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第1章:プロローグ

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※この物語では2つの視点が入れ替わりながらストーリーが進んでいきます。
どちらの視点で書かれているのかは、各ストーリーの冒頭にある日付の横の丸印でご確認ください。

午前0時32分、俺を乗せた電車が自宅の最寄り駅に到着する。仕事から帰るのは、たいていこの最終電車だが、仕事が終わらずにタクシーや始発電車で帰ることも少なくない。

30分ほど前に3月31日が過ぎたから、これでようやく今月が終わったことになる。毎日記入する超過勤務表によると、今月の残業時間は合計153時間だった。これで3か月連続で150時間を越えてしまった……。

昨年の4月、地元の大学を卒業して、東京に上京。今の職にいた。

あれからもう1年が経つが、今までに何度「やってしまった……」とこの仕事を選んだことを嘆いたかわからない。

少し前までは、事前の業界研究をおこたった自分自身をののしることもできたが、最近はその気力すら起こらなくなってしまった。

電車を降り、改札を出て、近くのエスカレーターをのぼる。残念ながらこのエスカレーターは地上へ続く道の途中で切れてしまっているため、残りの半分ほどは階段で上らなければならない。

しかも、寝不足と過労でボロボロの体にトドメを刺すかのように、この道には常に地上から強風が吹き付けてくる。恐らくその構造上、風が通りやすくなっているのだろう。

疲労感と哀愁あいしゅうが漂う周りの通勤者と同じように、背中を丸めて強風に耐えながら、駆け足で階段を処理する。

それにしても、もう春だというのに風が冷たい。

やっとの思いで階段を上り切ると、出てすぐの道を左へ曲がる。家に帰るのであればここを右に曲がるべきなのだが、今日は帰る前に寄りたい場所があったのだ。

道を進み、最初の信号を右へ、次の信号を今度は左へ曲がると、住宅の並ぶやや広い道路に出る。

この時間だとどの家も電気はついていない。加えて、この道には街灯がないため、夜の闇がそのまま降り注いでいる。今年で24になる俺にとっても、夜のこの道はひどく不気味で怖いもののはずなのだが、体中を駆け巡る眠気と疲労のおかげで恐怖心には鈍感になっていた。

ここをさらに100メートルほど進むとある神社が見えてくる。

神社の鳥居をくぐり、石段を上る。2つ目の鳥居をくぐって、本殿の前に立った。

本殿は別に大きいわけでも華やかなわけでもないが、前面の左右にそれぞれ提灯ちょうちんが灯されていて、幻想的に映っている。

賽銭箱さいせんばこに小銭を入れ、何を願うわけでもないのだが、とりあえず近くの柱に打ち付けられている看板に従って、二拝二拍一拝でお祈りする。

お祈りが終わると、俺は周囲を見渡した。

「お、いた」

ちょうど賽銭箱の影に隠れるように、白と黒のぶち猫がちょこんと地面に座っていた。俺が真夜中にわざわざこの神社まで足を運ぶ理由はこの猫である。

初めてこの猫と出会ったのは半年ほど前だ。暇つぶしに近所を散歩していたとき、たまたまこの神社を見つけて入ってみたら、この猫がいた。

驚くほど人懐っこく、こちらがしゃがむと猫の方からやってきて体をすり寄せてくる。俺が近くの石段に座ると、太ももの上に飛び上がってきて、その上にしゃがみ込む。俺は出会ってから数分と経たぬうちにこの猫のかわいさに心を撃ち抜かれた。

以来、暇なときや仕事で辛いことがあったときには(それはほぼ毎日だったが)、彼に会いに神社を訪れるのである。

ただ、俺がこの猫に会いたいと思う理由はそれだけではないのだろう。

彼の姿は、高校3年のときにもらったお守りのことを思い出させる。ぶち模様や左耳にあるブイ字のカット。この猫に会うたびに俺は当時のことを振り返ってしまう。

今回もいつもと同じように、俺が本殿のとなりに作られた石段の上に腰を下ろすと、猫はトボトボと寄ってきて、太ももの上に飛び乗り、座った。

肌寒い真夜中の神社で、猫の体温が疲れた俺の心と体に優しく染み込んでくる。

「はあ、疲れたなあ……」

ふと、つぶやいた。無意識のことだったが、いざ呟いてみると忘れかけていた疲労と眠気が急にぶり返してきた。ああ、眠い。

思い返すと、高校を卒業してからの約5年間、心から面白いと思える出来事はなかったように思う。大学ではあまり友人とは絡まずに、というより、そもそもあまり友人ができなかったのだが、いずれにせよ多くの時間を勉学に費やした。

別に勉強が好きだったわけではないが、悲しいことに他にすることもなかったのだ。

その不本意な勤勉は幸か不幸か実を結び、俺は大学卒業後に東京で国家公務員の職に就くこととなる。ところが、今度はそのあまりの激務に心身共に完膚かんぷなきまでに打ちのめされ、満身創痍まんしんそういで一人寂しく、こうして真夜中の神社に猫の愛情を求めて足を運ぶこととなるのだ。

以上が俺のここ5年間の概要である。

なんてことだ。

そもそもの分岐点は高校時代にあったのだと思う。

あのときにもっと自分の想いをぶつけておけば、遠慮したり線を引いたりしないで、自分のしたいことをそのまま行動に移して、相手に伝えることができていたなら、今とは全く違った道を歩んでいたのではないか。

高校を卒業してからの5年間、ずっと心の中で引っかかっていることがある。そして、そういう「たられば」の後悔は、普段は忘れていても、このようにふとした瞬間に強烈に胸の奥から込み上げてくるのだ。

不意に、太ももの上に座っていた猫が立ち上がった。普段は一度座り込むとてこでも動かないのにどうしたのだろうか。

猫はトボトボと本殿に向かって歩いていく。なんだか「ついてこい」と言われているような気がして、俺はすぐ後ろをつけていった。猫は賽銭箱の横をすり抜け、石段を駆け上り、本殿の扉の前に立つ。

すると、突然、扉の奥から強烈な光がれだしてきた。今まで見たことのない青白い光だ。何が起こっているのかさっぱりわからない。光はどんどん強くなっていき、視界が真っ白に染まっていく。

数秒が経っただろうか。ついにあたり一面が真っ白になった。それと同時に、まるで体がふわりと浮いて眠りに落ちていくような、意識が飛ぶ感覚におそわれる。

意識の彼方かなた、俺は猫が甘い声でいたずらっぽくニャーと鳴くのを聞いた。

ハッとして目を開けると、俺は神社の本殿の前に立っていた。

さっきまでそこにいたのだから当然だと思うだろうが違うのだ。俺は明らかにさっきまでとは別の神社にいる。

「あれ……?」

何が起きているのかわからず、不意に後ずさりすると、本殿の正面につけられた照明がパッと点灯した。どうやらセンサーが備わっていて動きに反応するようだ。

照らされた本殿を見てようやくわかった。ここは俺の実家から徒歩3分ほどの場所にあるなじみの住吉神社だ。

「どうなってんだ……?」

俺の実家は福岡にある。東京から福岡まで一瞬で移動したというのか。

後ろを振り返り、小さな石段を駆け下りる。駆け下りたところでもう一度くるっと振り返ると、本殿の横に立っている御神木ごしんぼくや、本殿の前にある、それぞれ「献」と「奉」の文字が刻まれた2つの直方体の石。そして、その上に座った2体の狛犬こまいぬ像が目に入る。

やはりここが実家の近所にある神社であることは間違いない。

「すげー、まじかよ……」

さっきから心に思ったことがそのままこぼれ出てしまっていることに気が付いた。意識はなかったが、実際はかなり衝撃を受けているようだ。

周りの景色の懐かしさと突然自分の身に起こったテレポーテーションのせいで、俺はぐんぐんと気持ちがたかぶってきた。

そのまま神社の出口に向かって駆け出す。実家に帰ろうと思ったのだ。途中にあるガソリンスタンドや保育園を横目に通り過ぎながら、周りの景色が俺が福岡を発った1年前とまったく変わっていないことに少し安堵あんどしていた。

実家のマンションの前で立ち止まる。ここでようやく気付くのも間抜けだが、俺は実家の鍵を持っていなかった。

今の所持品は、瞬間移動が起こる前の状態と同じだ。つまり、スーツやスプリングコート、靴などの身に着けている物とビジネスバッグだ。

俺はテレポーテーションについて詳しくないのだが、場合によっては、身ぐるみがされて裸で飛ばされる可能性もあったのではなかろうか。幸いにもその点に関しては、今回のはユーザーフレンドリーで助かった。

バッグの中には当然、東京の自宅の鍵は入っているのだが、実家の鍵までは持ってきていない。スマホを取り出して時間を確認すると今はちょうど夜中の1時だった。この時間だと親も寝ているだろうな。

親にはこの出来事をどう伝えようか。簡単には信じてもらえないだろうが、案外、説得することはあまり難しくないのかも知れない。そんな嘘をつくメリットなんてないし、そもそも真っ当な理由では俺がこんな時間にこの場所にいることを説明できないからだ。

それに、世界中でUFOや未来人など多くの不可思議な出来事が伝えられている。それらの1つくらいは本当に起こっているのかも知れない。瞬間移動だってもしかしたらどこかで本当に起こるのかも、と思ってくれる人は少しはいるはずだ。

親はこの話を聞いて驚くだろうか、いや、それよりもどう反応したらいいのかわからず、困った顔をしている様子の方が思い浮かぶ。なんにせよ、久しぶりに実家へ帰ってきた息子がいきなり瞬間移動してきたなんて言ったら、最初は色んな意味で心配されるだろう。

これからどうしようか。

幸いにも、今は金曜の仕事帰りだったから、土日をこちらで過ごすことができる。とりあえず、日曜の昼までこっちでゆっくりしてまた東京に戻るか。

そこまで考えて、急に虚しい気持ちになった。それは、この一連の出来事には先がないことに気付いたからだ。

思えばここ何年もの間、抑揚よくようのない日々を送ってきた。そんな中、心のどこかで非日常的な何かが起こることを願っていた。そして、今起こっていることはまさにその「非日常的な何か」のはずだ。

それなのに、その話の結末は、ただ日曜の午後に東京へ戻り、月曜日から今までと同じように仕事を始めるというだけなのだ。瞬間移動というビッグイベントはすでに終わり、あとはまた元の抑揚のない日々へ向かって少しずつ進んでいくしかない。

もちろん、そんなことを嘆いても仕方がないことはわかっている。物事は運命的なものでつながれていて、必ず何かしらの意味を持って起こるのだと信じていたのはとうに昔の話だ。人生において自分の身に降り注ぐ様々な事象は、そのほとんどが気まぐれで、結果において何の変化ももたらさない無意味なもので、それらがただ思いもしないような突飛とっぴな形で発生するのだ……。

いずれにせよ、いつまでもここで立ち止まっているわけにはいかない。福岡も東京と同じくらい夜風が冷たいのだ。親には申し訳ないが、インターホンで叩き起こして中に入れてもらう他あるまい。

エントランスに向かってふたたび歩き出そうとしたとき、マンションの一室から誰かが外に出てくるのが見えた。その人は階段を下りて、ここから少し離れたマンションの裏出口へと向かう。

何気なくその人を目で追っていたのだが、顔が見えた瞬間、飛び上がりそうになった。それは俺だった。とっさに相手から見えないよう壁の後ろへ身を隠す。暗くてちゃんと見えたわけではないが、パッと見でもわかるくらい、姿や顔が俺と同じだった。似ているとかそういうレベルをずっと越えている。

その「俺」はゴミを捨てに出てきたらしく、まんまるに膨らんだゴミ袋を手に持っていた。ゴミ捨て場にゴミを置いてから、ふたたび裏口の扉を通って階段を上っていく。

俺はしっかりと「俺」の帰っていく先を目で追った。予想通り、そいつは俺の実家の玄関へと入っていった。やはり、あれは俺自身ということなのか。だけど、少しおかしい。

俺は急いで近くのコンビニへ駆け込み、売られている新聞を手に取った。すぐに日付を確認すると6年前の3月31日の文字が印字されていた。

「……やっぱりそうか」

先ほど「俺」を見たときに違和感を感じた。それは、あいつが数年前に俺が捨てたはずの古いパジャマを着ていたことだ。おそらく、もう少しちゃんと顔つきが見えていたら、その幼さにも気付けただろう。

つまり、俺は瞬間移動をしたのではなく、6年前の福岡へタイムスリップをしたらしい。このことは瞬間移動よりもずっとすごいことのはずだが、瞬間移動のときに一通りの気持ちの高揚こうようを経験してしまった分、今回は思いの外、衝撃を受けなかった。

6年前の今と言えば、これから高校3年生が始まろうとしているときだ。振り返るまでもない。この6年間、ずっと胸に引っかかっていたことがあるじゃないか。

当時の俺にはできなかったことや、やり残したことがたくさんあった。もしかしたら、それらを何とかできるかも知れない。

ところで、ここまで色々と他のことを考えていたために気が回らなかったが、目下の課題が1つ発生していることに気が付いた。

今夜、俺はどうすればいいんだ?

家に6年前の家族がいる状態で突入したら大きな騒ぎになるだろう。この時間からそんなごたごたを起こすのはちょっと申し訳ない。瞬間移動だと親を叩き起こそうとしていたくせに、その線引きはなんなのか。自分にもわからないが、いずれにせよ今夜はやめることにした。

結局その日、俺はネカフェに泊まる羽目になった。

〇4月1日(金) タイムスリップ1日目

目が覚める。時間は朝の8時33分。……寝過ぎた、延長料金が発生している。急いで身支度みじたくをして会計を済ませると、俺は実家に向けて歩を進めた。

どう挨拶をすればいいのだろうか、どんな会い方が良いのか、などと考えているうちに実家の前にたどり着いてしまった。まだ何も決まっていないのに……。

そこからさらに、うだうだと15分ほど考えたが、結局はどんな挨拶、方法だろうと結果に大差ないだろうという身もふたもない結論に至り、普通にエントランスのインターホンを鳴らすことにした。

実家の部屋番号を入力する。そして、「呼出」ボタンを押す前に一度、深呼吸をした。まさか実家のインターホンをかけるのにこんなに緊張する日が来るとは思わなかった。

意を決して「呼出」ボタンを押す。

「はい」

男の声だ。出たのは6年前の俺だな。

当時のこのインターホンにはまだカメラがついていなかった。だから、この時点で相手に俺だとバレることはない。

ところで、こうして自分自身の声を聞くのはすごい恥ずかしさを感じる。例えば、動画に録音された自分の声を聞くと、今まで思っていた自分の声とはまったく違っていて、うわぁ……となる(しかもそれが歌っているときの動画だったりするとダメージもひとしおだ)のだが、それに似た感覚だ。

「突然すみません、えーっと……宅急便です」

「こんにちわ、未来の俺です☆」とはさすがに言えず、とっさに嘘をついてしまった。まあ、玄関先で顔を合わせながら話すほうが説明もしやすいだろう。

無事エントランスを通り抜け、玄関の前でもう一度インターホンを鳴らすと、やはり6年前の俺が扉を開けて出てきた。

「はい、えっ?」

俺の顔を見て困惑したのか、最後の「えっ?」はとても間抜けだった。その反応が予想通りすぎて、にやけそうになる。

このとき初めて「俺」の顔をしっかりと見た。自分だとあまりよくわからないが、やっぱり今の俺と比べると幼い顔をしている……ような気がする。

そういえばこの頃、俺はこんなメガネを掛けていた。高校のときずっと使っていたメタリックグリーンのメガネ。懐かしい。今だからわかるけど、正直そのメガネはあまり似合っていない。やたら真面目っぽく見えるのだ。

そんなことを脳の半分で思いながら、そしてもう半分では、俺はこれから「未来からやって来た」なんて恥ずかしいセリフを吐かなければならないのかという苦しみを抱えながら、俺は可能な限り自然な口調でしゃべった。

「まあ、えっと、とりあえず要点だけ言うと俺は今から6年後の俺だ。つまり、未来から来たらしい。顔を見ればわかってくれるやろうけど」

「俺」は返事もせず黙ったままだった。どう反応すべきかを考えているようだ。仕方なく俺は話を続ける。

「念のため言うけど、宅配しに来たわけじゃない。少し話がしたいんやけど中に入れてくれないか?」

「……ほんとに6年後の俺なら先に証拠を見せて欲しい」

いまだに困惑しているようだが、少なくとも口調は冷静だった。

めんどくさいな、と思いつつ、一方で、まさに俺が言いそうなことだなあ、とも思った。こうして話してみると、目の前にいる「俺」は間違いなく6年前の俺なのだと改めて思い知らされる。

実はこうして今、過去の自分に未来の自分の存在を説明しようとしているのと裏腹に、俺自身がまだ、本当に自分がタイムスリップをしてきたのか自信がなかったのだ。万が一にも、自分が未来人であるなどとのたまった挙句に、これがタチの悪いドッキリか何かだと判明したら、もはや目も当てられない。無論、そんな事態にならないよう、店のカレンダーや泊まったネカフェのパソコンであらかじめ今が6年前であることを確認してはいたが。

「証拠なあ。そういや昔、英語で日記書いてたことあったよな。最初の日記には『I will do my best』とかなんとか――」

「もういい。それ以上何も言うな!」

「俺」は顔を真っ赤にして、急いで俺の発言を制止した。

俺は高校2年生のとき、なぜか少しだけ英語に対するやる気があって、英語で日記をつけていたことがあった。もちろん、恥ずかしいから家族を含めて誰にもそれを話したことはない。つまり、俺だけが知っているはずの事実だ。そして、それをこうして指摘されたのだから、たとえ相手が自分自身だとしても決まりが悪かったのだろう。

ちなみに、その日記はちょうど高3に入る前に辞めたので、今の「俺」にとってはホットな出来事だったのかも知れない。

家の中には「俺」しかいなかった。親は出かけていて夕方に戻ってくるそうだ。

俺は自分の部屋に入り、服を借りて(と言っても一応俺の服でもあるのだが)それに着替えた。ネカフェでシャワーは浴びれたものの、昨日から同じ服を着ていたから気持ちが悪かったのだ。

「俺」がベットの上で携帯をいじっていたため、俺は近くの椅子に座る。着替えが終わったことに気付くと、「俺」は携帯をしまって話しかけてきた。

「あんたが未来からやって来た俺自身だってことはとりあえず信じる。それで、なんのためにここにやってきたんだ? これから何か起こるのか? 俺の近くで事件が起こるのを止めに来たとかじゃないよな」

「お前、自分がそんな重要な任務を任せられると思ってるんか?」

「俺」は「はぁ」と大きなため息をついた。その反応については、それはそれで少し傷ついたが、とりあえず無視して話を続ける。

「正直、なんで俺がここに飛ばされてきたのかは俺にもわからん。元は東京の神社にいたんやけど、そこで変な光に照らされて気付いたらここにいた。

あ、やけんタイムスリップの仕組みとかそういうのもまったく知らんよ。俺の時代もそこまでは技術が発達しとらんしな」

その説明を聞いた「俺」は怪訝けげんそうな顔をした。確かに内容のない、ある意味便利な説明だとは俺も思っていた。しかし、そう言う他ないのだ。

「ただ、この時代でやりたいことはある。俺がまさにこれからお前がなる高校3年生だったときにできなくて後悔したことだ。今でもずっと後悔しとる。そして、お前には同じ後悔をさせたくない」

「その後悔って何なん?」とすかさず聞いてきた。

「うーん、すまんが今は説明できん」

「え、何で?」

ここまで言っておいて説明できんはないよな、と自分でも少し申し訳なく思った。

「いや、悪いとは思うんやけど、その出来事は今はまだ起こってないわけやけんさ。先に説明だけしても実感わかんやろうし、何よりそのせいで変に未来が変わってしまうのが怖いんよ。問題が起こったときに、その場その場で解決していく方が確実やけん」

いまだに不満そうな顔はしていたものの、その説明で「俺」は一応納得してくれたようだ。

「ただ、俺もいつまでこっちにいれるかわからんし、先に1つだけ言っとく。人に遠慮したり妙に線を引いたりするのはやめて欲しい。時にはそういうのも必要やけど、少なくともこれからの1年はそれじゃあ必ず後悔する。俺が言うんだから間違いない」

話を聞き終わると、「俺」は少しうつむいて考え込んだ。そして、その姿勢のままゆっくりとしゃべりだす。

「……うん。たまに友達にもそういう接し方することあるし、何となくあんたの言いたいことは理解したと思う。それに、未来の俺自身が今は説明しない方がいいと思うなら俺も詳しくはきかん。やけど、必要になったら教えてもらうけんな」

「うん、それは約束する。すまんな」

さすが自分自身なだけあって話が通じる。

その後は、これからどうするかを話し合った。金もないし、まずは親と話してしばらくはここで一緒に暮らさせてもらうしかない。嫌がってはいたが、それについては「俺」もしぶしぶ同意してくれた。いつまでこっちの時代にいることになるかわからない(一生ではないと願いたい)が、最悪バイトで金を稼ぐこともできるので、費用については時間さえあればなんとかできる。

その他にも、「俺」からは卒業した大学や今の仕事など、未来のことについてあれこれときかれたが、やっぱり余計なことは言いたくなかったから答えなかった。「少しくらい、いいやん」とせがまれたが、全部必要になれば必ず教えるし、アドバイスもするということでなんとか丸く収めた。

「俺」自身については、今は春休み中で始業式は4月6日からだそうだ。もちろん、それは俺もかつて経験したことではあるのだが、今ではすっかり忘れてしまった……。

ちなみに、親が帰ってきたあとも、俺は「俺」にしたのと同じような説明をしなければならなかった。詳細ははぶくが、結論だけ述べると、俺はしばらく6年前の家族と一緒にこの家に住まわせてもらうことになった。

●同日(4月1日)

今日は比較的、朝早くに目が覚めた。早いといってもすでに8時を過ぎており、リビングへ行くと母親が出かける準備をしていた。どうやら今日は朝から用事があるらしい。帰ってくるのは夕方になるそうだ。

母親は出かける間際に、洗濯物の取り込みと、ごはん後の皿洗いを命じて出かけていった。……いつものことではあるが、やはり嫌気が差す。別にそれらをすること自体はいいのだが、こうしていちいち言われるとやる気がなくなってしまう。言われなくても勝手にやっておくのに。

ぼんやりとテレビを見ながら朝ご飯を食べ、歯磨きをして顔を洗う。一通り身支度を済まして、今日は何をしようかと考えているとインターホンが鳴った。母親の買ったサプリメントでも届いたのだろうか。

出てみるとやはり宅配便とのことだったので、遠隔でエントランスのドアを開ける。しばらく待っているとふたたび、インターホンが鳴った。今度は玄関からだ。俺は下駄箱の上に置いてある小さな木箱の中から印鑑を取り出して、玄関のドアを開けた。

「はい、えっ?」

あ、最後の「えっ?」はまじで間抜けな感じになった、恥ずかしい。

そんなことよりこいつは誰だ? 俺と同じ顔……。スーツ着てるし顔立ちから見て、俺よりも年上みたいだ。少なくとも絶対に宅配の人ではない。

驚きでぽかんとしていると、その来訪者は一息吸ってゆっくりとしゃべり始めた。

「まあ、えっと、とりあえず要点だけ言うと俺は今から6年後の俺だ。つまり未来から来たらしい。顔を見ればわかってくれるやろうけど」

そいつはできるだけ平然とした口調でしゃべろうとしたみたいだったが、顔が引きつっていて気まずさがにじみ出ていた。なんというか、とても残念な感じだ。

そんな彼の様子はともかく、発言の内容については、俺は自分でも驚くくらい驚かなかった。正直、一目見た瞬間からそんな気がしていたのだ。

でもそんなことが本当に起こるのか? これで信じて、結局は誰かの悪質なイタズラでしたとかだったら目も当てられない。どう答えよう。

「念のため言うけど、宅配に来たわけじゃない。少し話がしたいんやけど中に入れてくれないか?」

「……ほんとに6年後の俺なら先に証拠を見せて欲しい」

その「俺」は小さくため息をついたあと、少し考えてからしゃべり始める。

「証拠なあ。そういや昔、英語で日記書いてたことあったよな。最初の日記には『I will do my best』とかなんとか――」

一瞬にしてグサッと胸が刺され、耳が赤くなるのを感じた。まじか、よりによってそれを……。

「もういい。それ以上何も言うな!」

「俺」が本当に未来の自分であることは信じざるを得ない。あの恥ずかしい日記のことは誰にも言ってないし、誰かにばれたこともない(と信じたい)。

家に入れるときに改めてじっくりと「俺」を見る。髪は今より伸びていて髪型も変わっているし、よく見るとヒゲも生えてる。それに、スーツを着ているからか、やたら大人っぽく見えて、俺は少し嬉しくなった。妙に印象的だったのが、俺が掛けてるものとはまったく雰囲気の違うメガネだ。茶色をベースにした、端的に言うとおしゃれなメガネで、ちゃんと「俺」に似合っていた。

外見のみで言えば、俺の将来がこれなら悪くない。

2人で家に入ってからは特段面白い話はなかった。「俺」はなぜ自分がここに来たのかも、どうやってきたのかもわからないらしい。他にも、俺の時代に後悔したことがあると言っていたが、その内容は教えてくれなかった。……つまり、結局何もわからなかったわけだ。ほんとあいつなんなんだよ。

とは言え、一度この時代を経験した俺自身がそう言うのだから、おそらくそれが正しいのだろう。必要なときが来たら必ず教えると約束してくれたし、当分はそれで良しとしよう。

ちなみに、大学のことや仕事のこともきいたが、いずれも教えてくれなかった。少しくらい教えてくれてもいいだろうと思ったが、逆になんだか知るのが怖い気もしたので、「俺」がそれらについても必要に応じて伝えると約束してくれたとき、それ以上は追究するのをやめた。

少し気に食わないのは、これから「俺」とここで一緒に暮らさなければならないことだ。自分自身と同居するなんて、お互いにお互いの行動が見透みすかされてしまうような気がして気持ちが悪い。何をするにもそれが相手にバレてしまうと思うと、何もできなくなってしまう。いや、そんな悪いことばかりしているわけではないけど。

たとえ、自分自身であっても、別の個体として存在している以上、やはり他人として意識してしまうのだ。最初は同居に異議を唱えていたが、「俺」の経済力が思いの外、とぼしかった(確実に使えるのはタイムスリップ前にたまたま持ち合わせていたすずめの涙ほどの現金だけらしい)ことと、今後俺に起こる出来事を知っている以上、同居している方が何かと情報交換を行いやすいことから、最後は仕方なく同意することにした。あとは、この判断自体がのちに新たな後悔を生み出すなんて皮肉にならないよう祈るしかない。

後悔について言えば、一つだけ今後のアドバイスをもらった。

人に遠慮したり妙に線を引いたりするのはやめて欲しい、か。それは文脈から察するに、俺が高校三年生になって出会う誰かのことを指しているのだろう。おそらく同じクラスになる人だ。一体どんな人が来るのだろう。元々知っている人なのか、初めて知り合うことになる人なのか。後悔しているということは、元は仲が良かったのにこれから仲が悪くなってしまうのか、それとも仲良くなりたかったのに仲良くなれないまま終わってしまった、とか。まあ、どれだけ考えたところで今の時点じゃ答えは出ない。

今日が4月1日だから始業式まではあと5日か。考えれば考えるほど、新学年が始まることにすでに緊張している自分がいることに気付く。ただ、それと同時に結構楽しみでもある。これから俺はどんな一年を過ごすことになるのだろうか。なんにせよ、この時代では「俺」の後悔が残らないようにしていきたい。それは、俺がこれからすることになる後悔でもあるのだから。

ちなみに、母親が家に帰ってきてからも色々とやり取りはあったが、だいたい内容が被るのでここでは割愛かつあいする。結論だけ述べると、やはり「俺」はしばらく俺たちと一緒にこの家で暮らすことになり、俺は言われていた洗濯物の取り込みも皿洗いもし忘れていたために母親から怒られた。

〇4月5日(火) タイムスリップ5日目

こっちに来てから5日が経ったが、結局今でもあのタイムスリップについては何もわからないままだ。タイムスリップの元となった東京と地元の2つの神社について、それぞれネットで調べてみたが、特に目ぼしい情報は見つからなかった。一応、実際に何度か例の住吉神社に足を運んで、周囲を調べたり、当時の状況を再現したりしたが、さっぱり何も得られない。東京の神社まで行くことも考えたが、さすがに行くお金がもったいないし、別に今すぐ未来に戻りたいわけでもなかったからそこまではしなかった。

対して、タイムスリップ以外のことではいくつかわかったことがある。

まず、お金について、俺が未来で使っていたキャッシュカードがこっちで使えるかどうかを試す必要があった。これについては正直ダメだろうと思っていたが、実際にATМにキャッシュカードを挿入してみると、なんとカードを読み込んでくれたのだ。

歓喜したのもつかの間、残高照会をしてみるとどうも金額が合わない。よくよく考えてみると単純なことだった。俺はこの銀行口座をずっと昔から使っている。口座を開設したのは俺が中学生の時だ。それをそのまま社会人まで使っていたから、この時代でもキャッシュカード自体は使えるが、残高はこの時代までに俺が貯金していた金額になっていたというわけだ。

さすがに過去の自分から金をかすめ取る気にはなれず、ATМでは1円も下ろさずにそのまま帰ることにした。

これで俺が自由に使用できる金額は、手持ちの1万3千円と少ししかないことがわかった。曲がりなりにも1年間社会人をやってきた人間の全財産がこれとは悲しすぎる。

次に、俺のスマホは電波を受信できなくなっていた。まあ、この携帯を契約したのはこの時代から4年後のことだもんな……。

ただ、Wi-Fiさえあればインターネットに接続することはできた。つまり、現状を例えるなら、ちょうどスマホを機内モードにして使っているようなものだ。ちなみに、充電器はビジネスバッグの中に入れていたため、充電は問題なくできている。

少し面白かったのは、俺が家でスマホを使っていると、「俺」が物珍しそうにこちらを見てきたことだ。そう言えばこの時代はまだガラケーが主流だった記憶がある。実際に当時の俺(つまり「俺」)が使っていたのもガラケーだった。

スマホの使い方を見せてやるとやたらと感心された。ハイライトはフリック入力を見せたときだ。この程度で感心されるのだったら未来人も悪くない。

その他、こっちでの暮らしについては、家族に俺が1人増えたことで多少のごたごたがあった。

まず、俺の部屋については「俺」の部屋を共用で使うことを訴えたが、かたくなに拒否された。ならば今後増えるであろう俺の荷物はどこに置けばいいのかと異議を唱えたが、それも、リビングにでも置けばいいだろうと一蹴いっしゅうされてしまう。

母親も最初は、リビングじゃかわいそうだからと部屋を共用するよう「俺」をさとしたが、「これは俺自身のことなんだから俺が決める」という何だか筋が通っているのか通っていないのかわからない反論を受けて面倒に思ったらしく、最後には「もう勝手にしなさい」とさじを投げてしまった。その後も、俺たちは互いに主張をぶつけ合ったが、あとからやってきた俺にはこの領土争いはが悪く、「荷物だけは部屋に置いていいが、普段の生活は全てリビングで行う」というところで合意にこぎつけるのがやっとであった。

気持ちはわかるし、なんならもしも俺が彼の立場なら、俺は間違いなく同じことを言っている。しかし、被害者側になった途端とたん、あそこまで嫌がらなくてもいいだろうにと思ってしまうから不思議だ。

いずれにせよ、おかげさまで俺はこれから毎晩、わざわざ別室の押入れから布団を移動させてリビングで寝なければならなくなった。人に冷たい人間はよく見かけるが、自分に冷たい人間というのもいるのだな。

ところで、これはまったくの余談だが、過去の自分と言い争って負けるというのはいささかみじめなものである。大したプライドのない、というよりもプライドを持つほど自分に自信を見出していないこの俺でさえ、胸が痛み、へこむところがあった。今後は無用な争いはできるだけ避けることにする。

次に起こった問題は衣服だ。俺はスーツでこっちに来たから私服がまったくない。さすがに下着は自分で買うとしても、しばらくは「俺」の服を借りるしかなかった。着る服については、もう「俺」が着ない服が結構あったからそれをもらうことができたのだが、問題はそれらの服が総じてダサいということだ。

23歳の男が着る服としては柄や色が幼いのだ。他方で、高校三年生が着るにしても何だか安っぽくて決してかっこ良いわけではないのだが。そう言えば、このころの俺はろくにおしゃれもしてなかったなと、自分の残念なところを振り返させられた。

背に腹は代えられない。不満はあったが、新たな服を買うお金が貯まるまでは「俺」からもらった服を着ることにした。ようやく残業続きの仕事から脱出できたというのに、今度は身の回りの物をそろえるために再びアルバイトに就かなければならなくなるとは。生きることは実に大変だ。

最後に最もごたごたしたのが、トイレや風呂といった家に1つしかないものの奪い合いだった。さすが年代は違えど同一人物なわけで、トイレも風呂も入ろうとするタイミングがやたら被るのだ。毎回どちらか一方が他方をののしりながら順番を待つことになる。しかも、この問題については、お互いに生活リズムを変える気は毛頭ないため、ひたすら我慢するしかないのだ。

俺たち2人の他にこの家に住むのは、母親だけだ。父親はすでに亡くなっている。

母親は、平日は会社の事務員として朝から夕方まで働いており、休日もよく友人と出かけるため、あまり家にはいない。ちなみにこれは6年後の未来でも変わっていないことだ。

今のところ、母親からは俺がここに住むことについて特に何も言われてはいない。母親はどう思っているのだろうか。単に子供がもう一人増えたようなものなのか。いや、それはちょっと違う気もするが、さっぱりわからない。俺自身もこの歳でふたたび母親の世話になることを負い目に感じていて、時間もかなり持て余しているから、一応、洗濯物をやったり、たまに料理を作ったりはしている。

こんなふうに自分から積極的に家事の手伝いをしていこうと思えるようになったのは、それまでの俺からじゃ考えられない心境の変化だ。

結局、この5日間で成果と呼べるものは何一つなかったが、みんなひとまず今の暮らしに慣れ始めていた。明日はいよいよ「俺」の始業式だ。「俺」にとって色んな意味で忘れられない一年が始まる。

母親は仕事だし、これからは「俺」も学校に行くことになるため、普段家にいるのは俺一人になる。このまま自宅を守り続けるのも正直悪くはないのだが、せっかくだしこれを機会に何か新しいことを始めてみようと思う。とりあえずまずは……バイトを探さないと。

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