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告白までの3日間 後編

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翌朝、俺は学校に着くなり、すぐさま真田の席へ向かった。

「おはよ」

俺の挨拶に気づいてこちらを向くと、彼女は目を丸くした。

「おはよ、どしたん?」

普段、俺から彼女に話し掛けることなんて滅多めったにない。それも朝、登校していきなり来たのだから、何かあるに違いないと身構えたのだろう。

「これ、数学のノート、昨日出された宿題分。どうせ解けんやろうと思って」

数学の授業は明日だから、本来はまだ宿題を終わらせておく必要はない。これはただ、彼女に話し掛けるために作った口実だ。

「あら、察しがいいんやね。ありがと」

彼女は皮肉交じりにそう言って笑った。

「それと、1ついてもいいか?」

「ん? この宿題のこと? いいよ」

「真田には誰か告白したいと思う人おるんか?」

「は?」

「は?」はないだろ、と心の中で叫んだ。真面目めいた話をする時に、真田に限らず人との関係において、こうして俺が下手したてに回るのは生まれて初めてのことだ。今のセリフがどれほどの勇気をもって、そして恥を忍んで、なされたのか、彼女には到底想像もつかないだろうが、俺にとってはそれはもう驚天動地の大事件たる行為だったのだ。それを「は?」の一言で、まるで意味がわからないとでも言いたげな反応をするのは、過酷ではないか。

「昨日の数学の宿題にそんな問題はなかったはずやけど」

真田は見事に片方の口角だけを上げて、意地悪く笑っている。俺の質問は、残念ながら彼女の「ちょっかいを出してやりたい」という邪心をくすぐったに過ぎなかったようだ。こうなっては、自分の体裁ていさい失墜しっついする前にさっさと話題を切り上げなくてはならない。

「これが数学の問題なら少なくとも真田には相談せんわ。最近色々あって、なんとなく訊いてみただけやけん。それじゃ」

帰ろうとする俺の腕をつかんで、彼女が「色々って何なん?」と尋ねてくる。今度は笑ってはいなかった。

「明日、誰かに告白することになった」

「え?」

「それじゃあな」

「いや、詳しく」

「長くなる」

「放課後」

「すまんけど無理。昼休み、学食なら」

俺は今日、わざと弁当を持って来ていなかった。昼休みに教室で、それも女子と2人で話すなんてさすがにできないが、学食でならまだ何とか、と思っていたのだ。

「なら、プールで」

「は?」

「私、水泳部員やけん鍵はなんとでもなるんよ。それじゃ、またあとでね」

そう言って、彼女は掴んでいた俺の腕を離した。

昼休みにプールへ向かうと、すでに真田がプールサイドのベンチに座って待っていた。プールに張られている水はまるで火花が散るみたいに太陽の白い光をキラキラと反射させていて、顔を外に向けると四方を囲むフェンスを通して近隣の住宅街がミニチュアで見えた。夏でも水泳の授業はないからこれまでここに来たことはなかったけど、なかなか気持ちの良い場所だ。

「ごめん、お待たせ」

「私もさっき来たところやけん」

俺は学食で買ったパンを片手に、真田の隣に立ったままフェンスにもたれかかった。

「それじゃあ早速、明日告白するってどういうことなん?」

俺はこれまでの経緯を出来る限り丁寧に説明した。

「それで、とりあえず形から入ったは良いけど、結局まだ告白したい人は見つかってないと」

「そんな切り捨てるような言い方せんでも……」

「そもそもさ、本当に誰かに告白したいとか付き合いたいとか思わんとダメなん?」

どうやら真田は俺の説明に納得いかなかったらしい。

「良いとかダメとかやないけど、俺はただ、そう思えるようになりたいんよ」

「うーん、なんかね、そもそもの始まりが気になるの。聡はあくまで自分の為に、とにかく形から入って、告白するんだってのを始まりにして色々考えてるんよね。それって、どうしても無理やり感やこじつけが出ちゃう気がして。もしも告白したいと思える人が見つかったとしても、そんな始まり方で納得できるん? そのやり方じゃ、あとで余計に悩んじゃうんやない?」

彼女の発言には確かに一理ある。だけど、だからと言って、今ここで告白するという目的を放棄してしまったら、そして、その目的に向かって行動するのをやめてしまったら、それこそ俺が最も後悔する結末だろう。

「真田の言う通りかもしれない。やけど、形から入ったこのやり方でも、おかげで色んな変化が起きたんよ。このまま行けば、今の考え方とか気持ちとか、変わるかもしれんってちょっと思ってる」

「私ね、前に1度だけ男子と付き合ったことがあるの」

思わず真田の方を見た。彼女は前を向いたまま、ややうつむいている。その目線の先にあるプールでは、水面みなもが風にあおられて不規則に揺れていた。

「付き合う前は何でも話せて、本当に仲良しやった。やけど付き合い始めて、変にこじれてきちゃって、結局別れたんやけど、今ではもう連絡も取ってないの。進んだり変わったりすることって良いことばかりやないんやなって知った。

私から見ると、聡はみんなと仲が良いし、勉強だってできるし、何か変わらないといけないようには見えないよ。いつか聡にもきっと、自然と付き合いたいって人が見つかるんやけん、焦らなくていいんやないかな」

これまで暗闇だったところに光が差し込むような感覚を覚えた。それは、真田の指摘が、俺がただ1人で椅子に座ってうんうん頭をひねるだけでは決して辿り着くことのできなかったものに思えたからだ。論理的な思考力や卓越した洞察力などというものではなく、血の通った経験によって裏付けられた意見。その重みと説得力が、俺の胸を打った。

それらしい理論を並べ立てて、真田の指摘を否定することはいくらでもできる。しかし、それをすることにもう意味はないだろう。心が、完全にとは言わずとも、彼女の発言に納得してしまったのだ。そして、とどのつまり、経験のない俺には何が正解かなんてわからない、という事実に気付かされた。これまでの俺は、単純に少しでも実績の出ている方にすがりたかっただけなのだ。ただその程度のことだ。

理路整然としていたはずの自分の考えの正体を思い知らされた。実に下らないと思った。しかしながら、おかげで不思議と肩の荷が下りた気がした。

「……もしかしたら、真田の言う通りなんかも知れんな」

ぼそりと呟いた。真田は何も言わない。またしばらくの間、沈黙が続く。

俺は、真田の指摘に賛成しながらも、彼女との会話を経てむしろ、自分が変わりたいと思う理由を新たに見つけてしまっていた。そして今、これまでの振る舞い方に対する悔恨かいこんの念が沸々ふつふつと浮かび上がっている。

ともすれば不安と恐怖の対象であった「人」には、実は豊かで奥深い面があって、それは俺に新たな気付きを与えてくれたのだ。もっと早く、多くの人とこうして腹を割った会話ができる関係を築こうとしていたら良かったのに。いや、それとも、話す相手が彼女だからこそ、こんなふうに感じることができているのか。

……真田となら、上手くやれたのかもな。

自然とそんな想いが浮かんできて、俺は心底驚いた。それは、いくらなんでも、どうしてそこまで考えが飛躍ひやくしたのかが自分にもわからなかったからだ。

「あ、そろそろ昼休み終わっちゃう……」

真田の声に気付いてスマホを確認すると、あと10分で昼休みが終わるところだった。

「ごめん、結局ご飯ほとんど食べれんかったな」

「あはっ、ほんとよ。今度飲み物でもおごってもらうけんね」

「ああ、いくらでもおごってやるよ」

「今の録音するけんもっかい言って!」

「ばーか」

2人で校舎の中に入って、プール前の扉に鍵をかける。

「それじゃ、私は鍵を返しに行くけん。先に教室戻っとき」

「うん、ほんとにありがとな」

「いいよ、いつもノート見せてもらってるしね。私にできることならなんでもするけん!」

俺は一瞬の間を置いて「なあ、」と切り出した。俺の改まった態度に彼女は「ん?」と首をかしげる。

「真田の言うことはほんとによく分かったし、たぶん、合ってるんやと思う。それでも俺は、今ここでやめたくない。やり方が普通とは違うかもしれないけど、明日告白する気でいたい」

彼女はニコリと笑った。

「そっか。聡がそう決めたんなら、私は応援するね!」

そう言って彼女は駆けて行った。彼女の姿が見えなくなって、俺はふと、まだ朝の質問に対する答えをもらっていなかったことを思い出した。

「……まあ、もういっか」

今日は佐藤が告白することになっている。放課後になって、昨日と同じように6人で集まった。

「頑張れよ」

古賀がエールを送る。続いて、みんなも口々に佐藤を応援した。佐藤はニヤリと笑ってこぶしを前に突き出し親指を立てる。

「ありがとな! それじゃ、松岡ちょっとこっち来てくれるか?」

「ん? どうしたのよ?」

松岡がきょとんとしながら前に出る。

「俺、松岡のことが好きだ」

「えっ!?」

松岡だけじゃない。俺たちは一斉いっせいに声を上げた。教室にはまだ他の生徒も残っていたから、彼らの視線がどっとこちらに浴びせられる。

「な、何よいきなり!」

「ふざけてるように見えるかも知れんけど、わりと人生で初めて真剣になってる。ほんとに好きなんだ。付き合ってほしい」

たじろぐ松岡と、その表情に一点のおふざけの色もない佐藤。どちらも、俺がこれまで見たことのないものだった。

「…………」

数秒が経った。空気が重く張りつめている。

「……はぁ」

最初に反応したのは松岡だった。彼女はため息を吐くと、すたすたと自分の机へ向かって歩いて行ったのだ。誰も、当の佐藤でさえ、その行動の意図がわからなくて、ただただ事の成り行きを見守っていた。やがて彼女は、机の上に置いてあった通学カバンの中から封筒を1枚取り出して、それを手に持ったままこちらへ戻ってきた。

すぐにそれが明日使う予定のラブレターだとわかって、俺は身震いした。

松岡は元の立ち位置に戻ると、両手で封筒の頭をつまんで胸の高さに掲げた。そして、なんと佐藤の目の前でそれを真っ二つに破ったのだ。もう誰も何も言葉が出ない。

「せっかく時間かけて書いたのに、無駄になっちゃったじゃない」

ついに佐藤がかすれた声でおそるおそる尋ねる。

「それじゃあ……」

「はぁ、昔からサプライズには弱いのよね。こんなことされたら心揺れるわよ」

すぐに歓声が上った。佐藤ではない。俺たちの方がもう我慢できなくなっていたのだ。

「まじかあああ!!!」

「うそっ、えっー! すごーい!!」

俺と古賀と佐藤は3人で肩を組んで飛び上がる。囲むようにして松岡に迫る下田と佐々木も何やらさわいでいた。俺はこのときになってようやく、どうして佐藤があんなにも今日の告白のことを秘密にしたがっていたのかがわかった。

教室に残っていた他の生徒たちも事態を察知して雪崩なだれのように押し寄せてきたから、教室の中は軽いお祭り騒ぎとなった。

「いやー、ほんとにすごかったねー」

家路の途中、自然と今日も同じ公園で佐々木と話すことになった。さっきから彼女は、先ほどのことを思い出しては「すごかったね」「びっくりしたね」と口にしている。

りん(松岡のことだ)ね、元々は7組の松木くんに告白するつもりやったんよ」

このことは佐藤には黙っておこうと思った。

「やっぱりあの告白が良かったんやろうな」

「なんか、ぽっと火をけられたみたいになったんだって」

告白をした佐藤は言うに及ばずであるが、一方で俺は松岡にも脱帽させられていた。いきなり告白を受けたからと言って、普通はそれまで好意を抱いていた相手をああも清々せいせいと諦めることができるのだろうか。彼女の行動には未練を一切感じさせなかった。確かに多少は心を揺さぶられたのかも知れないが、ぽっと出のともしびをそう簡単に信じることができるのか。不安や迷いはなかったのか。

「佐々木は、もしも松岡みたいに告白されたらどうする?」

「うーん、私やったら、少し考えさせてって言っちゃうやろうなぁ。凛みたいにきっぱりとは決めれん」

「俺も」

ごまかす相手もいないのに、俺と佐々木はお互いを向いて困ったように笑った。

「でもね、本当に火が点いたって思ったら、オーケーするかも」

「おー」

「やっぱり最後は勢いやと思うしね。えいやっ! の精神ってやつ?」

「えいや、の精神かぁ」

俺が小さく笑っていると、彼女は体を前のめりにしてじろりとこちらをのぞき込んできた。

「それで、聡くんの方は、今日何かわかったん?」

「うん。なんとなく、付き合ったら上手くいくかもって思った人はいた」

「やったやん!」

佐々木は嬉しそうに喜んでくれた。俺は彼女から顔をらすと、前方にあった遊具をぼんやりと見つめた。

「けど、相手も俺も、その火がともる感覚ってのはないんやろうなぁ」

「え、それじゃあ好きなわけやないってこと?」

「ドキドキするとか、そういうのはないな」

「……じゃあ、告白もせんと?」

今日の昼休みに、しかも当の本人に対して、明日告白する気でいたいと言ったばかりなのに、それならこれからどうするのかということになると、愚かにも俺にはさっぱり何もわからなかった。

「ごめん、まだわからん」

「……そっか」

「どうしたら、いいと思う?」

我ながら情けない質問だと思った。

「何をしてもいいと思う」

彼女はきっぱりと言った。反射的に、俺はまた彼女の方に顔を向ける。

「聡くんは半分無理やり私たちに参加させられちゃったようなもんやしね。そもそも、この告白実行隊が作られたのって私にも関係があるんよ」

「え!? 告白実行隊!?」

俺は思わず声を上げてしまった。

「え、反応するのそっち? なんか佐藤くんがそう呼んでたから、私たちもふざけてそう呼んどるんやけど」

「ああ、そうやったんか。広まっとるとは知らんかった……」

俺が適当に付けたこの集まりの名称は、気付かないうちにみんなに浸透していたようだ。

「それで、実は前々から真紀と凛には相談してたの。好きな人ができたかもって。あの日、放課後に2人が残ってたのも、あとで私の相談に乗るためやったんよ」

合点がてんがいった気がした。

「そんな時に松岡に告白したいと思ってた佐藤が混じったけん、恋愛の話になったんやろうな。んで最後は、それならみんなで告白しようって」

「うん。だから聡くんには申し訳ないなって思ってた」

「俺は自分で決めて入ったんやけん、気にせんでよ」

「それでも、聡くんには私たちのことなんて気にしないで、聡くんの好きなようにして欲しい。もしも告白しないって決めても、みんなには私が絶対文句言わせんけん!」

彼女の言葉がまっすぐに、力強く心の中に染みてくる。

俺は人を頼るのが嫌いだった。人に借りを作ると不安になるからだ。仕方なく頼みごとや相談をするときも、いつも心地の悪い思いをしていた。だけど今は、人を頼って、人から気にしてもらえていると知って、胸の奥がじんと震えている。

「ありがとな」

「どういたしまして!」

一息ついて、俺は佐々木に尋ねた。

「佐々木は、どうやったん?」

「うん。私はね――」

そよ風が吹いて、木々の葉がさわやかな音を立てる。それと同時に、太陽の光線を浴びて黒茶に光る彼女の長い髪が優しく揺れた。穏やかな表情と熱のこもった眼差まなざし。もしも俺が告白すると決めたときにはこんな顔ができるといいな、とひそかに思った。

「やっぱり、火はいてたよ。明日、告白するって決めた!」

放課後になった。まるで昨日、一昨日おとといのことが冗談だったみたいに、また何事もなく時間が過ぎるようになった。唯一、一緒に昼ご飯を食べたときに、佐藤と古賀には告白についてどうするつもりなのかを伝えることができた。2人は笑って「それで良いと思う」と言ってくれた。

6人で教室の一角に集まる。こうして集まるのもひとまず今日で最後だ。

俺は大きく息を吸った。本当は吐露とろしてしまいたい罪悪感とか失望とか遺憾いかんがあったけど、佐々木の告白の邪魔をしないようとにかく手っ取り早く済ませることに決めた。

「最初にみんなに言わんといかんことがある。俺、色々あって、今日は告白しないことにした。みんなで約束したのに、ほんとごめん」

結局、こうするしかなかった。口では威勢の良いことを言っても、どうしても中身は伴ってくれなかった。

身体的なものと違って、精神的な痛みや苦しみというのは、まるでひるにでもべったりと張り付かれて少しずつ血を吸われているみたいに、慢性的で意地悪なものに感じられた。こんな気分になるのも本当に久しぶりだ。

「まっ、聡くんがそう決めたんならいいんじゃない?」

意外にも、そう言ってくれたのは松岡だった。

「と言うか、私も告白してないのよね」

彼女の発言に他のみんなも笑い声を上げる。

「ま、そういうことやけん、私が聡くんの分まで頑張るよ!」

佐々木が小さくガッツポーズをしながら言った。

「昼休みに3人でその話して、いつか聡がちゃんと告白しようと思えた時に、また告白実行隊を再結成しようってなったんよ」

佐藤の発言にみんなが賛成し、俺も笑顔を作って「ありがとう」と応えた。

俺は、佐々木に応援の言葉を掛けると、考えたいことがあるからと言って先に帰ることにした。今さら考えたいことなんて実際はなかったが、みんなと一緒にいるのがたまれなかったのだ。

昇降口へと続く階段を1人で1段ずつ下りていく。

こうして振り返ってみると、この3日間は決して悪いものではなかった。きっと、俺はこれから少しずつ人に対する接し方を変えていける。そのせいで不安に思うこともあるかもしれないけど、それを乗り越えるすべもちょっとだけ学べた。心の中にある泥も、あの5人と過ごしていた間は一瞬たりとも俺を悩ましてくることはなかった。もう、大丈夫かもしれない。

真田とは、これからどうなるかわからないけど、もっと時間が経てば新しく見えてくるものがあるはずだ。そのときにまた、ゆっくりと考えたい。

つまるところ、今回はただ目標が高すぎただけなのだ。中身に関して言えば、俺にしては随分ずいぶんと上出来なのである。頭ではわかっている。だけど、あの5人と交わした約束のことを思うと、この鬱屈うっくつした気持ちはどうしても消えてくれない。

佐々木は上手くいくだろうか。昨日の夜、彼女が告白する相手は須藤すどうなのだと教えてくれた。彼は俺の1つ次の出席番号だったから、あのクラスになって最初に話した人物だった。人当たりの良い、朗らかな男だ。もしも告白が上手くいけば、2人は見る者の顔を思わずほころばせるような素敵なカップルになるに違いない。

俺は心の底から彼女の告白が成功することを願った。そして、この自分がこれほど他人のことを気にしているなんて奇妙なことだ、と改めておかしく思った。

階段を下り切った。昇降口は日中でも日が差し込まないから薄暗く、ひっそりとしている。そのまま自分の靴箱の前へ行き、パカンとふたを開けると、外靴の上に見馴れない紙切れが1枚乗っているのが見えた。

――もしよかったら、放課後、西棟の屋上へ来てください。

わずかに硬直したが、すぐに理解した。須藤の出席番号は俺の1つ違いである。あろうことか、佐々木は間違えて俺の靴箱にメッセージを仕込んだのだ。

俺は慌てて教室へ駆け上がろうとして、すぐに気が付いて元いた位置へ引き返した。須藤の靴箱を開ける。そこには上履きが入っているだけだった。とにかく俺は、佐々木にこのことを知らせるため、西棟の屋上を目指すことにした。

須藤は弓道部に所属している。もしも単に部活に出て行ったというだけなら、まだ手立てはあるはずだ。

階段を段飛ばしに駆け上ると、廊下を突っ切って、もう一度、階段を上った。ドアを開けて更衣室を過ぎると、最後に、重たい金属製の扉を力任せに開けて屋上へ飛び出した。その先にいたのは、佐々木ではなく真田だった。

それはまるで昨日の昼休みに見た光景の再現だった。プールに貯められた水が太陽の光をまぶしく乱反射させる。小さくなった住宅街を眺望ちょうぼうするフェンスからは心地よい風が吹き抜けてきて、汗ばんだひたいでた。そして、やはり真田はプールサイドにあるベンチの上に座っていた。

俺はゆっくりと歩いて真田の前に立つ。すると、彼女もベンチから立ち上がった。

「真田、なんか?」

手に持っていたメッセージの紙を胸の高さまで上げる。真田はしばらくいぶかしげにこちらを見つめたあと、急に思いついたように尋ねた。

「あれ、もしかして名前書いとらんかった?」

「書いとらん」

彼女はがくりと肩を落とす。

「急いで書いたけんなぁ」

「どうしてこれを?」

真田は顔を赤らめて伏し目になった。

「……気になったのよ」

俺は自分の心臓が鼓動するのを感じた。

「ごめんね、佐藤たちに訊いたの。それで、聡は誰にも告白しないんだって知って」

「うん」

「はぁ、自分でも何やっとるんやろって思うよ。今になって急に……。わざわざ聡を呼び出して」

彼女の声は震えていた。両手を体の前で固く握ったまま、小さく目の前に立っている。その顔は火照ほてっていて、体からはか弱く静かな女性の熱気が発せられているように感じた。

さっきから胸の高鳴りが止まない。この気持ちの移り変わりは、あまりにも簡単すぎる。散々さんざん考えて、迷って、最終的に違うと結論付けたものは、こうもあっけなく、一瞬の出来事で180度ひっくり返されてしまうのか。こうなると、もはや軽はずみとも思えるこの感情の生起せいきは、悪いことなのではないかと不安になる。彼女の言うように、進むことや変わることが必ずしも良い結果につながるとは限らない。ぽっといた火が原因で、のちに火事が起こることもあるだろう。

ああ、そして、そう考えておきながらも他方で、昨日、自分自身が冗談めかして笑っていた「えいやの精神」に今にもすがろうとしているのがわかっていて、自分がとてもみにくく感じられる。

しかし、これらのネガティブな勘考かんこうもってしても、ただ一点、今この瞬間に燃えている愛おしいという感情を蹴散けちらすには遠く及ばなかった。彼女に受け入れてもらえるかどうかはわからない。だけど、もしも彼女と過ごす未来ができたとしたら、それはどんなに素晴らしいことだろう。

胸の中に葛藤かっとうはあるけど、俺はどうしてもその未来に手を伸ばしたいと思った。

「好きだ」

「え?」

それまで悶々もんもんとしていた真田は、急にきょとんとした顔になってこちらを見上げる。

「真田が好きだ」

「ええぇぇぇ!?」

彼女は後ずさりした勢いで、またベンチの上にすとんと座ってしまった。

「な、なんでこのタイミングなのよ!?」

「ぽっといたけん」

「何がよ!」

「それで、良ければ返事が知りたい」

「…………」

彼女はうつむいた。

そして、しばらくの沈黙ののちに、再び顔を上げて、訥々とつとつと口を開いた。

「そんなの、はいに決まっとるやん」

プールを抜けると、俺は真田と一緒に教室へ向かった。

4階まで下りて廊下を渡っていると、まだ教室までは10メートルほど距離があったにも関わらず、教室の中から佐々木たちの楽し気な話し声が聞こえてきた。俺は安堵あんどするとともに心から嬉しくなった。

彼らと対面したら、俺はまた謝らなければならない。告白実行隊を再結成しようという約束は反故ほごになるのだ。

だけど、今度はあの鬱屈うっくつとした感情は微塵みじんも存在しなかった。それどころか、教室を去ってからの一連の出来事を早く彼らに伝えたくて仕方がないのだ。彼らはその報告を嬉々ききとして祝ってくれるに違いない。

俺は今、しっかりと両足を地面につけて歩いている。そんなことを思いながら、ドアの開きっぱなしになっていた入口を通って、力強い一歩で、教室の中へ入った。

【終わり】


「告白までの3日間」を読んでいただき本当にありがとうございました。今後も新たな作品ができ次第Twitterにてお知らせしていきますので、もしよければフォローしていただけると嬉しいです!


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