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僕と私の小説 前編

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「僕」視点

「牧瀬は彼女できた?」

ああ、またこれか。と顔をしかめる。

最近は、飲み会に行くと必ずと言ってもいいほどこの質問を受ける。相手が職場の上司でも同期でも同じだ。正直に「いない」と答えると今度は、「えぇ、意外!」だったり「なんで作らんと?」だったり、果てには「俺が女を紹介してやるよ」などとのたまってくる。そのたびに僕は興の冷める思いがするのだ。

別に彼女の有無を聞かれること自体が嫌なのではない。ただ、その質問を通してほとんどの人が無意識にしてくる、誰もが彼氏彼女を欲しがっている、という前提の押し付けが気に入らないのである。彼らにとっては欲しがるのが正統で、そうでないのは異端らしい。

何よりしゃくさわるのが、彼らは、僕の趣味や特技、休日の過ごし方なんてのはまったく知らないくせに、僕が過去に何人の女性と付き合ったか、どのくらい交際が続いたか、そして、最後に別れたのはいつなのか、と言ったようなことだけは妙に知っているということだ。

逆ではないか、といつも思う。趣味とか特技とか休日の過ごし方とかの方がその人を形作るものであって、人と話をするのなら、そういったことをたずねるのが普通なのではないか。それとも、彼らは単に僕の女性関係が気になるのであって、僕自身についての興味は毛ほどもないということか。

「花の金曜日」の飲み会を早々に切り上げた帰り道、僕は近くのファーストフード店に立ち寄った。

カフェラテを頼んで空いている席に座ると、早速ビジネスバッグの中から1冊の小説を取り出す。飲み会を鬱陶うっとうしく思うようになったのは、何も今に始まったことではないが、その中でも最近は特に面倒だと思ってしまうのは、僕にちょっとした趣味ができたからだろう。仕事帰りに近くのカフェやファーストフード店で小説を読むのは、ここしばらくの日課になっている。

今読んでいるのは、三島由紀夫の潮騒だ。その前に読んだのは太宰治の人間失格だった。殊更ことさらに純文学が好きというわけではない。語彙力や表現力をきたえようと、適当に思い浮かんだ著名な作家の作品を読んでいるだけなのだ。文中に出てくる知らない単語や慣用句を逐一ちくいち辞書で調べ、使用されている例えや情景描写を常に意識しながら物語を読み進めるというのは非常に骨の折れる作業だが、僕には百年かかっても到底駆使できそうにない美しい言葉遣いの数々には素直に胸を打たれる。もちろん、物語の内容そのものも本当に面白い。そうして読み終わる頃には決まって、もっと時間のある学生時代に多くの本を読んでおけば良かった、という不毛な後悔の念を抱かせられてしまうのだ。

それほど酔っていたわけではないが、やはり頭が働かない。30分ほど踏ん張ってみたが、結局、しおりをはさみ直して本を閉じると、僕はファーストフード店を後にした。

明日は昼から大学時代の友人である山田と会うことになっている。どうせ読書も進まないのだから、今日は大人しく帰って寝ることにしよう。

「私」視点

ああ、私は社会人になってしまった。毎朝、家から会社へ向かうたびにそう思います。それが入社したての社会人1年目ならまだしも、私はこの春で社会人3年目になる身なのですから、なんとも困ったものです。

社会人になってしまったことを嘆いているのは、仕事が大変だからではありません。むしろ、私の職場は優しい人ばかりで、残業もほとんどなく、本当に恵まれた環境だと思っています。私が嘆いているのは、ただ、学生のように自由で無邪気にいられた時間が過ぎ去ってしまったから、というなんとも情けない理由なのです。

今の生活に不満はありません。でも、何か物足りないのです。社会人になってからずっとそう感じています。休日にはよく職場の同期と出かけるようになりました。もちろんそれは楽しいのですが、それでも、心の中にあるかわきは完全にはなくなってくれません。

今ではもうだいぶ前のことですが、社会人になって数カ月が経ったある日、それならどうしたらこの心の渇きはなくなってくれるのかと考えて、試しに、私のやってみたいこと、やってみたかったことをリストにしてみました。中には、もうどうやっても実現することができないものも含まれています。できたリストをぼんやりと眺めて、私はため息をつきました。なぜなら、その「もうどうやっても実現することができないもの」こそが、私が本当にやりたいことのように思えたからです。

すっかり肩を落とした私はそのまま部屋のベッドに倒れ込みました。そうして、そばにあったクッションに顔をうずめたとき、ふと、ひらめいたのです。そうだ、このリストをもとに物語を書いてみよう。

私は小説を読むのが好きです。きっかけは確か、大学受験が終わって時間を持て余していたからだと思うのですが、とにかくあの、自分の経験できないことを文字を通して経験する感覚がとても気に入って、以来、読書は私の小さな趣味になっていました。

だからきっと、自分の経験できないリストの中身とそれを表現できる小説とがすぐにつながって、執筆をするという考えに至ったのでしょう。早速、私は記念すべき第一作目に取り掛かりました。

さて、執筆活動を始めて約1年が経ったころ、それまでの私の生活にちょっとした変化がもたらされました。

「かおりって本読むのが好きなんよね? 良かったら社会人の文芸サークルに入らん?」

職場の同僚からそう誘われたのです。この頃には、かなり執筆活動に熱中していて、それに合わせて色々な本を読むようになっていましたから、当然、私は二つ返事でサークルに入ることにしました。

「西野さんはどんな小説を読むんですか?」

初参加の日、サークル長が私にたずねてきました。

「特定のジャンルや作者は決まってないんです。暗かったり描写が過激だったりするものは苦手なんですが、そうでなければ話題になった作品を適当に手に取っています」

「はは、そうなんですね。僕も似たようなものです。このサークルには十人十色、本当にばらばらの好みを持った人たちが集まっていますから、必ず西野さんとも合う人がいると思いますよ」

最初は不安もありましたが、やはり同じ趣味を持つ人たちの集まりですので、私はすぐに打ち解けることができました。サークルのメンバーは全部で15人ほどです。しばらく活動に参加していく中で、私は特に、ある4人の人にとても感心させられるようになりました。

彼らはみんな、小説に造詣ぞうけいが深いだけでなく、小説に対する彼ら自身の考えを明確に持っていました。それは、「書き手の目的に思いをせることも小説の醍醐味だいごみ」とか、「小説は小論文と似て非なるから面白い」とか、1つ1つ説明していてはとても長くなってしまうのでここでは省きますが、とにかく彼らの意見はとても面白く、私は彼らとの会話を通して視野の広がる思いがしたのです(これらはいずれも、少人数でいる時にしか語ってはくれなかったのですが)。このようなことですから、私が心からサークル活動を楽しんでいたのは言うまでもありません。

ただ、1つだけ残念なことがあったのです。それは、先の4人はいずれも、小説のレビューにおいては驚くべき慧眼けいがんを発揮して聞く者を魅了するのですが、執筆に関してはまるで参加してくれないということでした。

少し話が前後してしまいましたが、サークルではたまに希望者をつのって自分たちの書いた小説を見せ合うことがあります。そして、私が関心を寄せる4人の実情は次のようなものでした。

内2人は、以前は執筆をしていたそうです。しかし、とうの昔に熱が冷めてしまって、今ではさっぱり物を書く気がありません。1人は、いつか小説を書こうとは思っているものの、今はまだ書く気がないのだと言っています。彼については、私は実はすでに執筆活動を始めているのではないかと疑っているのですが、本人がそう言うのですから確かめようがないのです。最後の1人は、上の3人とは少し事情が違って、形式的には参加してくれます。ですが、それは彼のサークル長としての責任感や、他のメンバーが書く小説を読むことに楽しみを覚えたからであって、彼自身が小説を書くことについてはもうほとんどやる気がないようでした。現に彼の書く小説は、起承転結の整ったお手本のような構成ですが、内容がどれも一辺倒いっぺんとうで、彼の話を読むたびに私は宝の持ち腐れを見るような、口惜くやしい気持ちでいっぱいになってしまうのです。

「僕」視点

翌日、僕は自宅近くの駅前で山田を待った。彼とは昨年の秋、共通の友人の結婚式で顔を合わせて以来だから約半年ぶりに会うことになる。

待つこと15分、前方にある大きな階段を小走りで駆け下りてくる彼の姿が見えた。10分の遅刻である。

「すまん! 待った?」

「……お前は相変わらずやな」

僕たちは近くのカフェに入って、ひとまず近況を報告し合った。当たり障りのない話がしばらく続いたのち、ついに山田が本題に入る。

「それで、そのお前が書いた小説ってどれなん?」

ついに来た。羞恥心しゅうちしんもだえながらも、僕はカバンの中からあらかじめ印刷して束ねておいた20枚ほどの紙を取り出す。

「そんな大したもんやないけど」

その束を受け取ると山田はすぐに中を読み始めた。紙は両面印刷だから総計40ページと少しだ。

僕に最近できた趣味というのは読書だけではない。むしろ、こっちが本命だ。3カ月ほど前からふと思い立ち、それからは出勤前や休日を利用して細々と執筆活動を行っている。今、彼に手渡したのは僕の二作目となる短編だ。

ただの趣味でやっているものだから、それを人に見せる気なんてさらさらなかった。さらさらなかったはずなのに、いざ物語を書き上げてみると、それなりの仕上がりになった気がして、どうしても客観的な評価をあおいでみたくなったのだ。そこで、学生の頃にいつか小説を書いてみたいと口にしていた山田に連絡を取ることにしたのである。

山田が紙を1枚めくる。彼が読み進めている間、僕はせわしなく、スマホをいじったり、アイスラテをすすったり、店内をぐるりと見回したりしていたが、やがて、SNSにあった新着情報は全てチェックし終わり、アイスラテの容器には裸の氷だけが寒そうに取り残され、いつまでも変わらない店内の景色には飽き飽きするようになってしまった。

人に作品を見せる以上、たとえ彼が僕を奈落の底に叩き落とすような酷評をかましてきたとしても、甘んじてそれを受け入れる心構えはあった。心構えはあったが、しかし、できることならそんな経験はしたくない。

どうにも落ち着かずにそわそわしていると、ついに山田は最後の1ページを読み終えて、ふぅーと静かに息を吐いた。僕は酷評を受けたときの心の傷を少しでも軽減させるため、すでに心の中で「まあ、よくよく考えてみると雑な部分も多かったもんな」と浅はかな言い訳を始めていた。

「面白かった」

「うそぉ!?」

山田の目にはどれほど間抜けに映っただろう。

「は?」

「いや、すまん、なんでもない」

僕は気を取り直そうとしてアイスラテに手を伸ばしたが、そこにはただ氷とそこから解けだした少量の水が茶色くにごっているだけだった。伸ばした手は仕方なくくうを掴んでそのままテーブルの上に置かれた。

「それで、面白かったってのは……?」

「もちろん、プロが書いた小説と比べてどうこうって話やないけど、ストーリーが明快やったし、文章も読んでて苦にならんかった。正直言って驚いた」

予想を超える評価にどう反応して良いかわからなかった。悲しいことに、低評価だった時の対応は考えていても、高評価だった時のものは考えていなかったのだ。

「あ、ありがと」

「なあ、牧瀬はまだ小説書く気あるん?」

山田が何か思惑でもあるようにニヤリと笑う。ゆっくりとなら、と答えると彼はスマホを取り出して、あるグループチャットのやり取りを見せてきた。

「何なんこれ?」

「あんま言っとらんかったけど、実は学生のとき文芸サークルにも所属しとってさ。これはそのOB版」

「へぇ、まだ活動しとるん?」

「活動しとる人たちだけでグループ作り直したけんな。毎週何かしらやっとるよ」

それを聞いて自然と胸が高鳴った。そのグループに参加すれば自分と同じ趣味を持った人たちに会えるのだ。

「それ、俺も入っていい?」

「もち、一応サークル長に言ってからあとで招待しとく!」

「さんきゅ。その中に俺の知り合いはおると?」

「おらんやろうな。他大学のOBも混ざっとるけん、そもそも俺らの大学出の人は少ないんよ」

「そうなんか」

僕の表情が曇ったのを見て、山田が珍しく気を利かせた。

「ま、来週の集まりには俺も参加するけん心配すんな!」

そんな彼の心遣いに感謝し、何度もお礼の言葉を重ね、ついでにちょっとしたデザートまでご馳走した僕は、当日になって見事にバカを見ることになった。

「私」視点

そんなある日、4人の中の1人(それは私が疑いの目を向けている彼でした)が突然、みんなの前であることを提案してきたのです。

「もしよければ、来週の集まりに俺の友達を連れてこようと思っとるんやけど、いいかな?」

すかさずサークル長が尋ねます。

「へぇ、いいですね。どんな人なんですか?」

「大学の時の同期で、たぶん本を読み始めたのは最近になってだと思う。やけど、そいつの書いた小説が面白いんよ。今このサークルには書く人が少ないけん、ちょうどいいかなって思っとる」

「わかりました、大歓迎です。それなら、来週の活動は久しぶりに自作小説の持ち寄りにしましょうか。あとでグループチャットに流しておきますね」

それを聞いた彼は顔の前で両手を合わせて嬉しそうに笑います。

「わざわざすまん、ありがと!」

ここのメンバーは、私を含めて、同い年や年下相手であっても敬語を使う人が多いのですが、彼はいつもタメ口です。このサークルは元々、各大学の彼と同じ代のOBが集まってできたものらしいので、ほとんどのメンバーと付き合いが長いのでしょう。

彼はその場で友人をグループチャットに招待しました。アカウント名は「牧瀬とおる」。どうやら男の人のようです。

いつも私を感心させる人が連れてくる友人ですから、当然、私も興味を持ちました。しかもその友人は、面白いとお墨付きの自作小説を持ってきてくれるのです。いやが上にも期待が高まります。

私はすっかり気分が高揚こうようして、その日のサークル活動が終わった後、思い切って彼の元へ行き、例の友人のことについて尋ねてみました。

「すみません、さっき言っていたお友達のことなんですけど」

「ああ、牧瀬のことか。気になるん?」

彼はニッと歯を見せて笑います。

「はい。その牧瀬さんは、いつから小説を書き始めたんですか?」

「うーん、どうやろうね。そういやくの忘れとったなぁ」

普段は彼に感心しているということを改めて先に言っておきますが、流石にこの時ばかりは「ダメだこりゃ」と思ったので、私は質問を変えることにしました。

「どうして牧瀬さんの小説を面白いと思ったんですか?」

彼は今度は声を上げて笑います。

「それは難しい質問やね」

言われてみればその通りです。しかし、そんな返事でていよくあしらわれては、こちらも納まりがつきません。

わざわざ彼はみんなの前で、あいつの小説は面白い、と公言したのです。レビュー会では舌を巻くような指摘をしておきながら、友人の小説を面白いと思った理由が、何となく、なんて肩透かしでは困ります。

「それでも、何か印象に残ったことがあったんですよね?」

「うーん、まあまず、使われてる言葉とか表現とかは普通やったな。内容も意表を突くようなものはなかった。素直に自分の書けるものを書いたって感じやけん、玄人くろうと好みではないかもしれん。やけど、安心感があった」

「安心感、ですか」

「うん。大きな変化はない代わりに話のテンポが良い。万人受けする小説って感じやな」

ああ、もうっ。どうして彼は、今に限ってこうも曖昧あいまいな説明をするのでしょう。そもそも、聞いていると良い点よりも悪い点の方が多く挙がっているではありませんか。

「それは、めているんですか……?」

彼は意味ありげな含み笑いを浮かべて言い返します。

「俺は自分が良いと思った小説の話しかせんよ」

そして、「まっ、詳しくは自分で読んでみ。じゃあ、また来週」と続けると、彼は軽く手を振って、すたすたとカフェから出て行ってしまいました。

私の落胆はどれほど大きかったことでしょう。いえ、実のところ、一片いっぺんさえもありませんでした。彼は最後に、また来週、と言ったのです。来週の小説の持ち寄りに彼が来るということは、ついに彼の小説が読めるかも知れないということです。私の期待はただもう膨らむばかりでした。

そうして、破裂寸前の風船のように丸々と太った私の期待は、当日になって見事にパチンと割られることになるのです。

「僕」視点

――すまん、寝坊した! 他のみんなには牧瀬のこと伝えとるけん、とりあえず先に行っててくれ!

サークル活動の始まる15分前、天神駅で山田を待っているとこんなメッセージが届いた。彼に対する信頼が(もともと決して高くはなかったが)静かに瓦解がかいしていくのを感じた。

OBサークルの活動はここから徒歩で10分ほどのところにあるカフェで行われることになっている。僕は一度だけ大きなため息をつくと、観念して単独そこへ向かうことにした。

階段を上り、カフェの入り口にたどり着く。緊張と戸惑いでおずおずと扉を開けると、最初に僕を出迎えたのはテーブルの上に置かれた可愛いらしい外国のぬいぐるみだったから、ちょっと拍子抜けしてしまった。右に曲がって店内を見渡す。午前中だったからか、客はまばらにポツンポツンと座っているだけだった。そんな中で、奥のテーブルに若い男女が5人ほど並んで座っているのが見えたから、ほぼ間違いなく彼らがメンバーだとわかった。僕は早速そのテーブルの横へと回り込む。

「すみません、文芸サークルの方ですか?」

誰と目を合わせていいのかわからなかったから、代わる代わる全員と目を合わせてしゃべった。

「あぁ、もしかして牧瀬さん?」

メガネをかけた痩身そうしんの男が立ち上がってほがらかに話しかけてくる。彼は元々の色白で中性的な顔立ちに加えて、話し方や態度も物腰柔らかだったから、清廉潔白せいれんけっぱくというのが最初に抱いた印象だった。穏やかで優しそうなその人柄に僕はひとまず安心した。

「はい、そうです」

「山田さんからは何か聞いてますか?」

「いえ、ほとんど何も」

「良かったらここ座ってください」

男の向かいに座っていた女性がいきなり立ち上がって、僕に席を譲った。

「あぁ、ありがとうございます」

不意を突かれた僕は慌ててお礼を述べる。愛嬌あいきょうを振りまこうと無理やり笑顔も作ってみたがどうも仕上がりはぎこちなかった。少しまごつきながら肩にかけていたカバンを足元のかごの中にいれて、僕はようやく男と対面して座った。

「まず、僕の名前は佐野と言います。学生の時にサークル長をやっていたから、その流れでここでも一応まとめ役として活動の企画をしています」

聞いてみると、活動は基本的に週1回、日曜の午前中にこのカフェで行われるのだそうだ。その内容はかなり緩く、希望者が集まれば課題図書を決めたレビュー会や、各自おすすめの本の紹介といったことをするが、集まらなければ暇なメンバーで集まってただそれぞれの好きな本を読んで終わることもあるらしい(果たしてそれにわざわざここに来るほどの楽しさがあるのかどうかは僕には定かでない)。

「そして、今回みたいに各自の執筆した小説を見せ合うこともあります。まあ、これは滅多にやりませんが」

山田からはとりあえず例の短編を持ってきてくれとだけ言われていたが、どうやら参加者全員で作品を見せ合う運びになっていたらしい。そりゃあ、みんなで寄ってたかって僕の作品を吟味ぎんみするような、企業の面接まがいのことをされるよりは百倍良いが、これで僕のクオリティだけが際立って低くて、穴があったら入りたい気持ちに駆り立てられるようなことになれば困った。どうもこのカフェには僕が入れるほどの大きな穴がしつらえられているようには見えない。

一通りの説明をしてしまうと、佐野は早速みんなに、自分の作品を取り出してそれを右隣の人へ渡すようお願いした。回ってきた作品を読み終えたら、それをさらに右隣の人へ手渡していき、全員が全ての作品を読み終わるまでこれを続けていく。

「は、初めて書いたので、あまり出来は良くないかも知れないですけど……」

本当は二作目のくせに、悲しいかな、つい僕はこうしてちんけな嘘をいて、何の用にもきょうさない予防線を張ってしまう。

「私」視点

――ごめん、寝坊した! 活動は先にみんなで始めてて! ちなみに牧瀬は時間通りにそっちに着くって。

サークル活動の始まる15分ほど前、彼がグループチャットに上の通り投稿したのです。そのとき私は一番乗りでカフェに着いていましたので、1人で「はぁ」と大きく項垂うなだれました。

メンバーが次々とカフェに到着します。このサークルの美点の1つが、みんながちゃんと時間通りに集合することです。もちろん、1人を除いては。

ついに私を含めた5人が席に着き、あとは牧瀬さんを待つのみとなりました。10時になる3分前、1人の男性が恐る恐るこちらのテーブルにやってきます。彼に違いない、と私は思いました。

「すみません、文芸サークルの方ですか?」

彼は私たちの顔を順番に見ながら不安そうに尋ねます。類は友を呼ぶと言いますから、一体どんな人がやってくるのかと気になっていたのですが、想像していたよりもずっと大人しそうな人でした。

「あぁ、もしかして牧瀬さん?」

サークル長がすぐさま答えます。

「はい、そうです」

「山田さんからは何か聞いてますか?」

「いえ、ほとんど何も」

私はちょうどサークル長と対面して座っていましたし、このまま彼を立たせたままにするのは悪いと思って、席を譲ることにしました。

「良かったらここ座ってください」

「あぁ、ありがとうございます」

そう言って見せた彼の笑顔はあまりにも下手くそで、きっとこの人は良くも悪くも気持ちが顔に出てしまうタイプなんだろうなと思いました。

「まず、僕の名前は佐野と言います。学生の時にサークル長をやっていたから、その流れでここでも一応まとめ役として活動の企画をしています」

サークル長は私たちのサークルについて説明を始めました。私はその間、新たな席に座って(それは元いた席とは反対側のはしの席でした)ぼんやりと彼のことを眺めていました。さわやかで大人びた見た目ですが、先ほどの様子を見ていると、実は内柔ないじゅうとしているのかもしれません。さて、彼ならどんな小説を書くでしょうか。そんなことを思い巡らすのは、結構面白いのです。

一通りの説明を終えると、ついにサークル長は持ってきた作品を右隣の人へ渡すよう私たちにお願いしました。いつものやり方なのですが、回ってきた作品を読んで、読み終えたらそれをさらに右隣の人へ手渡す、というのを一周するまで繰り返します。

牧瀬さんが自分の作品を渡すとき「は、初めて書いたので、あまり出来は良くないかも知れないですけど……」と言ったのが聞こえました。初めて書いた作品……。私が初めて書いた作品は、それはもうストーリーがあちらこちらに飛び散る、めちゃくちゃなものだったと記憶しています。処女作がいきなり面白いなんて、そんなことがあるのでしょうか。

「僕」視点

とにもかくにも、僕には左隣に座っていた小柄で気弱そうな男の書いた作品が手元へやってきた。全部で30ページほどだ。エディタを使って書いた僕とは異なり、小説投稿サイトに直接執筆しているのだろう、手渡された紙は全てウェブサイトの投稿ページをそのまま印刷したものだった。

読み始めてみて、なるほどと思った。確かにみんな何かしら執筆をするわけだが、中身のジャンルについては各人ばらばらなわけだ。それはホラーとか恋愛とかSFとか言ったものではなく、例えば、今僕が読んでいる作品は、主人公が異世界へ飛ばされて八面六臂はちめんろっぴの大活躍をするという筋書きであり、十中八九、ライトノベルに大きな影響を受けて書かれたものだ。

ストーリー自体は王道で、特にひねりがあるわけではないが、突飛とっぴなところもないため、会話のやり取りや戦闘シーンなど容易よういに想像しながら読み進めることができる。ところが、全体を通して用いられているコメディ調の文体がどうも僕の肌に合わず、やや寒く感じてしまった。そうなると、何だか急に細かいところまで気になりだして、例えばを示すのに使われる「……」がちゃんとした三点リーダーではなく「…」になっていたり、感嘆符や疑問符の後に続く文の頭に空白が入っていなかったりというので、別に間違いという程のことでもないのに胸がざわつくのだ。

そうして、これらの違和感が消えないまま、ついに最後まで読み終えてしまった。ページの最後には、「第2話へ」という矢印付きのリンクがあったから、実際にこのサイトへ行けば続きを読むことができるのだろうがそれをする気にはならない。こればかりは、人の好みにもよるから難しい。

続いてやってきた作品は、先のものよりずっとひどかった。ストーリーどうこう以前に、とにかく日本語の間違いが多いのだ。意味の取り違えや使い方のいびつさが目立ち、しまいには誤字脱字まで散見される始末で、もはやストーリーが全く頭に入ってこない。こんな代物しろものを読まされるくらいなら法律書でも読まされた方がまだマシだと思った。不純な好奇心から、この作品の書き手は一体どんなやつなのかと体を反らして1人はさんだ向こうをのぞき込んでやりたかったが、さすがに失礼だと思いとどまった。

なんとも肩透かしを食らった気分でがっかりする。もちろん僕だって自分のわきまえているつもりだから、以上はあくまで個人的な感想にとどまるもので、それを越えて彼らの作品をいたずらにけなしたり、さかしらに批判したりするつもりは毛頭ない。そもそもこんなものは読み手によって意見が変わってくるものだ。しかしながら、少なくとも僕の正直な感想はそれだった。

ここにきて、なんとなく「文章が読んでて苦にならん」程度の僕の作品がなぜ山田を驚かせたのかがわかってきた。つまり、物語が面白いとか面白くないとかいう次元の前に、読み手に違和感や不快感を与えない文体にすることですら、実は相当に難しいのだ。僕の作品が幸運にもその最低ラインに引っかかることができたのは、ひとえに、惜しまぬ推敲すいこう、校正作業のおかげだろう。

僕は手にある作品を流し読みで片付けるや否やさっさと佐野に渡してしまった。次の作品はまだ来ない。しかし、これまでと違って待ち遠しい気持ちはもうなかった。

10分ほどして、とうとうラノベの彼から3つ目の作品が手渡された。僕はそれが50ページほどもあることを確認して早速嫌気が差す。仕方なくぼんやりと最初のページに目をると、その冒頭は「私は走っていた」で始まっていた。いきなり何だ、と少しだけ興味をそそられる。

面白かった。

最後まで読み終えた僕はそっと作品をテーブルの上に置いて、そう思った。ストーリーはある女子高生が意中の相手に告白をするという単純なものだが、文体と相まって、心地良いリズムが流れている。用いられている単語や表現のバリエーションは豊富なのに、難解な言葉は奇妙なほど避けられていた。主人公が高校生であることを意識して、あえてそのような文体を採ったのだろうか。そして、それは見事に功をそうしている。

今度は純粋な好奇心で、この作品の筆者が誰なのか気になった。このストーリーはどうやって作られたのか、実話とフィクションの割合はどのくらいなのか(とは言え、これを詳細までくのは野暮だが)、この文体は意識して用いられたものなのか、など訊きたい質問を挙げ出すときりがないが、何よりも、筆者は何を考えて、どんな思いを持ってこの作品を書いたのか、僕はとても興味を持った。

左回りに3つ数えて、僕はそれが、先ほど席を譲ってくれた女性の小説だとわかった。僕たちは互いにテーブルの対角に位置していたから、隣に座られるよりもずっと相手のことが見える。改めて彼女をしっかりと見た。彼女は粛然しゅくぜんとして誰かの作品を読んでいる。きれいに整列している長い黒髪やすました彼女の表情も相まって、そこには、まるで流麗りゅうれいな数学の公式でも見せられているような、整った美しさを感じた。

もちろんそれは結構なのだが、そんな彼女の外見とこの手元の作品のイメージがどうしても一致しない。僕はますます気になってしまって、無意識に彼女の方をじっと見ていた。すると彼女も読み終わったのだろう、ゆっくりと顔を上げて、そして驚いたことに、一文字いちもんじにこちらを見つめてきた。

うわ、バレた。そう思って咄嗟とっさに顔をらす。いや、こういうときはむしろにこやかに笑っていた方が不審さを払拭ふっしょくできたかもしれない。後悔先に立たず。5、6秒経ってそっと横目で彼女の方を見てみると、なんとまだこちらを見ている。初対面の女性にメンチを切られたときの対処法なんて心得てはいないが、とにかくこのまま顔を背けていても感じが悪いし、何より男としてみっともない。

意を決して再び彼女と目を合わせると、彼女は手に持った作品を少し持ち上げて何やら合図をしてきた。その瞬間、僕は「あっ」と膝を打った。彼女が読んでいたのは、まさに僕の書いた小説だったのだ。驚きやら気恥ずかしさやらで反応が取れない。口を半開きにしてアホ面をさらしていると、彼女は小首をかしげて親し気にニコッと笑いかけてきた。これだ、僕にこの微笑ほほえみができれば世話はないのだ。心の中でそう思いながら、やっぱり訳が分からなくて、引き続きアホ面を振り撒いていた。

「私」視点

視界の左側から隣の人の手が伸びてきて、私の前にぽんと紙の束を置いていきました。ふと我に返って、私も自分の小説を前の人(私は端の席に座っていたので)に渡します。気を取り直して、目の前の作品を読むことに集中しました。

左隣の人の作品は以前に読んだことがあるので、うっすらと特徴は知っていました。やはり今回も、使用されている語彙や表現が独特で印象に残ります。私は彼女の言葉遣いが好きでした。

けれど、なぜでしょう、どうも文章が頭に入ってきません。

しばらく読み進めて、そうか、と気が付きました。私はこの小説の登場人物に感情移入できていないのです。彼らがなぜ作中における考えを持つに至ったのか、というプロセスに飛躍ひやくがあって、もしくは動機付けが弱くて、あまり共感できません。ともすると、この作品を通して筆者が伝えようとしているメッセージさえ、ただの独りよがりに成り下がっているように感じてしまいます。

ああ、こんなふうに批判めいたことを考えるのは嫌いです。しかし、妙に小説を書くことの知識や経験がついてしまったせいで、例えば物語の構成とか筆者の意図とか、まるで国語の試験でも受けているみたいに、常にそういったことを考えながら文章を読む癖がついてしまいました。人によってはこれを読書の新たな楽しみ方を見つけたと取るかもしれませんが、少なくとも私は、昔みたいにストーリーだけに意識を傾けていた頃の方が気楽だったように思います。

20分ほど経って、次の作品が私のところへやってきました。これはもう、わざわざ感想を述べる必要はないでしょう。なぜなら、サークル長の小説だからです。気弱な主人公が会社でとあるプロジェクトに参加させられ、残業続きの日々を耐えて、プロジェクトの成功に貢献する、という内容をとても丁寧に描写しています。しかし、やっつけで書いた匂いがどうしても消えません。例にれず小ぎれいで味気のないその小説に、こちらも例に漏れずやり場のない残念無念が込み上げてきます。読み終わった私は小さくため息をついて、彼の小説を次の人の手元に置きました。

そして、ようやく来たのです。牧瀬さんの小説がついに私の手に落ちてきました。

私は急いで最初のページに目を通します。内容は、オーストラリアへ交換留学に行った主人公が、現地の学生寮や大学での出来事に困惑しながらも、周囲の協力を得て楽しく過ごしていく、というものです。恐らく、かなり実体験がもとになっているのでしょう。

――面白い。

素直にそう思いました。手の込んだストーリー設計やたくみな言葉遣いがあるわけではありません(ところどころに難しい言葉が使われていますが、巧みかと言われると微妙です)が、実体験を基にしたからこその現実味があります。現実味とは、要するに私が心の中で思う「現実」に合致しているということです。だから、登場人物の心情や考えが読み取りやすく、安心してすらすらと文章を読み進めることができます。

彼の小説にはもう1つ特長がありました。文章に無駄がないのです。初めて小説を書くとなれば、大抵たいていは、書きたいことがありすぎて、登場人物の考えや心情をやたらと細かく説明したり、背景描写に必要以上の尺をいたりしてしまいます。ところが、彼の小説にはそういった余計なものが見当たりません。そのおかげで、物語がテンポよく進んでいくのです。

徹底された読みやすさ。それが彼の小説を面白いと思わせる正体なのでしょうか。私は気になりました。牧瀬さんは一体どこまでを意図して、このストーリー構成にしたのでしょうか。

最後のページを読み終わると、私はもう一度最初のページへ戻って、再び彼の小説を読み直しました。それからようやく、紙の束をきれいに整えて、丁寧にテーブルの上に置きました。私はゆっくりと顔を上げて牧瀬さんの方を向きます。

あら、と思いました。なんと彼も私の方を見ていたのです。一瞬の間、私たちの目は一直線に合いました。なぜそれが一瞬だったかと言うと、彼がすぐに顔をらしてしまったからです。相手が引いたので、私は遠慮なく彼のことを眺めました。そう言えば、彼が今、手に持っているのは私の作品です。だから、まさに私がしたように、読了後に気になって私のことを見ていたのでしょうか。

牧瀬さんがまた恐る恐るこちらを振り向いてきたので、私は合図のつもりで、テーブルの上に置いていた彼の作品を手に取って、少し持ち上げました。彼はすぐに気づいたようで、「あっ」という顔をします。私は何だか嬉しくなって彼に笑顔を送りました。余談ですが、私は外見からよく、あまり感情を表に出さない落ち着いた人だと思われます。だから、付き合いの短い人にとっては、私が笑顔になるとそれだけで意外なことに映るそうです。今回の笑顔は違和感なく彼に届いているといいのですが。

「僕」視点

全員の作品を読み終えると、そこでその日のサークル活動は終わりとなった。ただ読むだけでレビューとかの時間はないのかと思ったが、どうせそんなことをしたって、みんな当たり障りのないコメントをするのが関の山かと納得した。ちなみに、山田が姿を現すことはとうとう最後までなかった。

「牧瀬さんの小説、面白かったです。もし良かったら少しお話する時間ありませんか?」

何となくそんな気がしていたが、解散するとすぐにさっきの女性が僕に話し掛けてきた。彼女は僕の名前を知っていたが、みんなでそれぞれ自己紹介をしたわけじゃなかったから、残念なことに僕は彼女の名前を知らない。

「ありがとうございます。ちょうど僕もあなたに訊いてみたいことがあったんです」

「それなら一緒にお昼でもどうでしょう」

初対面の人と食事に行くのは気が引けたが、それよりも彼女と話してみたいという気持ちの方がずっと強かったから快諾かいだくした。彼女に引き連れられて近くのイタリアンレストランに入る。ここは彼女のお気に入りらしい。

「すみません。ところで、名前は何て言うんですか?」

席に座って開口一番、僕がそうたずねると彼女は小さく声に出して笑った。

「そう言えばまだ自己紹介してなかったですよね。私は西野かおりと言います」

グループチャットのメンバーに「西野かおり」というアカウントがあったからその存在だけは知っていた。チャットではお互いに挨拶をした程度だったけど、それまでアカウントでしかなかった相手が実体を持って目の前に現れて、ああ、この人が、と合点がいくのは何だか面白い。

「牧瀬さんはいつもどんな本を読んでいるんですか?」

「実は、いつも、というほど前から本を読んでいたわけではないんです。何か物語を書いてみようと思ったのが3カ月くらい前で、本もそれに合わせて読み始めました。本のジャンルもてんでバラバラですが、ここ1カ月くらいは三島とか太宰とかを読んでます」

「純文学ですか」

彼女はに落ちないという顔をしている。その理由は何となく察しがついた。

「まあ、今日見せた短編はかなり勢いで書いたので、読んだ本の影響はほとんど映ってないと思います」

「ああ、通りで。牧瀬さんの小説を読んで三島由紀夫の顔は思い浮かびませんでしたから」

僕はそりゃあそうだと思って失笑した。

「西野さんも三島由紀夫を読むんですね」

「いえ、あまり難しい話や暗い話は読む気になれなくて。以前に潮騒を読んだことがあるだけです」

「ちょうど今、それを読んでるんですよ!」

僕の読書歴も読書量もまったく微々たるものだったが、幸運なことに、彼女はそんな数少ない僕の知識にもちゃんと応じてくれた。

初対面の相手なのに会話がとても心地良い。僕の発言を彼女はしっかりと受け止めて、彼女の返しに僕は共感する。伝えたいことが次から次へと浮かんできて、話が弾んで、それなのに決して一方的ではなく、言葉のキャッチボールが成立している。社会人になってからは人と話をするのがそれほど楽しいと感じなくなっていたけど、彼女との会話は本当に楽しくて、まるで七色にペイントされるみたいに心が豊かになる。きっと、これこそが上辺だけのものではなく、真に相手のことを知りたいと思ってなされる会話なのだ。

それぞれ頼んだパスタを食べながらしばらく談笑していたが、ついに彼女が本題に入ってきた。

「牧瀬さんは今回の小説を書くのにどのくらい時間を掛けました?」

「20日くらいです。かなり実体験を元にしたんで、順序を入れ替えたり飾り付けをしたりはしましたけど、構成自体にはそんなに時間がかからなかったんですよ」

言い終わってすぐ、果たして20日は本当に早い方なのだろうかと不安になって、最後に一言「僕の中では、ですけど」と取って付けておいた。

一方の彼女は、途端とたんにパスタを巻く手を止めて、なぜだか嬉しそうな顔をする。

「やっぱり実体験が元になってるんですね! どこまでが事実なんですか?」

「会話の中身や登場人物のモデルはかなり変えてますけど、作中で起こってる出来事はほぼノンフィクションです」

「じゃあ、本当に経験したんですね。いいなぁ」

そういう彼女の表情には、人が羨望せんぼうする時に見せる瞳の輝きのようなものはなくて、それよりも切なさの方がただよって見えたから、僕はちょっとうろたえてしまった。

グラスの水を一口飲んで、こちらも同じ質問を投げてみた。

「私」視点

サークル活動が終わると、私はすぐに牧瀬さんのところに向かいました。普段は人見知りしてしまうたちですが、彼に対しては躊躇ためらう必要がないように思えました。何だか彼も、私とまったく同じことを考えてくれているように感じるのです。

「牧瀬さんの小説、面白かったです。もし良かったら少しお話する時間ありませんか?」

思いの外、彼は驚いた様子も見せず、落ち着いて答えます。

「ありがとうございます。ちょうど僕もあなたに訊いてみたいことがあったんです」

まさに予想通りの返事です。おかげで私は、ニヤリと笑ってしまいそうになるのを必死でこらえなければなりませんでした。

「それなら一緒にお昼でもどうでしょう」

一瞬迷ったようにも見えましたが、彼はすぐにうなずいてくれました。早速、私は彼を連れて近くのイタリアンレストランに入ります(私はここの和風パスタが好きで、サークルの後によく食べに行くのです)。

「すみません。ところで、名前は何て言うんですか?」

席に座るや否や、彼が少し困ったような顔をして尋ねてきました。なんということでしょう。もはや以心伝心の仲にまで感じられていたのに、実のところ、彼は私の名前すら知らなかったのです。そう思うとおかしくて、笑いが込み上げてきました。

「そう言えばまだ自己紹介してなかったですよね。私は西野かおりと言います」

私は続けて質問をしました。

「牧瀬さんはいつもどんな本を読んでいるんですか?」

「実は、いつも、というほど前から本を読んでいたわけではないんです。何か物語を書いてみようと思ったのが3カ月くらい前で、本もそれに合わせて読み始めました。本のジャンルもてんでバラバラですが、ここ1カ月くらいは三島とか太宰とかを読んでます」

「純文学ですか」

思わず眉をひそめました。人の書く文章は、多かれ少なかれ読んだ本に影響されるものです。しかし、牧瀬さんのあの小説からは純文学らしいところは見当たらなかったように思います。

そんなことを考えている私の表情が露骨だったのでしょう。彼は自分から私の疑問に答えてくれました。

「まあ、今日見せた短編はかなり勢いで書いたので、読んだ本の影響はほとんど映ってないと思います」

「ああ、通りで。牧瀬さんの小説を読んで三島由紀夫の顔は思い浮かびませんでしたから」

彼は小さく笑いました。

「西野さんも三島由紀夫を読むんですね」

「いえ、あまり難しい話や暗い話は読む気になれなくて。以前に潮騒を読んだことがあるだけです」

はにかみ笑いで答えると、意外にも、彼は目を見開いてパッと明るい口調になりました。

「ちょうど今、それを読んでるんですよ!」

私たちの会話はとても気持ちのよいリズムで進んでいました。それこそ、まるで小説の中の会話みたいに。どんな話題を振るべきか、どんな答えを言うべきか、といったことにあれこれ気を回す必要はありません。ただ自然と浮かび上がったことを口にすれば、それで会話が続くのです。私はとても楽しくて、嬉しくて、運ばれてきた大好きな和風パスタもほどほどに、延々えんえんと話していました。

話題が1周回って、再び小説に戻ってきたところで、私は少し気になっていた質問を投げてみることにしました。

「牧瀬さんは今回の小説を書くのにどのくらい時間を掛けました?」

「20日くらいです。かなり実体験を基にしたんで、順序を入れ替えたり飾り付けをしたりはしましたけど、構成自体にはそんなに時間がかからなかったんですよ。僕の中では、ですけど」

私はすぐにパスタを巻く手を止めて、顔を上げました。

「やっぱり実体験が基になってるんですね! どこまでが事実なんですか?」

「会話の中身や登場人物のモデルはかなり変えてますけど、作中で起こってる出来事はほぼノンフィクションです」

すごい、と思いました。やっぱり牧瀬さんは大学生の頃、小説にできるような素敵な体験をしていたのです。学生寮でのおかしな出来事、大学でのちょっとした困難、時間とともに深まる人間関係。私にはそれらがちょっとしたおとぎ話のようにも聞こえてしまうのですが、他の人たちは似たような経験の1つや2つは持っているものなのでしょうか。

まったく、どうして私の書く小説はどれもフィクションばかりなのでしょう。せめてその中の1つくらいは、私の実体験になっていても良かったでしょうに。

「じゃあ、本当に経験したんですね。いいなぁ」

私は少しぼんやりとしながら、そうつぶやきました。しかし、牧瀬さんは水を一口飲むと、ふと話題を戻します。

「僕」視点

「西野さんはどのくらい時間を掛けたんです?」

「書き上げるのは10日くらいでした。そのあとの編集と校正に1週間以上かかりましたけど」

「編集、校正に時間をかけてるんですね。通りで読みやすいと思いました」

そう言う頭の片隅では、さっき最後の一言を取って付けておいて本当に良かった、と負け犬風情ふぜいなことを思っていた。

「大体いつも5、6回は読み直してます。もうないだろうって思っても、読み返すと案外大きなミスがあったりしますからね」

「それめっちゃわかります。僕のなんて凡ミスの伏魔殿ふくまでんでしたから、かなり骨を折りました」

「あはは、伏魔殿なんて妙な例えをするんですね」

僕のおどけに笑ってくれたのはいいが、実際にそう言われてしまうと恥ずかしい。残り少なくなっていたカルボナーラに視線を落として、それをまたゆっくりと一口分巻き取り、口の中へ運んだ。

「それでも、正直に言って、牧瀬さんの小説は初めて書いたとは思えないくらいしっかりしていて驚きました。魔物がひそんだままになっている作品をいくつも読んできましたから」

本当は二作目なんですけどね、とは言えずただ愛想あいそ笑いを浮かべる。本当につまらない嘘をついた。

「内容よりも、漢字の変換ミスや脱字、日本語の間違いの方が気になっちゃう時があるんですよね。もちろん私も人のことばかり言えませんが」

「あんまり多いとそれだけで読む気がなくなっちゃいますからね。せめて努力で直せるところは僕も気を付けるようにしています。せっかく作ったストーリーですから、読み手にはそこだけに集中して貰いたいですもん」

「ふふ、牧瀬さんならそう言う気がしていました」

「え?」

「あの作品、ストーリーに集中させるための工夫があったように思いました。文中にミスがないのもそうですが、内容自体も余計なものは極力省いて、ひたすら一直線の道を駆け抜けてる感じでしたから」

「そんなこと思ってたんですね」

実際にそこは意識して書いていた。それを読み手に見透かされてしまうなんて奇妙な気分だ。それでも、自分の頑張りをちゃんと見てもらえた気がして、何だか嬉しくもあった。

これは僕自身の経験でもあるのだが、文章を書く人とそうでない人とでは小説の読み方が違うのだと思う。それまではただ小説の内容だけを意識して読んでいたが、曲がりなりにも書き物をするようになってからは、なぜ筆者はこの表現を使ったのか、このストーリー構成にした意図は何か、ということに気が向くようになった。そうして最後には、まさに彼女が僕にやって見せたように、作品を通して筆者の思惑や思想を探ろうとするのだ。

「西野さんこそ、あの文体は意識したんですか?」

「あの文体って?」

「わざと平易な言葉を使っているように思いました」

「ああ、そう感じてくれたんですね。はい、あまり難解な言葉を使うと物語の雰囲気と合わなくなっちゃいますから。でも、私は元々難しい言葉はできるだけ使わないようにしてるんです。諸刃もろはの剣のように思えて」

「諸刃の剣ですか」

「上手くはまるとリズムが出たり美しさが感じられたりしますけど、そうでなければ読みにくいだけですから」

「なるほど。ちなみにその点、僕のはどうでした?」

実は覚えたての難しい言葉をつい使ってみたくなって、いくつか投入していたのだ。

「…………」

「わかりました、忘れてください」

彼女は手を口に当てて上品に笑った後、ごめんなさいと茶目っ気たっぷりに謝った。僕もお返しに眉を下げて「自分でも狙いすぎた気がしてたしいいんですけど」とねた態度をとっておいた。

「それより、語彙力や表現力ってどうやって伸ばしてるんですか?」

「私のが参考になるかはわかりませんが、やっぱり小説を読んで知った言葉は多いですね」

「そうですよね。書いてみたい話はいくつかあるんですが、その前に読んでおきたい本もたくさんあって……。ほんと、社会人になってから24時間じゃ足りない」

僕は腕を組んで「はぁ」とため息をつく。

「時間は平等ですからね」

「平等はある側面から見れば不平等です。必要な人も持て余す人もいるのに同じ量しか与えないんですから」

「ふふ、そうかもしれませんね。私はせめて学生時代に戻れたら、と思います」

「僕もですよ。ああ、遊び回ってたあの頃が悔やまれます」

僕が肩を落とす仕草を見て、彼女はにこりと微笑んだ。

気付けばだいぶ時間が経っていて、僕たちはそろそろレストランを出ることにした。お互い別にしたいこともなかったから、また来週、と言ってその場で分かれた。

家までの帰り道は、ずっと一作目に書いた短編の内容を思い返していた。あれは今回見せた二作目とはかなりテイストが異なっている。僕は、あれを彼女に見せてみようかと思っていたのだ。

「私」視点

「西野さんはどのくらい時間を掛けたんです?」

「書き上げるのは10日くらいでした。そのあとの編集と校正に1週間以上かかりましたけど」

「編集、校正に時間をかけてるんですね。通りで読みやすいと思いました」

「大体いつも5、6回は読み直してます。もうないだろうって思っても、読み返すと案外大きなミスがあったりしますからね」

私が笑いながらそう言うと、彼も同じように笑ってくれます。

「それめっちゃわかります。僕のなんて凡ミスの伏魔殿ふくまでんでしたから、かなり骨を折りました」

「あはは、伏魔殿なんて妙な例えをするんですね」

私が笑っている間に、牧瀬さんはカルボナーラを一巻きして口の中へと入れました。私は、彼が飲み込むのをじっと待ってから、再びしゃべります。

「それでも、正直に言って、牧瀬さんの小説は初めて書いたとは思えないくらいしっかりしていて驚きました。魔物がひそんだままになっている作品をいくつも読んできましたから」

められるのに慣れていないのでしょうか、彼はただ苦笑しました。

「内容よりも、漢字の変換ミスや脱字、日本語の間違いの方が気になっちゃう時があるんですよね。もちろん私も人のことばかり言えませんが」

「あんまり多いとそれだけで読む気がなくなっちゃいますからね。せめて努力で直せるところは僕も気を付けるようにしています。せっかく作ったストーリーですから、読み手にはそこだけに集中して貰いたいですもん」

「ふふ、牧瀬さんならそう言う気がしていました」

「え?」

「あの作品、ストーリーに集中させるための工夫があったように思いました。文中にミスがないのもそうですが、内容自体も余計なものは極力省いて、ひたすら一直線の道を駆け抜けてる感じでしたから」

「そんなこと思ってたんですね」

彼は小さくはにかんで笑いました。

「西野さんこそ、あの文体は意識したんですか?」

「あの文体って?」

「わざと平易な言葉を使っているように思いました」

やっぱりすることはみんな同じようで、彼も私の小説を通して色々と詮索せんさくしていたのです。

「ああ、そう感じてくれたんですね。はい、あまり難解な言葉を使うと物語の雰囲気と合わなくなっちゃいますから。でも、私は元々難しい言葉はできるだけ使わないようにしてるんです。諸刃の剣のように思えて」

「諸刃の剣ですか」

「上手くはまるとリズムが出たり美しさが感じられたりしますけど、そうでなければ読みにくいだけですから」

「なるほど。ちなみにその点、僕のはどうでした?」

「…………」

咄嗟とっさのことで、私はちょっと困ってしまいました。

「わかりました、忘れてください」

彼はすぐに察してくれましたが、その返しがあまりにもおかしくて、私はついケタケタと笑ってしまいます。

「あはは、ごめんなさい」

「自分でも狙いすぎた気がしてたしいいんですけど」

彼はねた態度でしたが、すぐに許してくれました。そして、気を取り直すように話を続けます。

「それより、語彙力や表現力ってどうやって伸ばしてるんですか?」

「私のが参考になるかはわかりませんが、やっぱり小説を読んで知った言葉は多いですね」

「そうですよね。書いてみたい話はいくつかあるんですが、その前に読んでおきたい本もたくさんあって……。ほんと、社会人になってから24時間じゃ足りない」

彼は腕を組んで「はぁ」とため息をつきます。

「時間は平等ですからね」

「平等はある側面から見れば不平等です。必要な人も持て余す人もいるのに同じ量しか与えないんですから」

「ふふ、そうかもしれませんね。私はせめて学生時代に戻れたら、と思います」

「僕もですよ。ああ、遊び回ってたあの頃が悔やまれます」

彼がわざとらしく肩を落とすので、私はつられてニコリと笑いました。しかし、頭の中はまったく別のところに飛んでいました。

皮肉なものです。もしも学生時代に戻れたら、私は間違いなくその遊び回る道を選ぶでしょう。結局のところ、社会人になると、学生の頃に何をしていても、何かしら、こうしていればよかった、ああしていればよかった、と惜しむものなのかもしれません。いえ、過ぎたことを悔やむのは社会人になってからも同じでしょうか。「ただ、一さいは過ぎて行きます」が人の世の真理なら、「ただ、一切は過ぎて行ってしまいます」が人生の真理なのかもしれません。

気がつくと2時間が経っていました。牧瀬さんがお店に長居するのを気にし始めたので、私もしぶしぶ気を利かせてレストランを出ることにしました。本当は牧瀬さんともっと話していたかったのですが、流石にそこまでわがままを言うのは気が引けたので何も言わないでいると、私の思いもむなしく、その場でさよならということになってしまいました。

私は来週のサークル活動の後も、牧瀬さんとご飯を食べるつもりでした。もう少し日が近づいたら、そのように誘ってみようと思っています。もしかしたら、来週こそは例の彼も来てくれるかもしれません。彼と牧瀬さんの会話を聞いてみたい、なんとか3人でご飯に行けないだろうか。帰りの電車の中で、私はそんなことを考えていました。

【後編に続く】

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