気持ち悪かったのだが。

そして安心したのか、あいつは落ち着いた口調で話す。

「そうか、それなら良かった。今のお前なら後悔しないと思う」

俺も同じく落ち着いた口調で返す。

「うん、俺もそう思う。とにかく結論から言うよ。俺は――」

終業式の日の放課後。

第二講義室の扉が開かれる。その音を聞いて、俺は静かに席を立つ。

「来てくれてありがとう」

「うん、もちろん」

目の前の薬院さんはとても緊張しているように見えた。

5日前の放課後を思い出す。あの時とは、ちょうど真逆の立ち位置に2人がいる。

俺は返事を待たせた。だから、今度は変な世間話なんかしないで、すぐに返事の内容を伝えるべきだと思った。

「遅くなったけど、ようやく返事を決めることができた」

俺は静かにしゃべる。それなのに、誰もいない教室の中だとびっくりするくらい声が通った。

「うん」

「薬院さん……ごめん。俺、他に好きな人がいるんだ」

「…………」

「最初は俺自身もよくわからなくて、やけん告白の返事も待たせてしまった」

薬院さんから告白された瞬間、最初に感じたのは違和感だった。

会ったのは初めてだったけど、きっと薬院さんは良い人だってわかったし、それに容姿だって何なら俺のタイプだ。それなのに、その場で「はい」と言えなかったのは、そこで彼女と付き合い始めることが本当に俺の望んでいることなのかわからなかったからだ。

つまり、俺自身の中で、こうなりたいと願う像がぼんやりと心の中にあったのだ。

「薬院さんとのデートは本当に楽しかったし、告白してくれたのも本当に嬉しかった。だけど、それと一緒に別の気持ちがあることに気付いた」

3人に相談したとき、俺は心の奥底で、俺と薬院さんが付き合うのを彼女に止めて欲しいと思ったんだ。そんなこと起こらないとわかっていても、止めてもらうことを期待してた。だから、どんな文脈でも「応援する」ってメールが返ってきたとき、心の中にもやもやを感じた。

「だから、ごめん。返事を待たせたくせに、本当にごめん」

薬院さんはしばらく黙ったままだった。そして、小さく「ふぅ」と息を吐くと近くの机の上に両手をついて寄りかかった。

「それで、あの2人のどっちなん?」

「えっ?」

いたずらっぽくニッと笑ったが、その表情には寂しさとか悲しさとかが隠しきれてなかったから、俺は胸が苦しくなった。

「若久くんの好きな人、花菜か大楠さんのどっちかなんやろ?

私ね、ほんとはなんとなくわかってたんよ。若久くんのこと見てたけん。……この前、付き合ってくれたら教えるって言ったけど、特別に私が若久くんを好きになった理由を教えるよ」

薬院さんは寄りかかっていた机から離れて、彼女自身の両足でしっかりと立った。

窓の外からは他の学生の笑い声やセミの鳴き声が聞こえる。

落書きされた机。チョークの消し跡が残った黒板。きっちり時間の合わせられた丸時計。次の言葉をじっと待つ俺。そして、ゆっくりとしゃべりだす目の前の薬院さん。

告白の時と同じように、密度の濃い時間がふたたび流れていることに気づく。

「きっかけは、最近花菜が仲良くしてる男子がいるって聞いて、冷やかし半分で見に行ったところから始まったんよ。そしたら若久くんがいた。

最初は、顔や雰囲気が私の好みやったってのもあるんやけど、若久くんを見てたら花菜たちのことを知ろうと一生懸命頑張ってるのがわかって。その姿を見ていいなって思ったんよね。あとから知ったんやけど、若久くんってそれまであんまり自分から積極的に何かをしようってタイプじゃなかったんやろ?

やけん、きっと若久くんにとっても簡単なことじゃなかったんやと思うし、実際、若久くんは緊張とかするとすぐに顔に出るから遠くで見てても頑張ってるのがわかったよ」

薬院さんが小さく笑いながら言う。

俺は何だか恥ずかしくなって顔を隠すように片方の手で眉毛を触った。多分、こういう仕草も彼女にはバレているんだろう。

「それで、そういうの見ているうちに好きになりました。私とデートしてくれたときも、自分も緊張してるのに私のことを色々知ろうとしてくれたよね? やっぱり私は間違ってなかったって思ったよ。

フラれちゃったのは残念やけど、私が人生で最初に告白した相手が若久くんで良かった。ほんとにありがとね!」

薬院さんが頭を下げる。

「……今まで通りの人との付き合い方をしてたら、いつか後悔するからさ」

顔を上げた薬院さんの目をまっすぐに見つめて、俺は口を開く。

「だから、俺なりに色々と頑張った。そして、その姿を見て、少しでも良いと思ってくれたんなら、やっぱり頑張ってて良かった。

お礼を言うのは俺の方だよ。本当にありがとう」

そして、今度は俺が彼女に頭を下げる。

「私、応援してるけん」

薬院さんは明るい声でそう言った。

「まあ、私相手じゃ気まずいかも知れんけど、私にできることがあったら何でもする。いつでも言ってね」

そう言える薬院さんは良い人を通り越して、すごい人だと思った。これから先、俺が何をするにしても、彼女のその思いは無駄にしたくない。

「うん、ありがとな」

俺と薬院さんは2人で「ふっ」と笑った。

「なんだかすっきりした。それじゃ、私もう行くね」

薬院さんはくるっと俺に背を向けて教室のドアへ向かう。

彼女は俺に大切なことを、好きな人を、はっきりとさせてくれた。

それは、これからの俺の人間関係を大きく変えてしまうかもしれない。

でも、これはいずれ向き合わないといけなかったことだろうし、きっと「俺」も6年前に立ち向かっていったことだ。

ドアを開けて、教室の外へ足を踏み出す瞬間、薬院さんは何か思い出したようにハッと振り返ってこちらを見つめる。

「そう言えば、結局2人のどっちなのか聞いてなかった。もし良かったら聞いてもいい?」

「ああ、そうやった」

薬院さんとデートした日の夜、「俺」に言ったセリフを思い出す。

(とりあえず結論から言うよ。俺は――)

「俺は――」

「大楠が好きだ」

【スピルトミルク2へ続く】


ここまで「スピルトミルク」を読んでいただき本当にありがとうございます。今後も新たな作品ができ次第Twitterにてお知らせしていきますので、もしよければフォローしていただけると嬉しいです!

次章より「スピルトミルク2」となります。