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後悔を見つけてなくして僕は死ぬ

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良太りょうたは就職活動を終えたばかりの大学4年生だ。

「本日未明、東区の中央公園で、偶然近くを通りかかった男性から『女性が刺されて倒れている』と110番通報がありました。警察は1週間前に起きた通り魔事件の犯人と同一人物の可能性があるとみて調査を進めています」

という物騒なニュースを見るところから彼の朝が始まる。ご飯を食べて身支度みじたくを済ませると、彼は今日の1日をどう過ごそうかと考えた。しばらく頭をひねってネットでも流行りのアクティビティを色々と調べてみたが、結局何も良いものが見つからない。「はぁ」とため息をつくと、彼は財布も持たずにふらっと外へ出かけた。

彼がこうして家を出る時、その行き先はいつも決まっている。近所の神社だ。本殿まで続く木々に囲まれた細い道は木漏こもれ日が差してとてもきれいにえるから、彼は昔からよくこの神社に足を運んでいた。と言っても、空はいつもびっしり雲に覆われていて、もう長いことその景色は見れていない。今そこに向かっているのもただの惰性だせいによるところが大きかった。

「今回も何も思いつかなかったな」

本殿のそばにあるベンチに腰を下ろしてつぶやく。右手をズボンのポケットに突っ込むと、中で何かに当たった。彼にはそれが何かわかっている。ゆっくりとポケットから取り出したのは、免許証くらいの大きさの長方形のカードだった。そこに書かれている文字が鈍い陽光を受けて怪しく光る。内容はとてもシンプルだ。

あなたは今から96時間後に死にます。

24時間前までに後悔をなくしてください。

初日の朝、目が覚めると必ずこのカードが良太のパジャマのポケットに入っている。

最初はただ気味が悪いだけだった。どういう経緯でこんなものがポケットの中にあるのか、彼にはさっぱり見当もつかなかったからだ。しかしその後、彼は彼自身の身に起こったある出来事のせいで、カードのことを真剣に考えざるを得なくなった。

 ―――――

「ありがとうございました」

初めてカードが現れてから2日が経った日の夜11時ごろ、彼はコンビニを出て、近くの公園に向かっていた。その手には先ほど買ったアイスを引っげている。結局この3日間、彼はカードのことを忘れてこれまで通りの生活を送っていた。そして、特にいつもと違う何かが起こるようなこともなかった。

公園のベンチに腰を下ろしてアイスのふたを開ける。ビニールを破いてプラスチックのスプーンを取り出し、アイスを一口分すくい、それを口に運んだ。口の中に入れて、いざ閉じようとした時、彼はふと目を覚ました。ベッドの上で横になっていた。頭も視界もぼんやりとしている。寝起きの感覚だ。

何が起こったのかわからなかった。自分は公園にいたはずではなかったか。今のはすべて夢だったのか。彼はとにかくベッドから起き上がった。あたりを見渡したが、やはりそこは間違いなく自分の部屋だった。に落ちないまま彼は仕方なさそうにリビングへ向かう。そこで、彼はさらに困惑した。

「本日未明、東区の中央公園で、偶然近くを通りかかった男性から『女性が刺されて倒れている』と110番通報がありました。警察は――」

「えっ!?」

良太の声に、台所で朝ご飯を作っていた母親が慌てて振り返る。

「どうしたの?」

「いや、これ前も……」

そこまで言って彼は急に恐ろしくなった。テーブルの上にある新聞が目に入ったからだ。新聞はいつも母親が朝一番にポストから取ってきてこのテーブルの上に置いてくれる。4つに折りたたまれた1面からは2日前のものと同じ写真が顔を見せていた。耳からは今この瞬間にも一昨日おととい聞いたはずのニュースが流れ込んでくる。

自分がおかしいのか。彼は理解できない目の前の状況が怖くなって後ずさりした。その時になってようやく、ポケットの中に何かが入っていることに気が付いた。それは2日前に突然現れた、あの気味の悪いカードだった。

それから2日後の夜になって、気が付くとやはりまた彼は自分の部屋で眠っていた。そして、すべてが2日前の朝の状態に戻っていた。進んでは巻き戻る時間。その始まりを象徴する謎のカード。ここにきて彼はようやく悟った。

――あなたは今から96時間後に死にます。24時間前までに後悔をなくしてください。

これからも同じ3日間が繰り返される。そのループを抜け出すには「後悔をなく」さなくてはならない。だけど、ループが終わった翌日に自分は死ぬ。そのすべてが一気に彼の脳内でつながった。

ことの全容を把握してから、彼の心はループを経験するたびにすさんでいった。時間の巻き戻しと言う超常現象が、彼に自分の死の予言が確実なものであると感じさせたのだ。ただし、彼にはそれを暴力によって解決させようという勇気はなかったから、代わりにただ、大して飲めるわけでもない酒を浴びるように飲んで、突然泣き出して、1人海で叫んだり、夜中に外を徘徊はいかいしたりする毎日を過ごした。

彼の心境に変化が起きたのは6周目(16日目)になってからだった。ついに自分の後悔をなくそうと動き出したのだ。それでも、それは決してポジティブな気持ちから行うものではなく、酒におぼれて泣き叫ぶのにも疲れたから、「こうなったらもうやってやる」というようなほとんどやけくそで始めたものだった。

1つ困ったのは、彼にはその後悔というものが思い当たらなかったことだ。もちろん小さなことで「ああしとけばよかった」「こうしとけばよかった」というのはいくらでもあるが、今際いまわきわに「ああ、こんなことなら……」と悔やむような内容ではない。そもそも、それらは全て過去の昔に起こったことだから、今さらそれをなくすのは不可能なことだ。

彼は散々さんざん悩んだ挙句、「今、後悔していること」ではなく「死ぬまでにやっておきたいこと」を行動に移すことにした。それは間接的には死ぬ時の後悔をなくすことに繋がる。そして、手始めに、以前から気になっていた大学の同級生に告白することにした。

初日に告白してフラれ、その後の2日間を友人にからかわれながら過ごすなんて惨事さんじにならないよう、彼は3日目に告白すると決めた。そして、それまでの2日でひたすらその女性と連絡を取り、できるだけ良好な関係を築こうとはげんだ。

1度目の告白、彼は見事にフラれた。2度目はアプローチを変えて試してみた。ダメだった。3度目、4度目と失敗を繰り返す。5度目にフラれた時、こうも様々な角度からアプローチを仕掛けているのに何がいけないのかと疑問に思い、よくよく相手の話を聞いてみたら、なんと彼女は1週間前に同じ大学の良太の友達と付き合い始めていたことが判明した。あまりの馬鹿馬鹿しさと、多方面から来るショックで、彼はすっかりやる気を失ってしまった。

それ以降はただ気の向くまま、普段通り大学の授業に出席したり、1日中ゲームをしたり、買い物に出掛けたり、こうして神社でぼんやりと過ごしたりして、生産性のない3日間を繰り返していた。

 ―――――

「死ぬ前にやっておきたいことも、大してないんだよなぁ」

良太は神社のベンチに座りながら深いため息をついた。これも結局は後悔と同じで、食べてみたい物だったり旅行してみたい場所だったりと「なんとなくやっておきたいこと」ならいくらでもあったが、「それをしなければ死ぬに死ねない」というようなものは1つとして思い当たらなかったのだ。

一方で、何度も周回を重ねたことで(すでに回数を数えるのはやめていたが、彼には少なくとも30周はしているという確信があった)、彼はいくつかのことを理解していた。まず、一周の終わりは3日目の23時21分だ。その時間になると、必ず初日の朝に戻る。つまり、カードの内容を忠実に読むなら、彼は4日目の同時刻に死ぬということになる。そして、それならば本来、彼は96時間前(4日前)の23時21分まで時間をさかのぼっているはずなのだが、いつも気が付くと朝になっているのは、単にその時間、彼が眠った状態からスタートするからだ。何だか損をしている気分になって、彼はいつもそのことを不満に思っていた。

次に、彼以外の人やモノは「3日」が繰り返されるたびに、プログラムされた機械の如く同じことを繰り返す。だから、朝のあの陰鬱いんうつなニュースも、もうナレーションを完璧に覚えてしまうほど何度も聞いていた。

「どうせ3日で戻るんだったら銀行強盗でもやってみるかなぁ」

彼はこの繰り返される日々に心底、飽き飽きしていた。もちろん今のは口で言ってみただけだったが。「3日」はいずれも曇りだったから、ここしばらくは日の目も見ていない。せめて1日だけでも晴れの日があれば自分の心も少しは明るくなっただろうに、と空を見上げるたびに彼は天気を呪った。そうこうしていても、依然として4日目が訪れることはなかった。

「はぁ、いつまでこんな毎日が続くんだろ」

その時、小道の方から足音が聞こえてきた。それは本殿に向かって徐々じょじょに大きくなっていく。

彼は気になって小道の先を眺めた。すると、赤いパーカーを着た若い女性がこちらにやってくるのが見えた。

人が来るなんて珍しい、とぼんやり思いながらその女性を目で追っていたが、すぐに彼は違和感を覚えた。

ここには「3日」の中で何度も足を運んでいる。前に同じ日の同じ時間帯に来たときは、来訪者なんて誰もいなかったはずだ。自分以外の人間は常に同じ行動を取るのに、あの人は違う。それはつまり、もしかして……。

すぐに彼は立ち上がり、女性の方に駆け足で寄っていった。

「あ、あの……」

声を掛けられた女はいぶかし気に男を見る。

「もしかして、あなたもこれを」

良太が例のカードを取り出すと、彼女は目を丸くした。

「なんだ、そういうことね」

そう言って、女もパーカーのポケットから同様にカードを取り出した。

「それじゃあ、あなたにもどうしてこうなったのかわからないのね」

先ほどのベンチに今は2人が並んで座っている。

「はい。原因も、自分の後悔が何なのかもわかりません。坂本さんは自分の後悔に心当たりはありますか?」

女は名前を坂本涼子りょうこと言った。年齢は良太より2つ上で、となり街の出身だ。1年前に大学を卒業して職にいたけど、すぐに辞めてフリーターになった。そして、バイトをしながら就職活動をしていたところで、突然あのカードがやってきてループにおちいっていた。

「涼子でいいわ。私も別にないわね、後悔」

「どうして後悔もないのにこんなのが……」

「あなたは死にたいの?」

「えっ?」

良太は驚いて涼子の方を振り向く。

「原因がわかったとして、結局どうするのかと思って。後悔をなくして死ぬの?」

その口調はひどくぶっきらぼうだ。

「もちろん死にたくないですよ。ただ、同じ3日間を繰り返すのもうんざりです」

涼子は彼の答えを聞くと声を上げて笑った。

「ごめんね。でも、それは無理なんじゃない? ループを抜けたら、あとはもう死ぬだけよ」

その返事に良太はムッとした。どうして彼女はこうもずけずけとした物言いをしなければならないのか。

「じゃあ、涼子さんには何か考えがあるって言うんですか」

「ないわ。ただ3日間を繰り返して、何かの拍子に後悔がなくなれば死ぬんじゃない?」

「どうしてそんな――」

良太の言葉はすぐに涼子にさえぎられた。

「それより、これからどこか出かけない?」

「はい?」

「周りの人はみんな同じことばっかりしてるから飽きちゃったわ。何だか久しぶりに生きてる人間と話した気分よ」

「……はぁ。ゾンビ映画の主人公みたいなこと言いますね」

「何言ってんの?」

「…………」

その日から2人はほとんど毎日会うようになった。最初、良太は彼女の何事にも冷めた態度が鼻についていた。だけど、その代わり、彼女は自分を必要以上に良く見せようとはしなかったし、人にそれを求めることもなかったから、時間が経つにつれて、彼はそれが気楽で心地良いと感じるようになっていった。

お互い連絡先は交換していたけど、どうせ3日経つとデータは消えてしまうから、登録はせずに電話番号だけを直接覚えていた。大抵たいていは最初に出会った神社で他愛のないことをだらだらと話して、他には、買い物をしたり、映画を見たり、カラオケに行ったり、遠出して名所旧跡を見に行ったりもした。お金は3日経てばまた元に戻るから気にせずいくらでも使った(その分、買った物も3日が終わると同時に消えてしまったが)。ループにはまって以来、良太は初めてこの日々を楽しいと感じていた。

「ふぅー、もうこんな時間ですね。明日は何しましょうか」

「そうね、またどっか遠くに出かけるのがいいんじゃない?」

「じゃあ長崎とか?」

「九州はもうほとんど行ったことあるからいいわ」

「うーん。じゃあ、明日はいっそ韓国に行きましょうよ!」

2人が出会ってから10日が経った日、良太と涼子はいつものベンチで楽しそうに明日一緒にすることを話し合っていた。良太の提案を聞いた涼子がニヤリと笑う。

「悪いわね。私、パスポート持ってないのよ」

「そんなぁ」

良太はまゆを下げて残念そうに天を仰いだ。

「それより、そろそろ覚悟した方がいいんじゃない?」

「何をですか?」

「なにって死ぬことよ。今回で4日目に突入、なんてことになってもおかしくないわよ」

涼子の口調はいつもと同じだった。そういうところが良太は気に入らない。

「後悔がなくなったってことですか?」

「後悔というか、やり残したことね。もう散々遊んだから、これで終わりになっても文句は言えないわ」

彼の心の中にさざ波が立つ。

「前から気になってたんですけど」

「なに?」

「なんで涼子さんはそういう、どうでもいいみたいな態度を取るんですか」

「だって、しょうがないじゃない」

「しょうがないって……」

「生きるとか死ぬとかの話だからしっくりこないのかもしれないけど、少なくともこれまでの私の人生は『まあこんなもんか』の繰り返しだったわ。今回も同じよ」

「まあこんなもんか、で死ぬことを受け入れるんですか」

「受け入れても受け入れなくても結末は変わらないでしょ」

「……そうやって何でも割り切れるんなら死ぬことは簡単かも知れません。いや、これまで生きていくのも簡単だったんでしょう」

語気を強める良太に対して、涼子は意地悪くニヤリと笑った。

「僕はこれから大学を卒業して、新しい場所で働いて、それまで知らなかった人たちと出会ったり、知らなかった経験したりするはずだったんです。それに、今までは大したことなんて何もしてなかったけど、社会に出たらどこかで誰かの役に立って、そりゃあ大変なこともあるだろうけど、それでも僕は……。それから、初任給をもらったら親にプレゼント買ったり、自分の好きなものを買ったり、くそっ。ほんとはこれからの人生、そこそこ楽しみだったんです」

涼子は何も言わない。

「僕には消したい後悔もないし、やり残したって言うようなこともない。だけど、考えれば考えるほど、僕はまだ死にたくないって思うんです。僕はただ、生きたいんです」

「それと私が死を受け入れるのと何の関係があるっていうのよ」

「ないですよ。でも、なんだか悔しいんです。涼子さんにもそういうのはないんですか。いや、それだけじゃない。僕が涼子さんに生きようとして欲しいのはもう1つ理由があります」

涼子は黙ったまま良太の顔を見る。

「僕はループを抜けて、それでも死なないで、これからの人生を生きていきたい。そして、その時に涼子さんにも一緒にいて欲しいんです」

「…………」

しばらくの間、沈黙が続いた。

「……私はね、無駄なことを言うのは好きじゃないの」

ようやく涼子が口を開く。

「だから、もしも生きれたら、なんて話をする気はないけど、私もあなたと一緒にいるのは楽しかったわ」

良太は咄嗟とっさに顔をらした。そして、すぐにまた顔を上げる。

「さっき、結末は変わらないって言いましたけど、変える方法はあります。涼子さんも気付いてるでしょう」

「……」

2人はどちらも「3日」を繰り返している。でもそれは、まったく同じ3日ではなかった。

「僕たちのループは起点が23時間半ずれています。僕の1日目は涼子さんの2日目。そして、僕の3日目は涼子さんが死ぬ4日目です」

「あなたのしようとしてることはわかるけど、そんなことする必要ないわ。大体、それをしても結局あなたが死ぬことは変わらないじゃない」

「それでも、僕なら涼子さんがどうやって死ぬのかわかります。それを食い止めることもできるかもしれません」

「…………」

良太は3日目(涼子の4日目)に涼子と会ったことがなかった。それは単に涼子が死ぬところを見たくないという理由の他にも、ループ外の、あのプログラムされた機械のように動く彼女には会いたくないという思いがあったからだ。だから、彼女がその日どう過ごすのかも、そしてどう死ぬのかも、まったくわからなかった。

「僕に、涼子さんが当日どんな行動を取るのか、考えられるものを全部教えてもらえませんか?」

3日目の夜、良太は涼子のバイト先の店の前に立っていた。彼女のバイトが終わるのは23時ごろだと聞いている。

涼子の1周が終わるのは23時53分だ。つまり、病死とかでないのなら(少なくとも涼子に持病はなかった)、バイトから自宅に帰る道の途中で何かに巻き込まれる可能性が高い。

23時5分、彼女が店から出てきた。音楽でも聴いているようで、両耳にイヤホンをつけている。良太はその後ろをこっそりとつけていった。ストーカーになったような気がして、彼は涼子の死とは全く関係のないところで妙な緊張感を味わう羽目になった。しかし、無警戒の人の後ろをつけていくというのは想像以上に簡単で、尾行自体は順調に進んでいった。

23時18分。涼子は近くの公園に入った。遊具エリアや芝生エリアなどいくつかのエリアが遊歩道によって区切られている、直径1kmほどの比較的大きな公園だ。電灯はまばらで、しかもその1つ1つは今にも消えてしまうのではないかと思われるほどか細く光っている。たくさんの木が植えられていて自然豊かなのがこの公園のウリだが、それらは暗闇の中ではただ良太に得体の知れない恐怖心をあおってくるだけだった。彼には、どうして彼女がこんな時間にこの公園を通るのか、さっぱり理解できなかった。

公園の中ほどまで歩いた時、良太は隣の小道から帽子とマスクをつけた長髪の人が涼子に向かって歩いていくのが見えた。背はそれほど高くない。その外見からは性別がどちらなのかさえわからなかった。

途端に彼の心臓は締め付けられた。とても嫌な予感がした。

その長髪は少しずつ歩を速めていき、ぐんぐんと涼子に近づいていく。彼女はそのことにまったく気付かない。

「涼子さん!!」

たまらず良太は駆けだした。しかし、その時やつはすでに、もうあと数歩で涼子に触れるという距離にいた。長髪は彼女の背後につくと、勢いよく腕を振り上げる。その手に持つものが電灯の光を反射してキラリと光った。良太は遅すぎた。

「おい! 待て!! やめろおおお!!!」

そして、良太は目を覚ました。彼は自分の部屋にいた。カーテン越しの窓からほのかに日の光が感じられる。時間が巻き戻ったのだ。彼はベッドから抜け出して鏡の前に立つ。顔は死人のように青ざめていて、パジャマは汗でぐしょぐしょになっていた。

次の瞬間、良太の頭にあの夜の光景が鮮明によみがえった。胸と肺に激痛が走って倒れ込む。まるでおぼれかけているみたいに、必死で呼吸を続けなければ息が止まってしまうように思われた。

この精神的ショックは涼子を助けられなかったことだけに起因するのではなかった。それとは別に、彼は今、涼子が殺されそうになるのを目の当たりにして、自分の死についても実感させられていたのだ。おそらく彼女は、あのまま長髪に刺されて、苦しんで、それから約30分後に命を落とす。自分にはどんな死に方が用意されているのか。刺殺、撲殺、轢死れきし溺死できし、転落死。その原因が発生してから実際に死ぬまでの時間は? 即死なのか、それとも何時間も苦しむのか。正体不明の重圧がのしかかって、それに恐怖が重なって、心が握りつぶされるようで、彼は気がれてしまいそうになるほど消耗しょうもうした。

15分ほど経って、さいわいにも彼の呼吸は少しずつ整い始めた。そうすると、ようやく彼の心に本来の目的について考える余裕が生まれてきた。

――犯人を捕まえよう。

彼は直感的にそう思った。

「それで、私の死因はわかった?」

涼子は相変わらず、まるで明日の天気でもくような口調で話し掛けてきた。

「……きっとこれ、っていうのはわかりました」

「ふーん。どんな死に方?」

良太は嫌な気持ちになった。出来れば彼女の死に方を本人に説明するなんてことはしたくない。

「……僕がそれを止めたかどうかってのはかないんですか」

「えっ、だってその様子じゃ止められなかったんでしょ?」

「……」

「私だって自分の死に方くらい気になるわ。だから教えてよ」

「まだ止められる可能性はあります」

「もういいわよ。気持ちだけ受け取っておくから」

「いや、あと少しだけ試させてください。それでダメだったら、大人しく涼子さんの死因を教えます」

「はあ。ま、いいけど」

涼子は大きなため息をついた。

それからの時間は犯人の手掛かりを得るために費やされた。単に事件当日に涼子を公園に近づかせないようにすることもできたが、良太はまずは出来るだけ根本的な解決を図りたいと思った。それは当初、とてつもなく長い時間がかかるように思われたが、数周もしないうちに、彼は身の毛のよだつような事実を発見した。

涼子が死ぬまでの3日間、彼女は常にあの犯人につけられていたのだ。

ループ外の人間はひたすら同じ行動を繰り返す。この場合は「涼子の後をつける」という行動だ。それはつまり、かつて一緒に買い物に行っていた時も、他愛のない会話をしていた時も、初めて2人が神社で出会った時でさえ、その背後にはずっとあの気味の悪い長髪がいて、彼女を観察していたということになる。その事実に気付いた時、良太は全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。体が震えて、しばらく吐き気が消えなかった。

涼子を救うには犯人を捕まえるしかない。だけど、彼にはどうすれば良いかわからなかった。今の時点ではやつはただ涼子の後をつけているだけだ。それだけで警察は動いてくれるのだろうか。それに時間も問題だった。3日以内に証拠をそろえて捕まえないと、ループに入って全てがリセットされてしまう……。

何も良い案が浮かばないまま次の周がやって来た。朝、良太は頭を押さえながら、覚束おぼつかない足取りで部屋を出る。とにかく何か方法を模索しなければならない。リビングまで行った時、彼の目にあるものが映った。すぐさま彼は涼子に電話をかけた。

「なによ、私の死に関すること?」

いつもの神社で良太を見つけるなり、彼女は不満げに言った。彼女はまだ自分の死に方を教えてもらっていなかったのだ。そろそろ我慢の限界だった。試したいことがあるから待ってくれ、と言われてもう5周が経っている。

「はい、そうです」

「ようやく教える気になったの?」

「いえ、次の周で最後です。これで上手くいかなければ諦めます」

「もう! 絶対よ。しばらくこのせいでずっともやもやしてるんだから!」

「すみません。それで、いくつか涼子さんに協力してもらいたいことがあるんです」

「はぁ?」

彼女はあきれて、良太の顔をじろりと見た。

それから2日が経って、ついに良太は最後の周へとループする。

「良太、良太!」

良太は突然、自分を呼ぶ声に叩き起こされた。

「あんたの友達が来てるわよ」

母親の言葉にハッとする。すぐにベッドから起き上がると、後ろを振り向いて机の上の時計を確認した。23時25分。完璧だ。

「わかった。すぐに行く」

彼は急いで外着に着替えると家を出た。家の外では涼子が大きなバッグを抱えて待っていた。

「目上の人をこき使うなんてやるようになったじゃない」

「しょうがないじゃないですか。涼子さんにしかお願いできないことだったんだから」

2人は良太のループが始まる日にいた。いつもは眠っているせいで過ぎてしまう、良太の本来の1日目だ。

「それで、どこに行くのよ」

涼子は目を伏してたずねる。

「内緒です。用が済んだら連絡するんで」

「用が済んだらって、こんなもの用意させといてそんな平然と答えないでよ」

彼女の持つバッグの中には、同日に彼女が一生懸命走り回ってそろえた警棒やら防刃ベストやらの護身用品が詰め込まれていた。

「涼子さんだって自分が死ぬことについては平然としてたじゃないですか。僕のことになると心配してくれるんですか?」

涼子は苦々しい顔をする。

「……ずるい言い方するのね。あなたは生きたかったんじゃないの? なんでこんな危険なことするのよ」

「涼子さんに生きて欲しいからですよ」

「…………」

「それに、僕だって早死にするつもりはありません。だから、こうして護身具を揃えてもらったんです。大丈夫です。終わったらすぐに連絡しますから、ちょっとだけ待っていてください」

しぶる涼子をやっとの思いで近くのファミレスに押し込むと、良太は彼女の持っていたバッグを背負って、すぐに公園へと向かった。

あの朝、リビングでは毎度のように中央公園で起こった通り魔事件のニュースが流れていた(そしてそれは、今から約9時間後に流れるニュースだ)。彼はもうそれが涼子のと同一人物による犯行だとけることにしたのだ。

入り口の見張りを始めてから1時間が経った。彼は園内の遊歩道に沿ってずらりと並ぶ生垣いけがきに身をひそめている。都合の良いことに、これから事件の起こる中央公園は面積こそ広いが入り口は2つしかない。しかも、北口は大通りに、南口は裏道に面しているから、どちらに張り付くべきかは明瞭としていた。

犯人との対峙たいじに備えて、彼はバッグの中にあった様々な護身具を身に着けていた。頭はヘルメット、体は防刃ベストに防刃グローブ、手には警棒と懐中電灯を持っている。さらに、ヘルメットにはスマホを取り付けて、いつでも撮影ができるようにしていた。唯一の誤算は、フル装備した体は非常に重く、ただひっそりと体を丸めて隠れているだけでも、全身からだらだらと汗があふれ出てくることだった。

その時、北口から1人の女性が公園に入ってきた。それは事前にわかっていたことだったが、それでも良太は心臓が飛び出しそうな気持ちになった。

女性と良太との距離が十分に開いたことを確認して、彼は尾行のために立ち上がろうとした。その瞬間、例の長髪(涼子の時と同じように帽子とマスクを被っていた)が同じく北口から入って来たから、またしても彼の心臓は飛び出しそうになった。慌てて地面に伏せる。息は荒く、かくれんぼの出来としては最悪だったが、相手も周りに対しては無防備だったようで、彼のことなど全然気づかずに、まっすぐ女性を見つめながらよろよろと歩いていった。

ビンゴだ、と良太は思った。やつを捕まえれば涼子が殺されることもなくなる。

長髪の手口はわかっていた。涼子の時と同じだ。あの女性に徐々じょじょに近づいていって、背後から刃物で刺すつもりなのだ。

公園の中に入ってからしばらくして、長髪が少しずつ歩くスピードを速め始めた。まるで涼子が殺される日のリプレイを見ているみたいだ。良太は今度こそ遅れをとらないように、生垣いけがきの前にかがんだまましっかりと長髪についていった。

女性まであと3メートルほどの位置に来た時、長髪がポケットから何かを取り出すのが見えた。

「待て!!」

良太は大声を上げると、手に持っていた懐中電灯で犯人を照らしながら、生垣の隙間を通って遊歩道に飛び出した。

「きゃあああああ!」

良太の登場に悲鳴を上げたのが女性の方だったから、彼は何だか複雑な気持ちになった。

そうして女性に気を取られたすきに、長髪は手に握った刃物を彼に向けて襲いかかってきた。彼もすぐにそれに気付くと反射的に相手の顔にめがけて力一杯、警棒を振り切る。刃物が良太に届くよりも先に警棒が長髪の顔を捉えた。相手は衝撃でのけぞり、それと同時につけていたマスクが吹き飛ばされて顔が露わになる。長髪はすぐには何が起こったのかわからなかったようだが、やがて状況を理解すると一目散いちもくさんに逃げ出した。

まだ良太の心臓はバクバクと鼓動こどうしていた。犯行の現場も犯人の顔もちゃんと撮った。これを警察に渡せば、やつはほぼ間違いなく逮捕される。これで全て終わったのだ。

あたりを見渡すとそこには誰もいなかった。あの女性もとっくに逃げたらしい。

彼は近くのベンチに座ってこうべを垂れた。ヘルメットにつけていたスマホを取って涼子に電話する。彼女はすぐに電話に出て、良太の無事を喜んでくれた。これから彼のいる中央公園へ向かうそうだ。

電話を切った後、良太はすぐに防刃ベストを脱いだ。風が通ってひんやりする。ようやく体が呼吸を取り戻したような感覚だった。ベンチ近くの水道で顔を洗って、ふうと一息つく。そして、彼は涼子の4日目がどうなるのかについて思いを巡らした。

――トン、トン

その時、彼は後ろから肩を叩かれた。涼子かと思って振り向いた瞬間、彼は絶句した。そこにいたのは先ほどの長髪だったのだ。腹部に硬いものが突き刺さる。胃の中に血液が流れてくる感覚。腹部全体がひどく熱い。何よりもこれまでに体験したことのないような激痛が彼を襲った。

長髪は刺し込んだ刃物を良太の体から抜き出した。良太はその場に崩れ落ちる。長髪はベンチの上に置かれていた良太のスマホを手に取ると、電源を切ってポケットにしまい、ゆっくりと立ち去った。

良太は痛みと苦しさで動くことができなかった。やっとの思いで体を仰向あおむけにすると雲におおわれた夜空が視界一面に広がった。結局、最期まで曇り空なのか。彼は心の中でつぶやいた。自分の置かれている状況に反して、次第に気持ちが落ち着いて頭がえていった。この時、彼は何か真理めいたものを発見した気がした。

遠くから足音が聞こえてきた。駆け足だった。それはどんどん大きくなって、彼の前で止まった。

「……なによ、これ」

「最後の最後で、しくじっちゃい、ました」

「ふざけないでよ」

涼子はすぐに救急車を呼ぶと、再び良太の顔をのぞき込んだ。

「すぐに来るからもう少し頑張って」

「それより、涼子さんの死、止められたと、思います」

「え?」

「犯行の、映像、撮りました。スマホは、取られたけど、データはサーバーにあげるよう、にしてたんです」

良太は苦しそうに、途切れ途切れにしゃべる。

「わかったから。あとで全部聞くから今はしゃべらないで」

しかし、まるで彼女の声が聞こえなかったみたいに、良太は話を続ける。

「ポケットの中に、メモが入っています。データのありかが、書いてます。メモを持って、警察に……。犯人は、すぐに捕まる、はずです」

「だから静かに――」

そこで涼子の声は止まった。何かに気付いたようで、服のポケットから例のカードを取り出す。彼女は自分の目を疑った。カードに書かれていたはずのメッセージが全て消えていたのだ。まばたきをすると、次の瞬間にはもうその手からカード自体が消えていた。

「カードが、消えた」

それを聞いた良太がふっと笑みを浮かべる。

「良かった」

「全然良くないわよ! そうだ、あなたはまだループできるんでしょ? また3日が過ぎれば元通りに……」

「ズボン、右ポッケにカード、入れてました」

涼子は一瞬何のことかわからなかったが、すぐに悪い予感がした。そっと彼のズボンの右側のポケットを上から触ってみたが、やはり中には何も入っていないようだった。

「そんな……」

この時、良太にはもう死ぬことに未練がなかった。これから大学を卒業して、会社に就職することが決まっていた。良太の前にはまだまだ長い、喜怒哀楽の詰まった豊かな人生が待ち受けているはずだった。だけど、それらを失うことすべて、不思議と今は受け入れることができていたのだ。

「死ぬことの後悔、とか、未練とかって、最後は、どう生きるか、じゃないと思うんです」

彼は静かに口を開く。すでに意識が薄くなり始めて、頭はぼんやりとしていた。

「全部、どう死ぬか、だと、思うんです。だから、僕はこれで、良かった」

「ねぇ、やめてよ。そういうこと言わないで……」

涼子は彼の手を握った。その手がひんやりとしていて、彼女はぞっと恐ろしくなった。

「涼子さん、今まで、ありが……と」

良太は急に頭がぐるんと一回転するような感覚に襲われて、意識が途切れた。その向こうで、涼子は泣きながら必死に彼の名前を叫んでいた。

―――――

良太は目を覚ました。ベッドの上で寝ていた。カーテン越しの窓から太陽の強い日の光が感じられる。

「……ループ、か?」

そうつぶやいた時、良太は腹部からチクリと刺すような痛みを感じた。それと同時に彼は自分が病院の一室にいるとわかった。

「やっと目を覚ましたのね」

それはとても耳馴染みみなじみのある声だった。

「ああ、僕は助かったんですね。じゃあ、あと少しだけ生きられる」

「あなたが死ぬ4日目のことを言ってるならそれは違うわ。だって今日は5日目よ」

良太は目を丸くした。

「どういうこと、ですか?」

「これは私の推論も入ってるんだけど、あの日あなたは一度に3人の命を救ったのよ。一人はあの日の被害者、次に私、そして最後にあなた自身」

良太は未だにピンとこなかった。彼女は話を続ける。

「あなたの死ぬはずだった時間と私の時間とは1日遅れでほぼ同じだった。それにあなた、私に会うまでは夜に外をうろつくことが多かったんでしょ? つまりね、たぶん、あなたも同じ犯人に殺されてたのよ」

「そんな、そんなふざけた偶然って」

そう考えると何だか急におかしくなって、良太は笑い声をあげた。

「あはは、あ、いたたっ!」

彼は腹部を押さえて顔をゆがめる。

「退院までは最低でもあと二週間かかるそうよ。今度は安静にしててね」

「……わかりました」

「ねぇ」

「どうしたんですか?」

「やっぱり、生きてる方がいいわね」

良太は彼女がそう言ってくれたことが嬉しくて、思わず笑みをこぼした。

「ほんとです。生きてて良かった……。これからもよろしくお願いしますね」

「ええ、こちらこそ」

ふと目を窓の方に向けると、彼は急にあることが気になった。もう長いことする機会のなかった質問だ。

「涼子さん、ところで今日の天気は?」

彼女はニコリと笑って答える。

「晴れてるわ。快晴よ!」

【終わり】


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